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コンピューターと人間の基本的な違いをよく考えてごらんということが書いてある。小林雅一「AIの衝撃」とは、だいぶ違ったことが書いてあるように感じた。
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【非・人間機械論】
シンギュラリティの言葉に代表されるような、人工知能が人間と同等(それ以上)の知性を獲得する未来は到来しないと著者は主張する。人間の生命活動における判断は根本的に「生存本能」と結びついている点で機械と大きく異なる。
知性の働きを「目標設定」と「問題解決」に分けると、課題解決は機械に可能であっても、生存本能を持たないためそもそも自ら目標設定する事が出来ない。ここに根本的な機械に超えられない壁がある。
【集合知、Deep Learningの過信】
現在注目を浴びているDeep Learningを筆頭とする人工知能の技術は基本的に過去のデータを大量に学習した統計に基づく論理計算の結果を出力しているに過ぎないため、過去から仮説推量すること以外はできない。人間は身体知・暗黙知を使って判断する為、過去に無かった事例に遭遇した場合でも自らの理性に基づいて臨機応変に対応できる。
よってAI万能説は否定し、Deep Learning等による結果の集合知はあくまで判断材料を提供するIA(Intelligence Amplifier)として使用し、最終的な判断は複数の専門家らによって行われるべきと著者は述べている。
【今後必要な人材】
また、最後に著者は、プログラミング技術やリテラシーではなく、システム構成を根本的に理解するエンジニアとしての知識と、情報と知性の本質について考えられる文理融合の統合的な情報学の能力を有する新たな人材が必要であると主張している。
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主に読んだ箇所のまとめ。
・機械学習
・ディープラーニングの概要
・現在進められてる人工知能は、あくまでも所与の目的関数の元に判断し、正しい結果またはその根拠になる蓋然性(確率)を提示するだけ。これは「機械」。
・一方「生物」は、「生きる」という広義の目的の元に、個々の目的関数を設定。必要に応じ分析、判断もする。
・ヨーロッパ系研究者に多い汎用人工知能を危惧する声は、人間機械論を前提とし、目的関数の設定さえも可能と勘違いしているから(?)。
・一神教の延長線上には、神を頂点としその下に人間、(人間以外の)動物などを置く秩序体系がある。しかし人間機械論に立てば、すべてのことは一つ(目的)につながるので、機械でさえも目的を設定する最上位、神の位置に立てるのではと考えてしまう。
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AIにより人間の仕事が取って代わられるという野村総研のレポートに衝撃を受けたけど、真っ向から反論する内容。両方の視点を押さえておく必要があると思うし、自分には全くなかった観点だったので読んで良かった。
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世の中にやたら大量のデータが溢れ出し、データの特徴は3V(量、多様性、速度)。
ビックデータで何が嬉しいか、「データが富を生む」という発想。
日本だけでなく多くの経済先進国では以前ほどの経済成長率を見込めない一方、増大し続ける社会保障費のために苦しんでいる。これを賄うために増税すれば国家財政は健全になるものの景気が悪化し逆効果を生むかもしれない。もっとも望ましいのが技術革新によって斬新な商品やサービスを生み出し、経済活動そのものを活性化すること。
ビックデータの利用で「人々の個別の細かい好みに応じた新たな消費需要をビックデータ分析が掘り起こす可能性」が生まれる。(マッチングの精度を高める)
途上国であれば平凡な規格品でも需要は大きい(マスプロ型)が、先進国では個人の好みを踏まえた多様なカスタムメイドの商品やサービス(パーソナライズド)でなければ消費活動が滞る。
(そうすると個別化の行き過ぎの先に少し揺り戻しが来たり、そのあたりのゆらぎを繰り返して最適値を目指すはずだな)
インダストリー4.0(ドイツが国策として推進)ースマート工場
先進国の共通事項。国内の労賃が高いので大量生産される規格品の中の価格競争では新興の開発途上国にとても太刀打ちできない。そこで生産拠点を労賃の安い開発途上国に移したのだが、これは技術ノウハウの流出や国内の雇用不安と失業率増大、さらには経済格差の拡大を招いてしまった。製造業を国内に戻すことが特効薬とみなされている。
スマート工場:人間はいないが労働の質が変わる。製造業に多くの人出が必要。現場の単純作業は不要になっても製品設計、工程管理、ロボット保守、そしてデータを扱うコンピュータのハード/ソフトの開発維持の手間ははるかに増える。
ビッグデータは社会の富を増すだけでなく、「社会的安全性」を高めると期待されている。
老朽化したインフラメンテのためのビッグデータの分析および予測。自然災害の脅威などからも張り巡らされたセンサーによって位置情報等をはあくして高度できめ細やかな対応が可能に(管理社会?)災害避難の際の経路誘導
各種資源の有効活用。化石燃料、水など。予防医療。
プライバシー侵害の恐れ
基本的人権と社会的安全性の両立はビッグデータとプライバシーをめぐる最大の課題。
人間周りの解析にはデータは主観的要素が含まれすぎるのでは?
因果から相関へ。強調フィルタリング。
演繹ー数学的(論理的思考)一般ルールと個別条件が成り立てば帰結は成立する
帰納ー科学者(例外を除けば)個別事実と個別条件を組み合わせて一般ルールを導く
仮説推量(アブダクション)個別事実と個別条件を導く。ある一般ルールの存在を前提にしてこの事実が起きた背景にこの条件が成り立つ
人工知能
暗記はコンピュータに勝てない
コンピュータの難題は意味理解と適切なデータ検索(マッチングまたは最適化問題)
人工知能で真面目に問題を解こうとすれば一般的で抽象的な知識命���群のうち、どれを推論操作にいれればよいのかの選択が常に問題になる。フレーム問題、言い換えればコンテクストを読むこと
並列推論マシンの失敗。逆の発想のインターネットが盛り上がった。クローズドかオープンか。
根本的な原因はリーダーたちが知識や論理、そして特に言語コミュニケーションというものに対する洞察を欠いていた点。
立ちはだかっているのは自然言語で表される人間の知識をいかに論理命題として表現すべきか。どうすれば具体的問題を解決できるか。そのための条件は何かなどの問題。
パターン認識:あいまいな対象を多少のミスがあっても大雑把に認識して分類する作業
>人間の知的能力はもともと柔軟で多次元的なものであり、その最大の特徴は状況に応じて臨機応変に問題に対処できること。
>コンピュータはプログラム(前もって描かれたルール)によって動く。つまり過去によって支配されている。人間は「現在の時点」で判断しながら生きている。
>自分は前者に近いし、これだとなぜ動的な人たちが「意味」を取れるのかわからない。動的な中に多少静的な部分がないと難しそう。混合体じゃ?
>機械は静的な再現可能な存在で、人間は絶えず自分を変えながら生きる動的な存在。
この宗教や思想観と人工知能の思想というか学術思想の関連に関しては非常に興味あるテーマなのだが、この本だとユダヤ=キリスト教思想を一緒くたにしすぎている嫌いがある。少なくとも二つには別れており、それらは非常に仲が悪いわけで。。
日本のIT専門家がシンギュラリティ仮説を論じるのは、欧米の秀才がそれを信じていて、予算を握っているため。
課題としてはこの日本人の宗教盲だろうな...たぶん
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「ビッグデータと人工知能」
しばらく前から社会にあふれるデータをビッグデータと言って話題にはなっていた。そこに来て、囲碁でコンピューターが人間に勝ったと言うことで人工知能が急に脚光を浴びるようになってきた。
その上、2045年にシンギュラリティが起こるという予測を楽観論、悲観論を合わせてマスコミが煽っているので、ますます注目されて来ている分野である。
しかし本書は技術的に冷静に分析していて、特にシンギュラリティ仮説は欧米のキリスト教的な価値観によるところが大きいと指摘して、欧米人は人工知能は神が与えたものとして信じ込むかも知れないと言う。
一方著者は知能とは生命が生きていくために発達させてきたものであり、コンピューターによる人工知能はどこまで行っても計算と考え、知能ではないとし、計算結果を神のお告げのように信じ込むことの危険性を指摘している。
議論が進むにつれて次第に哲学的、宗教的になってしまい、技術論を越えてしまう。
コンピューターがいくら進化しても意識を持つことはないかも知れないが、人間側が意識を持っていると感じることはあり得るので、結局は人間の問題なのだろう。
コンピューターが進歩して意識を持ってもいいような気もするが、その意識は人間には認識できないかも知れない。
また、人間も有機物からできた計算機だと考えられなくもないわけで、やっぱりかなり哲学的な話になる。
いずれにしても現在の技術の延長線上では人間の知性に匹敵するコンピュータを作るには膨大な開発費とそれを動かすための莫大な電力が必要になり、開発した結果がとても天才とは言えない普通の人間の知能だったら、ただの笑い話になってしまう。
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著者の見解にはおおむね同意です。
ただ,読み終わって少し経ってから,一つの疑問がふと頭に浮かびました。
「人間はミドリムシ一つ作れないのだから,より複雑な脳と同じ働きをするAIを作ることなどできない。」というアナロジィについてです。
ここで比較すべきは,「脳と同じ働きをするAI」(=脳の動きをシミュレーションするプログラム)と,「ミドリムシの動きを完璧にシミュレーションできるプログラム」ではないでしょうか。
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さすが西垣通と言わざるを得ない。
視点が高いし、指摘が的確すぎる。
最近再来した人工知能ブームやシンギュラリティということが強調されることに、どう説明したら良いのか分からない違和感の様なものがあったのだが、それに対して正面からばっさりという感じ。
ああ、やはりそうなんだと。でも今まで誰もそう言ってくれなかったから。
シャノンの情報理論から端を発する、情報にまつわる文系・理系の問題等これまで長いことモヤモヤしていたことにもスッキリ答えを貰えた気がする。
これは、タイトル以上に社会情報全般を網羅した標準テキストだと言えるのではないだろうか。
別の目的で購入したのに、読んで非常に得をした、大当たり。
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AIを技術的側面からではなく、社会科学的な側面から捉えたいと考えている人に最適。
生物と機械の違いが本書の基本テーマ。感銘を受けた。
しかし、「AIは仕事を奪わない」という主張は、現実の労働市場を知らない学者さんの意見という印象で、同意できない。
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AIについてのテクニカルの話ではなく、シンギュラリティはない、AIとの折り合いのつけ方についてかたる話。
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いわゆる人工知能は素晴らしい派の私にとってはいい意味で刺激を受けた本。シンギュラリティの背景にはユダヤキリスト教の一神教との関連性を含ませた視野は興味深い。全ての難問を解決してくれるであろうAIに私は神性を感じていたのであろうか。
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・ビックデータとプライバシー
ビックデータと個人情報保護の問題について。これはよく問題になりますが個人的には便利であれば人は自分の個人情報さらけ出すことに対して嫌悪感がそれほどないのではないかと思います。例えばスマートフォンをみんな所持してますよね。GPSがついているので、いつどこにいたっていうこと情報が世に流れており、それを追跡すれば誰がどの会社が働いてるなどいった情報はすぐにわかります。またfacebookやラインといったサービスなんて誰と誰がどのような繋がりがあるかということを簡単に提供しているわけですけれども便利さに魅了されてそんなこと気にしてない人のほうが多いと思います。それが何故かニュースではある企業から個人情報が漏れたと大騒ぎしていますが、少しセンシティブになりすぎなんじゃないかなと個人的には思います。といった当たり前の問題には触れられてなくて、問題なのは企業が顧客に対して行う告知が難しくなることだと言っている。企業は顧客から集められる情報をこんな風に使いますと告知を行うのですが、ビックデータを分析できるようになってからはその告知をとる時点でどのようなデータと組み合わせでどのような分析をするかってとういところまで言いきれないということが問題だと提言しています。また、ビックデータ分析によって人の行動パターンを予測しすぎて人の人権を侵害してしまうのではないかというよくある問題についても触れられています。例えば幼児を対象とした性犯罪を犯す人物はこういった身体的特徴や性格を持っているだから監視しようとなってしまっていいのか、ということです。これは、もともと人間は他者を評価するときにある一定のステレオタイプを介して判断しているのと同じだと思いますし、むしろ、ひとの偏ったステレオタイプよりもデータを分析してわかった結果のほうが完璧とはいいませんけどまだマシなんじゃないないでしょうか。という一般的な議論はやはり通り越していて、筆者としての問題提起はデータ分析をして出てきた結果のせいで誤認逮捕してしまったとなったときに責任の所在がプログラマになるのかそれともそのデータを活用した人になるのかそれが曖昧なるということです。
・ 機械と生物の違い
機械と人間が大きな違いは「臨機応変さ」と「優先順位の変更能力」です。例えば機械のプログラミングするときはプログラマーがプロブラムを起動させる際に起こりうることをあらかじめ想定してプログラムを書きます。その起こりうることからもれた事象が発生するとエラーとなってしまいます。例えば最近やったことでいえば、エクセルである列に入っている月の三ヶ月前のその右に表示するという簡単なプログラムを作ったのですか、単純に考えてマイナス3すればいいだけですけれども1月2月3月をただ単にマイナス3してしまうと-2月-1月0月となってしまいます。人間の場合そこは臨機応変に判断できるというのが違いです。優先順位の変更能力ですが、例えば今話題の自動運転だと、目的地を設定すれば渋滞などスルスル避けて最短の時間で目的を達成する能力をすごく高いのですが、その過程で家族が倒れ���いたりしても素通りしてしまいます。人間だったらすぐさまに目的地を変更して助けよう気持ちが普通は働きます。つまり、人工知能はある目標に向かって効率的に進むことは大得意なのですが、途中で別の優先すべき問題がおこった時対処するのが難しいのです。
・ 文系と理系の融合が必要だ。
ITの改革がそれほど進んでいない理由はやはり文系と理系がきっぱり別れすぎていることだと考えています。一昔前までは理系の人はとりわけITに関する人はコンピュータの前だけで作業していればよく文系の人もそれをマネジメントするだけでよかったのですがITの発達によって、スマートフォンやIoTのようにありとあらゆるものにITが介在するようになり、IT抜きにもう企業戦略や政治や経済を考えることができなくなりました。それにも関わらず文系と理系の融合がなかなか進まないのは文系の人にも理系の人の意識に問題があると思います。文系の人は理系の人をただの技術屋だと思っていて必要なときにただ請負として利用している、ある意味で見下しているケースがあると思います。また、理系なんて全くわからないと考えることを放棄してしまっているとい人もいるでしょう。また理系のひとで自分の趣味だけにもっとして会社の未来なんてどうでもいいや社会なんてどうでもいいやと考えて文系の分野に全く関心持たない人が多いことが文系と理系がなかなか繋がらない大きな理由です。この問題を解決する方法はコテコテの文系の人の中でもある程度理系に理解がある人一方でコテコテの理系の中でも文系にある程度興味を示している人をいかに見つけるかが大事。また、それを繋げれるような人材も大事だと思います。要するに相手の立場に立って物事を考えられる人が必要になってきます。
・ スペシャリストとジャネラリストの関係
これは凄く面白い。著者的にはインターネットの発達によって情報量が増えすぎ人がスペシャリストになることさえも大変な時代になっていると感じている。より、専門家が知り得る領域がどんどんどんどん狭くなっているという問題提起をしています。そうなってしまうと他人への理解がまったくなくなってしまって、もともとかいきにくい世の中になるじゃないかとおっしゃっています。しかし、これを解決するのもインターネットで、うまく活用すればたくさんの人の意見をすぐに集約することができ、ある意味でゼネラリストの意見をスペシャリスト受け取れる状況になっており、スペシャリストは自分の分野外の新たな知見を取り入れつつ自分の専門領域をさらに込めることができ、より一層よくなるのではないかと考えている。
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ずっと日本のコンピュータの進歩に携わってきた著者のAIに対する俯瞰した冷静な視点を知りたくて開いた新書でした。が、熱い熱いアンチ・シンギュラリティ論でした。その熱さは著者も関わった1980年代の日本の第五世代コンピュータプロジェクトの失敗体験から来ているのかもしれません。シンギュラリティを礼賛するカーツワイルの楽観主義をもともとコンピュータ開発の根本にあるユダヤ系普遍主義者たちの理想主義や宇宙観にあるとし、それを相対的文明論で批判していきます。そう、AIを理系の技術ではなく文系も巻き込んだ大きなテーマとしてみんなで考えることを提唱しています。AIと共生する時代のリベラルアーツの必要性を語る本でした。予想を超えた読後感。
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人工知能って何ができるものなのか、実際何をやっているものなのかを理解しておく必要がある。
ビッグデータの扱いについても同じで、統計ってものの正体はけっこう意外なものだったりする。ややこしいのは統計処理って真実とは違うものなのに、現実の現象を割と言い当てたりするってこと。
まさか技術的特異点に到達できるとは思わないけど、そうだと勘違いする時代は来るかも。やだなぁ。
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コンピュータ・ソフトの研究開発に携わる著者が、近年注目を浴びるビッグデータ、AI、ディープラーニング、シンギュラリティなどについて、基礎情報学に基づいて整理する本。2045年にコンピュータが人間を凌駕するシンギュラリティは、超越的な造物主を信じるキリスト教の思想に基づいた発想であり、実際には実現しないと論破するところが興味深い。