投稿元:
レビューを見る
主に、ジュネットの物語論を用いて、テクストの「語り」に重きを置いた読解の仕方が具体的に示されている。
あくまで、数ある方法論の一つとして、物語論の理論を用いてるということである。しかし、テクストの「語り」の構造に対して分析する場合は本著を参考にして行おうと思う。
―以下本文引用―
・テクスト分析において重要なのは、単に作家の意図を気にしないことではなく、客観的なものさしによってテクストを分析して論理的な読みとりを行うことで、読み方を異にする他者にも、納得できるような仕方でテクストの特徴を記述することである。
・ふだん気に留めることもなく、ことさらに言語化することもない読みのプロセスを、他人にも説明可能なさまざまな切り口によってかたちにしていくこと――そうした見えにくい読みとり・説明を持続的に展開していく意志こそが、テクスト分析最大のポイントなのだ。
・ジュネットのナラトロジーは物語という語のもつ曖昧さをクリアにし、それを物語内容、物語言説、語りという三つの相に分けることから始まる。
・その上でジュネットは、物語言説を中心的な分析対象もして、物語言説の物語内容との時間的諸関係を扱う「時間」、物語の再現の諸様態を扱う物語言説の「叙法」、言表行為の主体とのある関係を指す「態」といった三つのクラス。準備して、テクストのありようを具体的・客観的に分析していくのだ。
・ジュネットによるナラトロジーのすごさは、小説に流れる時間の速度や種別、登場人物たちの内面(情報量)がどのようにコントロールされているか、語り手が物語言説といかに関わっているかなど、小説が「いかに書かれているか」という興味から、実に多くの客観的指標をとりだせるところにある。
・自動化/異化を引き合いにだして述べるなら、自然な、時系列・因果律に則ったストーリーが、叙述の仕方によって異化されて、プロットとして呈示されると考えればよい。
・まず、ストーリーとプロットとを比較することで、両者の間にあるズレを見出し、そのズレを足がかりに、テクストの孕むいかにの問いを考察する契機が得られることだ。
・ストーリーとプロットとのズレを見ることで、別様であったかもしれない可能性を指摘てまきるようになるり。すると、他ではなく、なぜこうしたのかという問いが立つ。
・トマシェフスキーは、テクストを分解する際にあらわれる最小限の単位をモチーフとした(たとえば、「もう死にますと云う」、「自分は只待っていると答えた」)。それらモチーフは束になって、テーマを形成することになる。
・裏を返して言えば、この図式からこぼれ落ちる細部によってこそ、「第一夜」の豊かな世界が成り立っていることが浮き彫りになる。したがって、こうしたフォルマリスティックな方法を用いた分析は、それ自体を目的としてしまうべきではない。
・この図式から考えられることの一つは、語られる出来事の時間の流れと、テクストとしての語りの時間の流れとのバランスが極端に崩れているということだ。出来事の時間とテクストの時間のこういったバランス(両者のズレ)もまた、テクスト分析に際しては重要な契機となる。