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ヴァルデマール年代記ではほとんど常時、魔法または魔法に近いもの(ヴァルデマールの「使者」が使う心理魔法など)を中心に据えて物語を語ってきた。
けれども、『魔法使いの塔』において、ヴァルデマールの宗教について大きな視点が置かれる事になる。
これは非常に興味深い。
勿論、それは、カース国の若き司祭であるカラルが主要登場人物のひとりであるからなのだが、なんと古代の魔法使いアーゾウの塔で、魔法嵐に対抗する術を皆が探そうとしている間に、カラルは重要な事に気付く事になる。
それは、一神教の一種であるカースの太陽神ヴカンディスと、例えばシン=エイ=インが信仰する「星の瞳」カル=エネル、そしてその神々とつながりがあるものの共通点。
すなわち、「真理」(真の神)は唯一であるが、それぞれの民に向けている顔が違うだけなのではないか……?
日本では明治時代から、宗教家や思想家がしばしば同じような事を語っている。
それはおそらく、神道的な観点からなのだと思うが、アメリカ人であるラッキーが、同じような結論に達したのは本当に面白い事だ。
もっとも、ラッキーが単に神道的な観点を持っているというのではなくて、それはあくまでもキリスト教(一神教)的なものの見方を発展させたものだと思われるが。
物語としては、世界観の中での時間も、空間も、大きく広がった物語を、ここで全て集約する手法がスリリングだ。
魔法嵐がどうなるかについては読んでのお楽しみだけれども、『黒き鷲獅子』を読了の方は、おそらく想像できるものに近い、と思われる。
全てを集約するのだから、シリーズがここで終わりかといえばそうではなく、まだまだ新刊が書き続けられているという事だし、カラルを始めとする登場人物も、大きな傷を受けながらも今後についても少し触れられている。多分、この物語の続きも、いずれ語られるだろう、と期待される。