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歴史書を読むことは人の名前を読むことで、その点でいつも苦労する。人名索引と行ったり来たりで、できれば索引にもフリガナを振っていただけると助かる。資料の綿密な読み時による詳細な説明と考察には敬服する。
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何やらバカ売れしているらしいので。史実を繋ぎ合わせている部分が多く序盤は難しかったが、最後はかなりスッキリと理解出来、興味深かった。こんなに複雑な要素を含んでいたことが驚き。やはり歴史は深い。
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覚悟はしてたけど、やはり相当にややこしい。が、前半で脱落しなければ後半は相当見通しが良くなる。たしかに良書であった。
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歴史小説ではなく、当時の知識人の日記などを基にした学術資料のような感じ。
登場人物も多く、連携と離反も多く、整理をしていかないとついて行きにくい。
人物の相関関係や地図を多用してくれると、もっと深く楽しめたと思います。
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応仁の乱のことが少しわかったが、やはり関係者がぐちゃぐちゃしてて、スカッとした
華やかさがない合戦でした。(苦笑)
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戦国時代に比べてあまり一般にはなじみがないが、しかし戦国時代の口火を切った応仁の乱について述べた本。
歴史学的には、戦国時代最後の戦いである関ケ原の戦い並みに意義があるんだと思う。
関ケ原の戦いとの最大の違いは、政治的にも軍事的にも優れた指導者がいたかであり、逆にいえばそういった優れた指導者がいなかったから全国的な戦乱に陥ったのだろう。
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京都では先の大戦というと「応仁の乱」を指すのだとか。
というくらい誰にもその名前は知られている。でもどんな戦争で誰が勝ったのかはよく分からない。英雄も生まれていないし、有名な戦闘もない。グダグダなんだな。軍事的には防御が先に進化した時代だったので、互いに決定的な勝利をおさめることもなかった。
とはいえ、中世の終焉を決定づけたことは間違いない。荘園領主制が崩壊し、下克上が始まるのもここからということは分かるんだ。
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なんだかよくわからなかった応仁の乱は、読んでもやっぱりよくわからない。でも、読んでいると読んでしまう読ませる力がある。中世というのはおっそろしくややこしいのか、単純なのか。結構違う。やれやれ。
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読了。
応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 / 呉座勇一
最初に別の本を読み始め、ノリきれないのでもうひとつを読み始めるも大作なので、長引くなとおもいつつ、散歩がてら本屋に寄ってこれを見てそういえば人気あるよねこれと思い購入して、案の定先に読み終える。
応仁の乱です。
日本史の授業でもさらっと流す応仁の乱です。
どうして起きたかなんてしりませんよねこれ。
11年も長々と京都を二分して戦った大乱はいかにしてはじまったか。
そしていかに終わったか。
序章は一休さんでおなじみの足利義満さんの次の義持のときから、大乱MAX時は銀閣寺を作った義政さん
京都の戦いが終わったのは義政さん次の義尚で、最終的なのは次とその次の義稙VS義澄あたり。
長いですね。
大乱勃発の最大の原因は畠山氏でしょうかね。
君たちだけじゃないけども。
みんな乗っかかり、みんな巻き込まれる。
政治が悪いから足利将軍家が一番悪いかもしれませんね。
んで大乱が終わると、将軍さん力ないし、京都に住んでる意味ないし、偉い人たちが自分の土地で領土守ったりうばったりするべく戻っていって大名化みたいな。
でもともと守護代していた家臣が独立して大名化、元々住んでた国人衆も力を持つって感じになって、戦国時代突入!
ってところでしょうか。
いやーたいへん勉強になりました。
面白かったです。
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応仁の乱と言えば、無気力な将軍義政に、好戦的な弟義視、狡猾な富子・・・とわかりやすい人物が描かれるのみで、戦闘の主役たちがなぜそのような行動をとったのかの観点で語られることは余りなかった。本書は奈良興福寺のトップ経覚と義尋の記録を基に、乱前の大和争乱から乱後の明応の変あたりまで、登場人物たちの行動を克明に描いていく。何故そのような行動をとったのか、10年もだらだらと戦い続けたのか、というような何故の答えまで用意されている訳ではないが、もうちょっと考えてみると面白い。
思うに、細川勝元も山名宗全も、源平合戦以来の武士の行動原理に従っているが、現代の我々はその後訪れた戦国時代の大名の有り様を知っているから、どうしもそちら側の眼鏡で見てしまう。戦国時代の大名たちは領域を支配し、そこで軍事力と経済力を養成し、基本的に領域を拡大することで成長を遂げようとした。しかし室町中期までの武士は荘園制を前提に生きており、武士とは荘園の管理人であり、その棟梁は京都を確保することで正当性を得、守護とはその地に駐屯して荘園から軍事費や賦役を徴発する存在だった。後代の常識からすれば、京都で戦っている間に本国の方を占領してしまえば良いのに、となるのだが、そのようなことを実行したのは越前の朝倉孝景くらいで、故にこそ彼は戦国大名の先駆になった。
本書の面白さは経覚や尋尊という荘園制の旧体制にすがって生きる人々の視座で描いている点にあるのだが、荘園制から目覚めていく武士の側はあくまで客体として登場するところが限界なのかもしれない。河内の暴れん坊畠山義就のモチベーションは何か、細川勝元は幕府と細川家のどちらを大事に考えていたのか、朝倉孝景はどこをどこまで計算していたのか、など、目覚めゆく武士たちの苦悩と葛藤もまた面白かろうと思うのだが、残念ながらこのような人々のそばで記録を残した人はいないので、どうしても旧体制側から描いていくしかないのだろう。
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評判なので読んでみた。
結構、時間がかかった。
なかなか読み進めなかった。
いかんせん、義政は銀閣寺を建てた程度の教養だと
そういうことになりえます。
でも、完読して勉強になりました。
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どうなんでしょう。日本史上級者には手ごたえのある内容なのかもしれないけれど、私のような一般人(以下?)にはかなり難解な内容(そもそも登場人物が多くて、その関係が覚えられない)で、応仁の乱の歴史的意義が理解できなかった。中学の勉強をし直せと云われそうだが、当時の将軍家と大名(守護)、公家族、そして寺社の関係の詳しい解説があるとありがたかったのだが。
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何が原因で誰が勝ったのかがよくわからないと言われる応仁の乱。本書は史料を丹念に読み解くことで、応仁の乱の実像を明ら かにしたと言っても過言ではない。確かに複雑ではあるが、順を追っていけば理解できる範疇にあり、また、それぞれが乱の収束のために動いていたが、思い込 みや行き違い、見栄の張り合いでズルズルと続いてしまっていたということがわかる。
中心となる史料は興福寺の僧侶である経覚と尋尊、二人の遺した日記である。この二人は応仁の乱を間近で見た人物であり、特に経覚は深く関わっており、乱の中心人物ともいえる。一方、尋尊はどこか他人事の様に一歩引いたところから見ている部分がある。同じ事件を異なる視点から見た記録であり、史料として十 分に有用であると思われる。しかしこれまであまり重視されなかったらしい。偽書の可能性が高いといったことではなく、歴史学者が賞賛していた下克上やそれ による体制の変革、それを否定している――特に尋尊がその傾向が強い――ためであるという。本書でもこのことは再三触れられており、腹に据えかねているこ とが伺える。
応仁の乱は階級闘争史観に基づく歴史認識、あるいは下克上、民衆蜂起を賞賛する歴史学者にとってちょうどいい題材だったのだろう。それを否定するような二人の日記は都合が悪く、むしろ応仁の乱が幕府の自滅であって民衆蜂起でも何でもないことが明らかになることを恐れてすらいたのかもしれない。応仁の乱の わけの分からなさの原因は、実は歴史学者だった。応仁の乱を明らかにしつつ、歴史学者の本質までも暴いてしまった。
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「東軍と西軍に分かれた大名たちが繰り広げる大乱世!」
いや~乱世乱世。
このグダグダっぷりはヒドい。
元は興福寺の大乗院、一条院が仲が悪く、それぞれ小豪族がバックに着き、小大名から大名までが小競り合い。
弱いくせに「俺のバックは幕府なんだぞ!」とちょっかい出してはボコボコにされ、幕府が調停しても同じことの繰り返し。
そして畠山の内部分裂で当事者同士の直接対決で決着を決めようとしたのに、山名が加勢して細川マジ切れで大乱勃発。
幕府をバックにした細川の東軍が圧倒的有利かと思えば、将軍の弟をネオ幕府とか言って担ぎ上げた西軍に大内の加勢が加わり長期戦へ。
以降、俺たち何のために戦ってんの?状態が続くも、最下層民の足軽さんたちは勝手に暴れて略奪し放題なので京都の荒廃がどんどん進む。
元々そんなに仲が悪くない山名と細川は本当は戦なんてやりたくなかったのに、なんかグダグダで内乱が勃発してしまった。
とても日本人らしい。
派閥を作って社内闘争勃発って、古今東西どこの国でも今の世でもある話。
あぁ、諸行無常。
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日本各地で同時進行的に様々な紛争が出て来るわけだけど、こちらの本のほうが、先日読んだ「応仁・文明の乱 (戦争の日本史 9)」よりまとまっていて読みやすい。
両者とも歴史的解釈は似ているので、それが今の標準的なものなんだろう。
- 義視と義尚の後継者争いが原因という従来の見方は否定的。
- 様々な紛争が発生しているが、直接な原因が畠山政長・義就の後継者争いに、細川政元・山名宗全の両雄が介入してしまったこと。
- 大和は興福寺に支配されていたが、配下の豪族たちの紛争が絶えず、混乱に油を注いだ。
- 紛争の遠因は、義教の恐怖政治、それが終わった後の赦免、義政の朝令暮改的な、大名後継への介入。
英雄はいないといいつつも、畠山義就、朝倉義景、斎藤妙椿、大内政弘あたりは中々興味深い。