電子書籍
ドクターが書いた終末医療の話。
2017/05/11 22:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Masetto - この投稿者のレビュー一覧を見る
雑誌のインタビューで知ってから 読んでみたいと思っていた話。 現役の医師が書いた終末医療の話。 主人公は父親が脳梗塞で寝たきり状態にいる30代後半くらいの女性医師。 大学病院で頑張っていたのだけど 最初は本人は左遷された。。。という気になってみたいだけど 前任者の引退を受けて自宅療養の患者をみる その大学系列の診療所に移る。 だいたいはもうこれといって病院でできることはないと病院が判断したとか 本人が自宅で死にたいと 思ったとかそういう患者を診療する医師となったわけ。それでいくつかのエピソードがあって 最後は自分の父親とか母親との関係の話にも及ぶ。 明るい話題ではないけど なかなかいい小説だと思った。
投稿元:
レビューを見る
家で最期を看取る」ということの大切さと困難さ。そしてその意義が深く深く心の刺さりました。
身内が治癒困難な状態になったとしても、多分どんなことをしてでもその命を長らえさせたいと思うでしょう。一日でも一分でも一秒でも長く生きていて欲しい、と。
けれど「、それってだれのため?看取る側のエゴじゃないの?
もちろん最善の手を尽くす必要はあるけれど、本人が望まない延命は家族の自己満足であるだけで、本人にとっては苦痛でしかない場合もある。
じゃぁ、どこで線を引くのか。どの時点で諦めるのか。難しい選択だと思う。多分、正解なんてない。
「患者の意思に沿わない医療は不遜である」穏やかで安らぎに満ちたサイレントブレスを守る医療、患者の思いに愚直に寄り添う医療、それを求め続ける倫子たちの姿にきっとそう遠くない将来自分も直面するんだろうと思うと、不安と共に哀しみも覚えます。
けれど、見送るものとしてそのときに患者本人の意思を尊重してよりよき最期を迎えさせなければ、そう強く思いました
投稿元:
レビューを見る
人間の死に方、看取り方を考える本。
もう治らない病の親、配偶者をどう看取るか、
また自分ならどういう最期を迎えたいか。
重いテーマだけど読みやすくてよかった。
投稿元:
レビューを見る
読んでよかった。
「父は間違いなく母を支えている…何もできなくなっているのに、生きているというだけで。」
ほんとにそうだと思う。支えている側が実は支えられているんだ。「家族の愛情という欲」で「死というゴール」への道のりを遠くしてしまったかもしれないけれど、人生の最後まで使って、貴重な時間と体験を私達に与え、覚悟を決めさせてくれ、もう大丈夫だな、と逝った父のことを重ねた。
投稿元:
レビューを見る
訪問医療とそれに伴う終末医療現場の担当医の奮闘…というより、もう少し静かに考え理解していく物語と感じました。
巻頭にあった
サイレント・ブレス:
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉…
というのが心に残りましたね。
どんな最期が「理想」とは決められないけど、個人的には自分の最期を自覚して受け入れる状況であったらありがたいなぁって。
看護士のコースケをはじめ、訪問医療スタッフたちの和やかさのおかげで、重くなりがちなストーリーを一気に読み進めるめることできたかも。
でも今後も考えていきたいテーマです。
投稿元:
レビューを見る
わかりやすいストーリーなので、日頃考えない、終末期をいかに過ごすか、周りの人間はどう接すべきかを考えさせるいいトリガーになった。
人は「ポックリいきたい」とか「できるだけ長く生きたい」とか簡単に言うけれど、死期が迫っている状況で、果たして何が正しいことなのか?本人の生き様を終末期に集大成的に表現して行くことが大切なんだなぁと思った。
自分だったら、スパッと逝きたいなぁ。でも、似合わないか。。。
投稿元:
レビューを見る
在宅医療を通じて終末期医療の本質を描いている。どのような最期を望んでいるのかは人それぞれ、それを人に伝えることの大切さを本書を読んで感じた。身近な家族でも難しいことがある。
逝く人、残される人、立場が違えば想いも異なることもあるのだろう。
投稿元:
レビューを見る
サイレント・ブレス
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。
多くの死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。
人生の最終章を大切にするために医療は、ひとりひとりのサイレント・ブレスを守る医療だと思うのです。
筆者
と本の前書きにありますが、「穏やかな終末期」を本当に考えさせられる内容でした。
投稿元:
レビューを見る
大学病院から、訪問医療クリニックへの異動を命じられた水戸倫子。
終末期を自宅で過ごす患者たち。
〈今は看取りの医療がとても大切な事に思える〉
患者とどう向き合うか、倫子は悩む。
著者が現役のお医者様ということもあり
死についてのリアルな思いが綴られている気がする。
中でも第6話、倫子の父親の最期の話は、読む者に考えるきっかけを与えてくれる。
投稿元:
レビューを見る
在宅医療や看取りがテーマ。
死を前にして、人間のエゴややさしさが渦巻く。
上手に人生を終わらせるって難しい。
投稿元:
レビューを見る
メディア予約
同じ経験をしたことがあるので、同感できた。人がなくなるときの気持ちの揺れ動き方がていねいに、書かれているので当時を思い出して泣けそうだった。
最後の章、ドクターであるからこそできることかな?と思った。一般の人が病院で看取るときにはできないと思った。
いい本でした。次作を楽しみにしてます。
投稿元:
レビューを見る
友人にもらった本
読んでよかった!
巻頭の著者の言葉が心に刻まれた
やはり現役の医師しか書けない本だな
6話の人生の最終章のお話
自然な死を迎えることができるのでしょうか?わたし
≪ 生きたから サイレントブレス 祈ります ≫
投稿元:
レビューを見る
現役医師の書いた在宅医療、終末期医療を題材にした短編連作。高齢化社会になって終末期医療のあり方が問われるようになってきた。自分がそうなったときどうするかということを頭の片隅に置きながら、また親を看取ったときのことを回想しながら読んでいった。医師にとって医療の手を尽くしても患者の治癒が望めず死がほど遠くないという状態は、ある意味敗北ということなのだろう。少し前なら患者も家族も最期まで少しでも長く、そして生還という奇跡を信じて医療に委ねただろう。しかしそればかりが正解ではないことが昨今言われている。
現代の私達は人間の「生」と「死」をあまりにも簡単に医療現場に丸投げしてしまっているのではないか。しかしそれを身近なものとして各自の家に持ち込むのも現状ではなかなか簡単なモノではない。これからの終末期医療を考えさせられる作品だ。
この小説の主人公は在宅終末期医療を行う女性医師、日常的に身近に「死」に接しながらそれを仕事として生活している。仕事の重さ、その頻度の多さをいかばかりかと思う。しかしこのようなドクターに看取ってもらえたら幸せだろうと思った。
投稿元:
レビューを見る
新宿の大学病院で働くアラフォー女医師。毎日終電、彼氏もいない 。三鷹の訪問専門の病院へ異動。
寝たきり患者の家を巡回する日々
著名女ジャーナリスト、42歳。末期の乳癌。お屋敷の離れには義妹ははいれない。部屋にはスキンヘッドの男を連れ込み、タバコを吸っている。ご臨終。スキンヘッドは坊さん
共著で死に向かう作品を出版。
奇病の若者。年々筋肉が衰えていく21歳。母親は離婚後、生活保護。呼吸保護する機械が停止。部屋の電気が止まっている。巡回車に入れて助かる。母親はついに失踪
クリスマスイブの日に機械が停止でご臨終。警察に説明
ヘルパーの人をイブの日は大切な人といて欲しかったので
誰もアサインしていなかった
ブレス3 エンバーミング 古賀芙美江(84歳) 老衰
一度は胃瘻を拒否し、穏やかな最期を選んだ芙美江だが、息子の懇願で翻意する。しかしその胃瘻がもとで苦しんで逝ってしまう。そして、彼女の遺体が消えたが、それは息子の企みだった。息子はエンバーミングビジネスの借金あり。遺産相続のためだった
ブレス4 ケシャンビョウ 高尾花子(推定10歳) 言語障害
高尾山に捨てられていた美少女・花子。土産物店の初老夫妻が面倒を見るが、一切、言葉を話さない。ある日、花子は突然卓上の料理を投げ捨て逃げ出し、妻はその後、急激に体調を崩し緊急搬送されてしまう。
ブレス5 ロングターム・サバイバー 権藤勲(72歳) 膵臓癌
消化器癌の権威・権藤教授が末期の膵臓癌に侵されたが、積極的な延命治療を拒絶した。そして、競馬場、巣鴨、動物園……と謎の外出を繰り返す。癌治療の名医が人生の最期に知りたかったこととは?
自分が手術して助けた患者を訪問。
ブレス6 サイレント・ブレス 水戸慎一(78歳) 脳梗塞
倫子の父・慎一は、8年前に脳梗塞で寝たきりになり、今は一切意思の疎通が図れない。父はこの状況を望んでいたのか? 几帳面な父が、なぜ「遺志」を残していなかったのか疑問に思う倫子は、母の行動に疑いを持つ。
脳梗塞の後遺症で、もう意思の疎通がはかれない父の最期について静かな決断を下す。延命措置はせず
アラフォーの女医は大学で講師としてよびもどされるが現場に残った
投稿元:
レビューを見る
在宅で迎える終末医療を、
感情よりも現実的な医療面で描いてあって、
確実に死に向かう人たちなのに、こんなにも生命力に溢れている事に感動する。
筋ジストロフィーの青年の章は、
読み終わった後に何度思い出しても胸に来て、悔し涙がこぼれた。
倫子先生と共に、医療の倫理を学ぶ思いでした。