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いつもモヤモヤしてきた時期に発売されて、読み終わったころには癒されています。ばななさんありがとう〜。
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P70「あの日」助手席の当然と切なさと呆然。
連載していたものかと思ったら書き下ろしでびっくりした。
父とのことおばとのこと子供とのことどれもきちんとした思考を書き綴っているように見えた。
たまにもっと物書きっぽくぴったりの難しい言葉があるんじゃないのというものやページめくった数行はいらないようなというものがあった。
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「死」
手綱をぎゅっと握りすぎず、そして緩めすぎず。不意のことがあっても対応できるようになるべく整えて、道なき道を自分の体という馬に乗って歩いていくのだ。
突っ走らせたら馬はへたるし、ぽくぽくのんびり歩きすぎても鈍ってしまう。
筋肉質に鍛え上げれば、じめじめした天候などで意外にダメージが大きくなるし、ぶよぶよに太らせて甘やかしたら、いざというとき走れなくなるし。
毎日ブラシをかけて、話しかけて、いっしょに眠って、大切に。
「からだの声」
体は、私のために私の隠された気持ちを、一生表に出てくることのない痛みを、どれだけ肩代わりしてくれているんだろう。
「秘訣」
私は男尊女卑の人といっしょにいるとじんましんが出るほどに、苦手だ。あと女を「女!」としてしか見られない人とも同席したくない。せっかく人としてしゃべっているのに足とか胸とか見られるとたとえ五十代でもがっくりくる。
自分がキリキリしていると感じたら、自分の仕事を減らす。なぜか?女だから。女はキリキリするととにかく体に悪い。子宮という特殊な内臓に悪い。ただそれだけのことだ。
「明日があるさ」
私たちはいつの頃からか、こんなにもなにか高みを目指さないといけなくなったんだろう。
いつから、少し先を見越して対策をたてていないといけなくなったんだろう。
のんびり生きたら社会落伍者みたいに思われてしまうようになったんだろう。
きれいな身なりをしていないと行けない場所があることは、そしてそこに行けないことは、いつのまに恥ずかしいことになってしまったんだろう。
生きていける分稼いで、自分にとっての快適な環境を知恵を尽くして探して、探求していく道の半ばで命尽きればいいのではないだろうか。
どこかでむりをするとあとで必ずそのゆがみがなにかの形で現れる。
体のスピードは人それぞれ。それぞれがそれに忠実に生きて、手を抜かずかといってむりもせず、むりをしたら数日かけてそれを取り戻し、熱が出たら素直に休み、それができたらもう少しみんな他者に影響されすぎずに生きられるのではないだろうか。
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学生時代に読んで以来,ずっと遠ざかっていた著者の名前を久しぶりに拝見し,エッセー集とうことですが読んでみました。
私は,著者の作品の中では「白河夜船」の読めば読むほどこの作品独特の雰囲気に引き込まれていく感じが好きですが,このエッセーでは久々に著者のその何とも言えない空気感に触れられた気がしました。
年月を経て,子育てをされる中で,いい意味で肩の力が抜けられたように思いました。
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読書記録です。まだの人は読まないでね。
エッセイ集を続けて読んで、著者は子どもという超現実を抱えながらもほぼそのまんまだな~と感じました。
仕事に対する部分は現実的だけど。
他の著者のエッセイ集も読んだけど、文章を書くって大変なんだな~と思いました。
本音を言いたいけど書いちゃダメな部分を、どこまで著者らしく書けるかという戦い。
お子さんが絡む部分では「あ~あるある、著者もヒトの子ね~」という部分と、母となっても「その感性は吉本ばななのまんまだね」と感じる部分があって、おもしろかったです。
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「人間にとっていちばん大切なものは心の自由だと思っている。」
こんなにもはっきりと言い切れる信念がある事に、なんだかとっても清々しい気持ちになったし、心強く感じた。
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名前変えたんや。わたしが子供の頃から本を出しているのでもっとおばあさんかと思ってたの。なんとなく避けてきたので小説を読んでみようかなと思ったらエッセイだった。小説みたいな書き出しで、エッセイならもうちょっと現実味のある感じのが好きなので、ちょっと残念だった。
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吉本ばななの著作ってなんかやさしい。
短い話でまとまっていた。
内容は、両親、仲の良かった叔母、夫と息子、作者自身など。
なんでこんなにもやさしい気持ちになるのか。
なかなかの謎。
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愚痴と回顧と自己主張のミックス。
鬱陶しいと思いながらも読めちゃうのはどこか感じるところがあるんだと思うけど、所々に受ける違和感(自分はこんな人間だからみたいなところ)がエッセイだから?好きになれないなあ。
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吉本ばななさんの日常と、記憶の断片に触れるような・・・ちょっと不思議な感じがするエッセイ本でした。
著者の物事の捉え方が割と感覚的なので、共感できるかどうかは人によると思います。私にはわかったり、わからなかったり。
個人的な感想としては、他のエッセイよりも読みにくかったですね。話題のせいか、書き方のせいか・・・。色々ととっ散らかった印象を受けました。
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大学4年から新社会人1,2年のころに新刊が出るたびに一気に読んでいた。『とかげ』あたりでパタリと読まなくなって幾星霜。同窓会でン十年ぶりに旧友と再会したような気分。まったく別の人生を歩みつつも、同じ時代をそれなりの月日を重ねてお互い生きてきたんだねと妙に感慨深かった。
まずはひと言、見事なエッセイだ。
ジェーン・スーとはひと味もふた味も違うぞ(当たり前か)。いや、三浦しをんや、さくらももこも、こうは書けないよなという「書き下ろし」の名文がつらなる。まぁ、エラそうに人の文章の良し悪しは言えないので、要は自分の感性ととっても合うんだろうなと思う。
それと、テーマというか、内容がやはり普遍的なんだな。変に日本のサブカルや昨今の流行り廃りが語られるわけでなく、また個人的なニッチな想い出に終始しないところがいい。世界各国で翻訳本が売れている理由もさもありなんだ。
このエッセイ集で目立つのは、父吉本隆明を亡くしたこと(2012年3月)による述懐。遠い記憶や夢に出てくる話などなど…。 私も最近じゃあないけど、あなたの作品をよく読んでいた20代から今日までの間に同じく父を亡くしたよ。父と娘との関係ほどじゃないので、夢にしょっちゅう出てきたはしないけど、父親にまつわるエピソードはジーンとくるものがあった。「ほととぎす」と題された章が素敵だったなあ。
他には「神の声」という章。父親の痛ましい最後を思っているときにその声が届く。
”「それはお父さまがご自分を大切になさらなかったからです」
だれかが言った。ほんとうに、はっきりと言った。男の人か女の人かわからない声だった。”
あの時代の男どもは、みんな自分の身体のことや健康なんて顧みないで働いたんだよ。お蔭で親父の死を反面教師に、結構無難に無理なく人生設計を改めたりしてきたのかもしれない。彼女の文章からも、どことなく”無理しない”みたいな気持ちがところどころで顔をのぞかせる。
例えば、きっちり律儀、ものすごく細かく統制のとれた日本の暮らしの中で、
「たまに意識してあの感じを取り戻したいなと思う。
ま、いいかの心。」
と、つぶやく。あるいは、自分の身の丈もよく解っていて、
「とても大切なことは、自分が自分の好きなものをきて、自然にふるまえる、そういう場所で使う金額の基準こそが、自分の人生で必要なお金の基準なのだ」
と言い、そうすれば、人生のパートナーが決まってくるし、どのくらい働けばいいかもわかってくるという。この感覚はよわかる。自分が心地好く感じる無理のない”ゾーン”というのが、この齢になって非常によく解ってくるもんだ。
いやな人間関係も、ガツンとぶつかるのでなく柔軟だ。
「相手からじめじめと送られてくる暗い思いを感じたら、ひたすらそれをクリーニングして、相手にはねかえす。そして必ず、その念が相手に戻る時には小さな、取るに足らない光になっていますようにと願う。」
基本的に、彼女は強い人なんだと思う。強くて、柔らかだ。そんな感性を通じて、文章なんだけど映像を見させてもらっているようなんだな。小説を読んだときにも感じていたけど、印象的な擬態語、擬音語を通じて表現される、言葉で表しきれない気持ちや感情が、このエッセイの中にも優しく溢れている(そういえば、奇抜な擬態語の類は、ずいぶん減ったな~。 でもなくはない。「死はドバっとそしてブシャと来るわけではない」とかある・笑)。
それにしても、日常のエピソードですら味わいがある。
「白昼夢(ユーミンの名曲より)」と題された章なんて短編小説のようでエッセイとは思えない。別れた恋人に新しい彼女ができたというたわいもない話だが、友人と交わされる会話が、なんともオシャレ。
「それがさぁ、その人の顔、おまえにそっくりなんだよ」
「そんなにも私の顔が好きだったのかしら」
「顔以外がいやだったってことじゃないの?」
ふたりして大笑いして、なんだかすっきりした気持ちになった。
家に来た内装屋のおじさんとの会話も彼女の手にかかると、こうだ。
「うまいな、こういうコーヒー、久しぶりに飲んだな」
その声は私の家のリビングを染めるように美しく響いた。
声が”染める”という表現がなんともいい。「美しい会話」という章だ。何気ない風景を感性というフィルターを通じて見ている感じ。こういう表現力が彼女の持ち味だ。
「品」というタイトルの章。
欲のない、まっすぐな心持ちの友人を、心から上品だと思うエピソードも素敵だ。
そんな昔と変わらない瑞々しい感性を保ちながらも、重ねた年月を思わせるように、
「そのマイペースな感じにいつか必ず男がひっかかってくるから、身ぎれいにだけしていてね」と年下のファンに語りかけ、
「あなたたちが当然と思っているそのこと、今だけ別の角度で見てみませんか?私たちの世代からはちょっとおかしく見えますよ」と、若い世代に苦言を呈す。
その感覚も、実に同世代という感じで共感できる。そして加齢とも賢く寄り添うように、
「体のスピードは人それぞれ。それぞれがそれに忠実に生きて、手を抜かずかといってむりもせず、むりをしたら数日かけてそれを取り戻し・・・」
とマイペースをキープし、
「生きていける分稼いで、自分にとって快適な環境を知恵を尽くして探して、探求していく道の半ばで命尽きればいい」
と達観する。基礎代謝が落ちて、太っていくこともなんのその!「なんて楽なんだろう。これを敗北と呼ぶなら呼んで!ってな感じだ。」(ってのは、ちょっとジェーン・スーっぽいぞ・笑)
この同世代の作家は、うちの近所の代々木公園を通って、こう語る。
「葉は、空は、水は、常に私たちの目を清める。
その恩恵をふわっとまとって、たとえ都会にいても私たちは生き生きとできる。」
いいね~、週末、代々木公園を散歩しに行こうっと。
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最近(といってもすでに10年20年という単位)の著者はずっとこういう感じだな...と思いつつ読んだけど、それはきちんとした理由とポリシー、生き方に基づいているんだということに改めて気付けた一冊。私自身、『キッチン』に出会ったのはずっとずっと若い時であり、そこから幾星霜、著者も自分も年を重ねて成長しているのだなと。
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エッセイ。
「わたしは傲慢じゃない!」と言いたいのかなあっていうのが印象。傲慢な人として周囲から接されてるんだろうか。
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「ほんとうに愛している人同士が別れるときは、心からつらくてもなにかとても温かいものがある。それこそが愛の感触なのかもしれない。」
この感覚が分かる私は、幸せなのかもしれない。
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「本というものは時空を超えられるし、どんな淋しい夜にも私たちに寄り添ってくれるものだから、…」うんうん、本に救われたことがどれだけあっただろう。
あと、携帯orスマホの契約の時、アプリを契約させられることへの記述、ホント同感です。