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【ベストオブそばエッセイ68本!】50年以上の歴史を誇る雑誌『新そば』に掲載された「そば随筆」アンソロジー。天皇の料理番から若尾文子、北島三郎、日銀総裁まで。
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季刊誌「新そば」に半世紀にわたって掲載されたエッセイから選りすぐりの67編。古くは昭和30年代の桂米朝、秋山徳蔵(天皇の料理人)から若いところでは隈研吾や浅野忠信まで(全体としては故人多し…存命の人は数える程度かも)、役者や文化人、学者が「そば」をキーワードに自由に書いているので、思いもかけないおもしろい話に出会えたりする。移動など細切れ時間でのすきま読書にも最適。
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季刊で「新そば」という雑誌がありますが、その編集でまとめられた「そばと私」(2010.9)を読みました。図書館に購入予約して最初に読ませていただいてますw。池部良、北島三郎、衣笠祥雄、ジェームス三木、梨元勝、桃井かおり、若尾文子さんなど67人のそば好きさんが集合しています。そばに関する思い出を綴ったエッセイです。泉下の客になってる方も多いです。
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季刊誌「新そば」に掲載された蕎麦好き著名人の蕎麦に関するアンソロジー。
ギリヤーク尼ヶ崎「もりそば」、岡部伊都子「おそば、のお口」、佐多稲子「旅の記憶にまじるもの」、篠田桃紀「おそばについて」、椋鳩十「薩摩ソバ」が好き。
どのエッセイもそば愛に溢れ、読んでいると蕎麦が食べたくて食べたくてたまらなくなる。
家に蕎麦の買い置きが無かったから、ペペロンチーノで代用したけれど、やっぱり蕎麦欲は蕎麦でないと満たされないということを実感しただけだった。
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色々な分野の著名人による、蕎麦エッセイ67篇。
面白かったです。
普段はそばよりうどん派ですが、そばが食べたくなりました。
ジェームス三木さんのそばの哲学「線状食物にはきちんと、始まりと終わりがある。これは人生や寿命を、暗示しているに違いない。」にふむふむとなり、宮柊二さんの「月夜の晩には花の咲いたそば畑をじっと見るものではない」にひええと思ったりしました。(月光を浴びたそば畑の花の白さが水に見えて、何処までも泳いでゆくことになるらしい)
何人もの方が、そばをあまり汁につけずに食べていた人が亡くなるときに「一度でいいから、そばを汁にたっぷりつけて食べたかった…」と言ってたとよく聞いたとおっしゃってて、粋に見えずともそばは汁に好きなようにつけて食べようと思いました。
目次のお名前だけではぴんとこなくても、それぞれのエッセイの最後にお名前・略歴と顔写真が載っていて、この人か!となるのでありがたかったです。
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ページをめくる度に「この人は誰だ?」と思うことが多かった。
半分以上は知らぬ方々だった。知っていても、殆どが懐かしい方ばかり。
蕎麦好きは多いが、蕎麦嫌いも多い・・・
(最後の1行、)ホントはうどん好き・・・
・・・・・・・面白いね。
かなりな過去の方々が多いせいか、
紹介されても無くなっている店もあるんだろな。
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昭和35年創刊の雑誌「新そば」に寄稿された蕎麦にまつわるエッセイ67篇を収録。故人も多い。さほど蕎麦を好きではない人も何かしら蕎麦に関する思い出の一つや二つあるのだろう、と納得するほど温度差のある各文章。個人的にはラーメンほど心震わせる食べ物ではないと思いつつ読んだら食べたくなっていた。御馳走様。
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季刊「新そば」に掲載された「そばエッセイ」から67編を選んだ集大成文庫。赤塚不二夫、淡谷のり子、永六輔、桂米朝、菅原文太、丹波哲郎、三波春夫、養老孟司、若尾文子・・・・・67人が蕎麦への愛と蘊蓄を語る。
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そばに纏わるエッセイ集。小説類の三角読みの合間の箸休め的な本としてピッタリ。鬼籍に入られた方の文章も多く掲載されていて懐かしい。
文太さん曰く、ラーメンやカレーライスとは違い蕎麦だけは不味いと食えたものではないが、にもかかわらずかなり不味い蕎麦屋でも潰れないで堂々と営業しているのがマカ不思議。これは日本人ははそれほど蕎麦好きで蕎麦屋に寛大なのかもしれないとのこと。同感。