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「風邪を引いてしまいました」
「今度は妻が風邪を…」
「妻のお母様が風邪を」
「今度は猫が…」
とか、くそみたいな言い訳で〆切をなんとか引き延してほしいと懇願する名作家諸氏の小話が盛り沢山で笑える。
漱石も、藤村も、田山花袋も、〆切に追われながらなんとかかんとか書いてたんだなぁと思うと、なんだか急に身近な存在な気がしてくる。笑
他にもvs編集者とのやり取りや、〆切の心理的効果、逆に〆切に遅れたことなんてない!という作家さんのお話など、とにかく〆切にまつわる色々をまとめていて面白い。
余談ですが、これを読む少し前に村上春樹氏の「職業としての小説家」を読んでいたので、いかに彼がプロフェッショナルな小説家かというのを再認識しました。笑
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名だたる文士の言い訳集
書けない理由は書けるのか
内田百間のダメさ加減よ
でもこれを読んで村上春樹が好きになりました
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興味のある作家部分だけ流し読み。
今も昔も、書けないときの心情や言い訳の仕方、編集者との関係性含め、作家という職業は根本的には変わっていないのだなと感じた。夏目漱石でさえあーだこーだしながら書いていたと知って親近感すら覚える。
作家という職業は浮世離れしていて人とはまた違う考えや視点を持つことのできる超人的な人物が就く仕事、と思いがちだが、「締切」という誰もが体験したことのあるゴールに向けての沢山のあるあるを通して、第一線で活躍した作家の人間性にふれられた良い本だと思った。
個人的にはサザエさんの長谷川町子さんが一番。
最高におもしろかった。
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過去に名を馳せた作家から現在も活躍している作家・漫画家まで、総勢90名の書き手による、〆切にまつわるあれこれ(エッセイから日記に至るまで)が詰まった読み応えある一冊です。間に合う人、間に合わない人、忘れる人、現実逃避する人などなど、本好きの方なら間違いなく楽しめます!(静内)
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〆切に関して作家には「井上ひさし型」と「村上春樹型」がある。なーんて、今思いついたんだけど。このお二人はそれぞれ「遅筆→〆切破り(どころか結局書けないことも)」「〆切厳守←いつも早く原稿を渡す」ことで知られている。話として面白いのは、当然ながら圧倒的に前者だろう。
本書には実に89人もの(たぶん。「著者紹介」で数えた)方の、〆切にまつわるエッセイやら葉書やらマンガやらが収録されているが、何と言っても〆切に苦しむ(または編集者として苦しめられる)話が多い。よくもまあ、これだけ集めたものよと感心してしまう。つらつらいいわけがましい文章が連ねてあったり、平身低頭していたり、なかには開き直っているような人もいて、気の毒なような、どこか滑稽なような。結構分厚い本だが、飽きることなく楽しんで読んだ。
田山花袋
なかなか書けないつらさを縷々述べた後に、ふと夜中などに興が湧いてきて筆が走るときの気持ちが綴られている。
「筆が手と心と共に走る。そのうれしさ!その力強さ!またその楽しさ!」「心は昔の書生時代にかえって行っている。暗いランプの下で、髪の毛を長くして励んだ昔の時代に…。その時には文壇もなければ、T君もなければ、世間も何もない。唯、筆と紙と心とが一緒に動いていくばかりだ」
ああ、本当にそうなのだろうなと思って、文学史でしか知らない作家に親しみを感じた。
内田百閒
百閒先生、やっぱり変人である。年の瀬を迎え、あちこちに支払いをしなければならないのに、金がない。原稿を書けばいいのだが、書けない。そこで先生、奥さんの一着きりのコートを質に入れたり、知人から金を借りようと東奔西走したりする(ここでタクシーを使うところがおかしい)。結局全然うまく行かないのだが、先生いわく「やっぱり原稿を書いたりなんかするよりは、こういう活動の方が、晴れ晴れとしていて、私の性に合うと思った」だと。まったくもう。
野坂昭如
原稿の〆切が集中している上に、テレビ出演やら対談やらいくつも重なり、どう考えてもムリだというときに、これはもう天の配剤としか言いようのないタイミングで事故に遭い骨折して、そのおかげで原稿が書けたことがあるという。しかも二度も。野坂氏、「怪我することを潜在的にのぞんであるのではないか」と我が身を顧みていて、まあ実に壮絶である。笑っちゃうけど。
川端康成
代表作とされる「禽獣」は、「編集者への義理からどうしても書かねばならぬ小説の〆切が明日に迫り」「やけ気味」で「書きなぐった」ものだと書いている。「編集者の私の作品に対する愛情が感じられ、その義理に追ひ迫られないと、絶対に書けぬといふ悪習が身にしみてゐた」とも。ノーベル賞作家にして、そうなのだなあ。
山口瞳
「なぜ?」と題されたこの一文は読んだことがあり、よく覚えている。著者が雑誌の編集者であった頃の、三島由紀夫の思い出が綴られている。三島由紀夫は「村上春樹型」だったらしい。淡々とした一文は、「私は、三島さんという人が好きだった。感じのいい人だった。」と結ばれているが、そこには言うに言われぬ複雑な思いが沈殿しているように思われ���。こういう文章を久しく読んでいないなあと思った。
森博嗣
この方は「村上春樹型」の最右翼。タイトルはずばり「何故、締切にルーズなのか」。〆切に遅れることを当然のことのように考える出版界の「非常識ともいえる不合理さ」を「とんでもない悪習」として舌鋒鋭く批判している。「こんなビジネスが、ほかにあるだろうか」と言われれば、お説ごもっともで、まったくその通りなのだが…。〆切より早く書く作家はなんとなく軽んじられるということも、「村上春樹型」の複数の方が書いていて、それはまったくおかしな事だとは思う。思うのだが…。やっぱり単純な「ビジネス」じゃないってことでは。
車谷長吉
「村の鍛冶屋」と題したこの一文が一番心に残っている。子どもの頃、近所の鍛冶屋の前で「村の鍛冶屋」という唱歌を歌ったら、そこの親爺さんに「こらっ、糞ったれめが」と怒鳴られたそうだ。原稿が売れるようになってからの日々は、「鍛冶屋が絶えず耳もとで『村の鍛冶屋』を歌われているような、何か居たたまれない、生の中味が流出して行くような時間であった」と書かれている。「文学は私にとって『魂の記録』であっても、編輯者にとっては『商品』である。併し、長い間、出版社の人に原稿を売り続けて来たのは、私である」とも。〆切は「商品」となる原稿だからこそあるもの。割り切れなさはそこから来るのだろう。
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読了。一気読みはできなかった。90人以上の〆切に対する怨念の籠った本であった。宿題ができなくて、死にたくなってる高校2年8月31日の自分に贈りたい本である。
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読書スレで見かけて興味を惹かれて図書館で借りる。
締め切りをきちんと守る人達のエピソードから感化を得たいと思ったのに、むしろ締め切りを過ぎてもどうにも執筆できずに苦悩する作家の姿に親近感を深めた。実は私も締め切りが迫って来ないとやる気が出ないタイプでなんとかしたいと思いつつ改まらなくて大作家先生方に共感を禁じ得なかった。
逆に常に締め切り厳守だったり早めに原稿を渡すことが当たり前になっている作家に大して、なんとなく周囲が軽んじるというエピソードになんとなく寂しいものを感じてしまった。締め切りを過ぎてようやく手渡された原稿の方が傑作と珍重され作家も畏敬の念を込めて対応されるという事実に、なんだかやりきれないものを感じた。
「勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響(試験までまだ時間があると回答していた参加者では、試験に対するモチベーションが高まっていた人ほど実際よりも勉強すふと楽観的に予測する傾向が見られる)」も興味深かった。
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好きな作家が載っている。「〆切」に対してそれぞれの作家がこんな風に思っているなんて。「書けぬ、どうしても書けぬ」に、ドキドキした。
制作に対してストイックな作家も、また良し…。
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文豪、編集者、漫画家達の、様々な立場・視点からの "締め切り" を題材とした短文集。 基本的に書下ろし原稿は無く、全て、"過去に蓄積された、締め切り関係の痛切な記録" が集められただけで、これだけ密な書籍が成立することに感心。
2/3程度読んだところで、同様の視点・表現が別著者で重なったりすると少しダレるが、著者や編集者名にまで詳しい人ならば完全に飽きずに巻末まで読めるのだろう。
最後のページに、谷崎潤一郎の悲痛な1文が載っているのも印象的。
表紙が面白くて、その点も◯(マル)。
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〆切に関して書かれた、著名な作家たちの言い訳やらスタンスやら、てんこもりの本。
ーを、図書館の返却期限に追われて読む私。
この名立たる方々に親近感を覚えずにはいられないほど、私もギリギリマスターなので、所々可笑しくて仕方がなかった。
凡人も天才も、〆切の前に同じ!
中には〆切に一度も間に合わなかったこともないし、余裕を持って仕上げるという猛者もいらっしゃって、それはそれで説得力、破壊力、大。
私もこんな風になりたい、と思わせられる。
〆切が悪かと言えば、なければないでいつまで経っても出来ないし、集中力や生産性を高めるために必要であり、逆に時間がたくさんあればいい作品が生み出せるわけでもない。
〆切なんて破ってこそという人もいれば、仕事の依頼が来なくなるのではないか、白紙で出版される恐怖、身体の具合が悪くなるほど書けなくなる等、〆切にまつわるエピソードは人それぞれで、中でもやはり、コントみたいな言い訳が面白かったりする。
ネタバレしたくないので、誰がどうとか一切書かないので、是非読んでみてください。
興味のある作家のところだけ、拾い読みするような読み方でも良いと思う。
文筆家のエピソードが多かったけれど、数名漫画家(超有名)のものもあった。漫画家編も是非作ってください。
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有名な文豪などの「書けない」ときの言い訳が延々とまとめられている本。あまりの見苦しさに、ちょっと読んだだけでもお腹いっぱいになる。教科書に載るような著名な作家の人間らしい一面が垣間見れる。それにしても編集者など、原稿をもらう立場の人達の苦労は計り知れない。
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大昔、筒井康隆の乱調文学大辞典で、締め切りに間に合わない言い訳として「梅干しも漬けずに頑張ったのだが…」と語った作家のエピソードに抱腹絶倒し未だに覚えているのですが、本書は大作家たちの書けぬ書けぬの大怨嗟大会です。生産性向上にムチが振るわれている昨今のリアル社会に対する、ある種のファンタジーとしてナイス企画!何も書かれていない原稿用紙に文字を書きつける創造物としての文学と工場や流通を巻き込む商品としての文学の側面がぶつかり合うのが締め切りというタイミング。そこで生ずる軋み音はまさに悲喜劇のメロディです。先日、ある編集者の方に「作家は狂人、読者は普通の人、編集者はその間で苦しむ」とのお話を伺ったことがありますが、その苦しみ、よく理解出来ました。巻末に向かうにつれ、締め切りこそが創造の源という指摘も増え、締め切りのクリエイティビティも感じさせてくれる本でした。最終ページにもニヤリ。
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どんな言い訳かを流し読み。これだけ集めた編集者の執念を感じるが、さすがにこれだけあるとじっくり読む気が起きない…。森博嗣さんはやはり異色。
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とても面白く読んだ。
〆切とは、いかなるものなのか。
そのとらえ方は十人十色。
バラエティに富んだ執筆者にそれぞれの悲喜交々が、可笑しい。
その上、構成が良い。
冒頭に、白川静の『常用字解』から「締」と「切」を掲載するとは、まず、ここでやられたなあ。
第4章で、研究論文を入れているのもグー。
最後は柴錬か、と思いきや谷崎が待っているなんて。
井上ひさし「罐詰病」は最高。いかにもな内容で笑える。漫画では、長谷川町子が流石の面白さ。
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私は〆切に興味があった。なぜならば、常に〆切に苦しめられているし、一方では大量の文章を日々生産しているからである。
もちろん私は作家ではない。しがない普通のブロガーに過ぎない。それでも、この12年間、だいたい800字から1600字ぐらいまでの駄文(原稿用紙2-4枚)を書き続けて、ネタが尽きた事がない。ブログ記入率はこの8年間75%で一定しているから、一週間に6ー5日は書いている事になる。そんな文章家ならば、この本の中の郷土大作家・内田百間の様に、〆切すぎて書けないで年越しをするようなことがなかったかというと、ほぼ毎月その苦しみを味わっていると告白する私がいる。
私は素人ながら、地域サークルの会報を二ヶ月に一度つくり、地域労組機関紙の映画欄に連載を持っている。この二つが、常に〆切ギリギリか、〆切を越さないと完成しないのである。
あの木下順二が、仕事にかかる前になんと「馬書」を読み込み、情報カードを生産し、それがおそらく万の数ほどつくっているというのを読んで、「あゝ同類がいる」と安心する。
神様の手塚治虫の様子は、とても参考にはならないけれども、「遅筆堂」というあだ名を敬意を持って私も拝借している井上ひさし名人のエピソードは、私にはとっても癒しになる。今回のエピソードは、今まで読んだことのないものだった。少しメモする。
◯缶詰病の潜伏期間は次の等式で表される。(原稿用紙枚数の二乗×締切日までの残り日数×作物に対する患者の意気込み×原稿料或いは報酬)÷編集者の原稿取立ての巧拙。
◯発病症状は初期が躁状態。中期は、睡眠を貪る。その次は、放浪癖。◯◯の目を盗んで盛り場をうろつく、要らないものを買う、映画を観て回る。最終局面、自信喪失の極に達し「次号回しにしてください」「殺してください」という。この場合、編集者はその願いを聞き入れてはならない。なぜならば、この病は「とにかく書かなければ治らない」から。
◯井上名人は、末期症状の患者を缶詰状態にすると、奇妙なことに「ほとんどの患者が自力で立ち直る」と書いている。しかし、これは症状がまだ慢性化していなかった頃の文章だと思われる。患者(井上ひさし)はその後、大穴を何度も開けるからである。
川本三郎が天使のような編集者のことを書いていれば、元編集者の高田宏が編集者泣かせのクズ作家について書いている。
私には潜伏期間はない。私に編集者はいない代わりに報酬もゼロなので、ゼロ×全ての数字でゼロなのである。そして、なんの因果か、年に7回くらいは「完徹」をしても出来ないで〆切という「デッドライン」をやすやすと超えるのだ。
2017年6月5日読了