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縄文人の世界観

縄文人の世界観 みんなのレビュー

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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.8

評価内訳

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5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

野心的な取り組みに、拍手。

2017/02/01 18:17

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たぬき - この投稿者のレビュー一覧を見る

「縄文人ってどんな人たち?」

これまでの考古学では、「お爺ちゃんがいて、お婆ちゃんがいて、子供がいて孫がいて、一家団欒がそこにはあった」と説明される。

「それって本当?」

人類学研究の成果によると、DNA的な繋がりがない他人同士の骨がひとつの場所から出てくることもあるようだ。ということになると、イエ制度に縛られた我々現代人の想像を超えた縄文人の暮らしの有りようがあったのでは、と思えてくる。「三丁目の夕日」のような「家」や「家族」は、現代人の願望に過ぎないのかもしれない。

著者は、これまでの考古学の解釈が、「現代人のものの考え方でしかない」と警鐘を鳴らす。たしかに、土器に付けられた縄目模様は、極めて現代的に「滑り止め」や「熱伝導を良くする」などと説明されてきた。しかし、そうじゃない意味があったのでは、と著者は言う。

かつて考古学者の小林達雄は、「土器は縄文人の世界観を描いたキャンバスだ」と説明したが、そうであれば、そろそろ、その世界観の中身が知りたいところだ。

戦後、我々国民の税金を使って多くの発掘が行なわれ、大量の考古遺物が出土しているわけだが、考古学者は、ただ掘って並べるばかりではなく、そろそろ先史時代人の「心」を明らかにする時が来ているのではないか。そこが明らかにされず、普遍的価値の説明もできていないから「縄文世界遺産」もいつまで経っても足踏み状態なのでは、とさえ思う。

縄文時代、科学や経済といった合理性が導入される以前の、素のままの人間のものの考え方とは、一体どんなものだったのか。世界中が農耕文化に移行する中、日本列島の縄文時代における狩猟採集文化のそれは、間違いなく人類共通の宝となるであろう。そして、こういった縄文人の世界観を明らかにするのは、これまで発掘を一手に担ってきた考古学という学問の責任でもある。

著者は土器や土偶、祭祀具などを一つ一つ取り上げ、シンボリズムとレトリックから、その構造に迫る。縄文人の世界観を解き明かそうという、この野心的な挑戦に、心から拍手を送りたい。たとえば土器に練り込まれている縄などの混和材に「意味」があると考えた考古学者はこれまで皆無であり、この『縄文人の世界観』は、今まで無視されてきた数々の事例に説明を与え、考古遺物に生命を吹き込んだ日本初の考古学本であることは間違いない。

「ぜんぶ<再生>で説明できるわけがないし、それって証明できるの?」

そんな意見もあると思うが、先史時代の「心」とは、誰も目にすることができないものだ。深層心理学や脳科学を使っても、極めて証明しにくいのが、人の「心」であろう。証明できない以上は、多くの考古遺物による様々な事象や事例を積み上げ、他の学問研究の成果を援用しつつ蓋然性を述べていく他はあるまい。それは、これまでのように現代人の感覚や現代人の常識で想像して語るよりは、はるかに学問的な姿勢であるといえる。このようなチャレンジを否定することなく、今後、多くの人が(根拠を持って)この議論に加わり、先史時代の「心」が究明されていくことを望む。

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紙の本

縄文人の世界観に肉薄した労作

2017/02/06 21:06

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:猿カニ合戦 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、これまで、考古学がタブーとしてきた「縄文人の世界観」に、科学的に迫ろうとする。そもそも、これまでの考古学は、科学的な根拠や理論のないままに、ひたすら想像だけで、先史時代人の心を読み解いてきたきらいがある。残念ながら、考古学者がまことしやかに囁く「世界観」の多くは、現代人のものの考え方(経験則)でしかない。

たとえば、個人(私)、家(住居)、家族、部族、共同体、定住、集落(ムラ)、絆、人間関係(親子、集団)、祖先崇拝、霊魂(女神、アニミズム)、死(恐怖、祟り、あの世)、二項対立(男女、生死)、宗教(祭り、祀り)、哲学(送り、共生と循環)、芸術(美、装飾性)、階層(リーダー、奴隷、殉死、威信)、交易、贈与、発展(進歩)、合理性、戦争(殺人)、栽培(農耕、里山、養殖)などといった用語は、考古学のどんな本にも登場するが、しかし、こうした概念を、縄文時代にあったかどうかを、ちゃんと議論・研究した上で使っている学者はほとんどいない。面白い例を一つ。考古学は、これまで、なんの根拠を示すことなく、「竪穴住居」という用語を使ってきた。しかし、「竪穴」が「住居」であるという明確で科学的な根拠はないのだ。柱穴や炉があるから「住居」だと言うが、残念ながらそれは、保証の限りではない。

本書は、こうした問題点を踏まえたうえで、それを解決すべく、シンボリズム論を提起する。結論的に言うならば、シンボリズムの中でも、とくに心理学者のカール・ユング、エーリッヒ・ノイマン、そして宗教学者のミルチャ・エリアーデ、民族学者のネリー・ナウマンの主張する再生・誕生のシンボリズムという概念が、縄文社会の本質ともいえる「普遍的認知」であることを確信し、具体的に資料を読み解く。

再生・誕生のシンボリズム論は、ややもすると、恣意的であり「こじつけ」的などと揶揄される。それは、例えばこの理論が民族学や神話を援用していることが、嘘くさく感じさせているようだ。もちろん、民族学や神話は、現代的な変容を遂げたシンボリズムであり、そのまま縄文社会に置き換えることは誤りだし、本書ではそうした援用の仕方はしていない。現代的な変容を削ぎ落としてから使う。誤解があるようだ。本書は、あくまでも、人間の根源的な「普遍的認知」としてのシンボリズムを追求する。

著者のシンボリズム論は、例えば、「ストーンサークルは、なぜ円いのか」、という「普遍的認知」の中身に対する疑問を解決するための解釈論だ。従来の、民族学や民俗学だけでなく、心理学や哲学、宗教学、そして脳科学などを総動員して、先史・古代の謎を読み解こうとする試みだ。「なぜ、そうするのか」、それは、根拠のない想像や類推の考古学からの脱却であり、科学的根拠のある考古学の確立を目指すからだ。

「すべてを再生で読み解くこと」への違和感は、著者への批判の中心だ。しかし、「なぜすべて再生ではだめなのか」を理論づけて非難することが求められよう。単に「すべて再生ではおかしい」というのでは、学問的な反論にはならない。著者の論考には、根拠が示されているのだから。

たしかに、現代科学においては心理学や宗教学の言説の証明は難しい。しかし、民族学的事例の積み重ね、考古資料の分析、哲学的解釈などによって、仮設の「蓋然性」を高めることは可能だ。

そうした意味からも、本書は、これまで考古学がタブーとしてきた領域において、きわめて有効な方法論を提起する。考古学者の言説に、フラストレーションの溜まった読者には、必読の書だ。

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紙の本

着眼点は面白いのかも知れないが

2016/07/13 10:37

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nyab123 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書はレトリックとシンボリズムによって縄文時代の世界観を解き明かそうとするものである。著者は遺構や遺物の知識も豊富で全体として勉強になる。
問題はその解き明かし方である。一言で言えば縄文人はすべての事柄を再生に結びつけていたと主張したいらしく、ユングだとかエリアーデだとか持ちだしてそれは普遍的無意識であると根拠づけているらしい。だが、何でもかんでも再生に結びつけるのは無理矢理だと思わないだろうか。
縄文の模様は蛇の模様だから再生である。眉毛は月を表すから再生である。うねうねした模様があったら蛇なので再生である。円は再生である。四角は再生である。三角は再生である。竪穴住居は母胎だから再生。石は再生。木は再生。土は再生。骨は再生。赤は再生。白は再生。黒は再生。緑は再生。水があれば再生。山があっても再生。石棒は蛇だから再生。ストーンサークルは円だから再生。洞窟は再生。島は再生。丘は再生。
ここまで読み進んでもううんざりし始めるのは私だけだろうか。
じゃあ何なら再生にカウントされないんだと言いたくなる。
神話的世界観を生きていたのだと著者は言うが、その発想は面白いとしてもそれがすべて再生に収斂してしまっては考古学的な狭隘な議論を覆したいという著者の思惑に反して議論を貧しくしてしまうだろう。
第一、再生にそこまで固執しながら、何を再生させたいのかが表現されない。それは無論人間を再生させたいのだろうが、その目的語に値するものが出土しないのは不可解ではないか。
あらゆる事象に再生の意味を付与しながらその内実は表現しないのはそれだけ実存的に充実していたということなのだろうか。ここまで執拗だと強迫神経症めいてさえ思える。目的を欠いているから再生を再生させるという無限循環に入り込んでいるようにさえ見えるのだ。
著者は現代人の思考で縄文人を解釈してはならず、彼らの不合理な思考形態を理解すべきだとしているが、であればこそそれを現代の研究から断言してはならないのではないか。ましてや自分にはユングやエリアーデなどの研究の根拠があるので正しい、既存の研究者は自説を主張したいのならば根拠を見せろというのはただ攻撃的なだけで議論にはならないだろう。
本書に書いてあったように縄文人が何でもかんでも再生に固執したという可能性は否定できないが、文献もない世界観を断定することは避けながら冷静で多角的な分析を期待したい。

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2017/03/03 16:48

投稿元:ブクログ

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2018/09/15 08:41

投稿元:ブクログ

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