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柴田元幸が編集するムックMONKEYに連載されていた春樹のエッセイ。文庫になりました。長年、春樹を読んでいる身としては書かれている内容はむかし村上朝日堂に書かれているエピソードとかぶっていることも多くあまり目新しいことも無いが、いまさら朝日堂が再開されるわけでもないし、晩年の気楽なエッセイか。初期の春樹は自分の少年性を全面に出していたが、年々作品を世に出すたびに若い読者も獲得し、翻訳も世界中で読まれ、ずいぶん成功した国民的作家となってしまった。
春樹がデビューして間もない頃に芥川賞の候補からはずれたこと、そもそも日本の文壇から最初から距離をおいていることも既に今まで春樹によって語られていることではあるが、おそらく長編小説『1Q84』によって「若い女性」による「書き換えられた作品」で「芥川賞を狙う編集者」が描かれることで(揶揄することによって)春樹のわだかまりは昇華されたことだろう。……というようなことはこの本には書いてありません。そういうことを長年の読者が想像して楽しむ本かもしれない。
賞なんてどうでもいいアピールは毎年話題になるノーベル文学賞の騒動に対する布石でもあるか。
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このようにして村上春樹がある.ということがわかる.真摯で妥協しない,媚びないところなど,どこか職人としてのあり方に近いような気もする.
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いや~、面白かったです。一番好きって訳ではないけど、でも重要作品が多いこともあって、その著作は結構な割合で読んでいる作家が、創作活動について語った作品。とりあえず、森博嗣とは向き合い方が全然違うんな、と(笑)。自身も書いている通り、どんなやり方が正しいとかいうことじゃないんでしょうが、心象的に、ここまで苦労した末に出来上がった作品の肩を持ちたくなりますよね。個々の作家に合った方法で、ちゃんと読者に届くものを仕上げてもらえるなら、受け手の側としては過程はどのようでも結構、とは思いつつも、こうやってその実際を開示されると、実に興味深い内容が盛り沢山でした。とりあえず、僕も走ろうと思いました。
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カバーに顔写真。良かったのだろうか。紀ノ國屋でゆっくり買い物ができないのではと心配。この本は単行本で買っておかなくては手に入らないのではと思っていたら、1年で文庫になった。こういうエッセイを読んでいるといつも思うのだけれど、村上春樹はどこでそんなに批判されているのだろう。それは初期のころの話なんだろうか。毎年10月になるとノーベル賞云々と新聞にも出るし、河合隼雄さんとも小澤征爾さんとも付き合いがあるし、何よりも出す本出す本ベストセラーだし、批判する人間がいるとしたらそれは単なるひがみ根性ではないのかと思ってしまう。心に響いた話二つ。「ノートをいつも持ち歩くのも面倒ですし、いったん文字にしてしまうと、それで安心してそのまま忘れてしまうということがよくあるからです。頭の中にいろんなことをそのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。」「もし全員を楽しませられないのなら自分で楽しむしかないじゃないか」驚いた話。「沙羅がそう言うまで、多崎つくるがその四人に会いに行くことになるなんて考えもしませんでした。」本当かよ、と思ってしまうけど、きっと本当なんだろう。笑った話二つ。読者からの手紙。「新しく出た村上さんの本を読んでがっかりしました。残念ながら私はこの本があまり好きではありません。しかし、次の本は絶対買います。がんばってください。」河合先生との思い出の中から。「うちの家内は河合先生のファンで、先生の書かれた本を熱心に読んでいたみたいですが、うちの夫婦の本棚というのはくっきり二つに分かれていて、内容もぜんぜん違いますし、昔の東西ベルリンみたいにまったく行き来がありません。ですから彼女が河合先生の本をそんなに読んでいるなんて、そのときまでまったく知りませんでした。」
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この本を読んでよかった。言葉にしてしまうと軽く思えるが、本当にその通りなのだ。
小説家として、小説に真摯に向き合う姿に感銘を受ける。小説家は常にノートやメモをとって思いついたことを書き留め、その中からいい題材をチョイスし、構成を考え、小説としての形を作り上げていくものだと思っていたら、そういう訳でもなく頭の中に残ったものを大切に小説を作り上げていくというものだった。その小説についても構成を考える訳ではなく(ある程度はあるだろうが)文章を決まったペースで書き続け、そのなかで登場人物であり、物語自身が自ら動き出すという。それを具現化、文章化するのが小説家であるという。また出来上がった文章は書きっぱなしではなく、時間を置き、寝かし、再考していき、時の最高傑作を世の中に出す。ストイックな姿勢ではないとこの仕事は無理だなと思う。これからも期待しています!
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新刊の騎士団長殺しが話題の村上春樹ですが、文庫化されるまでお預けなので、積読の中からこれ。単行本が出された時に紀伊國屋書店が9割買い切ったことで話題になった、小説を書くことについて語ったエッセイ。
エッセイではありながら、春樹の小説に出てくる一人称の主人公である僕が語っている小説のような気分でも読める。
文庫化されたのが去年の秋。ちょうど年中行事のノーベル賞受賞するかで話題になっている頃。文学賞について、興味ないよって語っている章もあったりで、それはそれでネタのようにも思えてみたり。
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自分のリズムでとりあえず前に進む。
当たり前のことだけれどもそれが1番大事。
自分のリズムとやり方を早く確立したいものです。
もう35歳なんだけどね。。
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小説を書くと言うことはすごいことなのだと思う。自分の中の暗く、深い部分へ日常的に降りていく勇気や探求心が必要だ。私は、作品を通してそういう体験を比較的楽に、例えば通勤電車の中でもさせてもらっているということなのだと思う。
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読むのにフィジカルが疲れた。集中して読んだためだろう。
実体感がある、心からそう思っているのだろうという信頼感を文章の中から感じる。そこから生まれる緊張感が疲れを呼ぶのだろう。
アウトプットすることで、人の価値、現在と未来への貢献が可能だと信じているので、アウトプットするために必要な根本の考え方の整理に役立った。
激しく同意したいのは、アウトプットする行為における、準備としてのフィジカル面の重要性。超健康体のフィジカルにこそ、健全な思考、アウトプットが生まれるのだと思う。
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さすがに文筆業を職業としているだけあり、文章に淀みがなく、流れるように読めます。
しかし、もともとは出版するつもりで書いたものではなかったと述べているように、個人的には伝わってくるものが(期待していたよりは)少なかったです。
時間をおいて再読してみたい。
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村上春樹の長編小説以外の著作を読むのは初めてだったが、とても読みやすく面白かった。彼が30歳でデビューして、それまでは自分が小説家になるなんて考えたこともなかったというのは意外だった。また自身のことを頭の回転が遅く「ふつうの」人と捉えていて、地に足の着いた実際的な考え方をするんだなあというのも今まで知らなかった一面が垣間見られてよかった。
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村上春樹はどこまでいっても村上春樹だった。すごく謙虚で視野が広くて、だけどまっすぐ生きていて、小説に対しては真摯。物語と人を繋ぐ媒介になるのがとても上手な、普通のおじさんだった。でも多分、頭の中は普通じゃないんだろうなー。誰にでもあるものを深いところまで覗く。深海のさらに深く。地盤を掘削して、地球の深淵に到達すると、村上春樹のような小説が書けるのかもしれない。でも、息継ぎも上手。
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村上春樹の職業観や人生観を知ることができ楽しく読めた。
他人の人生観を知ることは自分の中にある漫然とした人生観を浮き上がらせてくれるんだなとしみじみ思った。
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ここ数年ノーベル賞発表の時期になると繰り返される喧騒にうんざりしつつ、作家さんの本音を知りたくなって手にとった随筆。ご本人の賞に対する冷めた視点に拍子抜けするも、後進へのアドバイスの的確さには感心させられる。小説を書くきっかけに関する部分もかっこよすぎて「らしさ」が滲み出ている。
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小説家,という職業に対する一個人としての考察.小説家になりたい人への一般性があるかは不明だが,創造を伴う仕事をする者が参考にすべき点は共通する(曰く,落ち着くと創造力は減退する.曰く,長い仕事には規則性が大切な意味を持つ等).自分の思想に対してストイックであることがよく理解できる.