紙の本
永井陽之介氏による愚行の葬列である戦史に失敗の教訓を探った名著です!
2020/09/06 11:31
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、国際政治学会理事長を歴任され、『日本外交における拘束と選択』(吉野作造賞)、『現代と戦略』(文藝春秋読者賞)などの著作で知られた永井陽之介氏の作品です。同書の中で著者は、「戦略を研究し戦史を読むことは人間性を知ることにほかならない」と主張されています。そして、クラウゼヴィッツ氏の『戦争論』を中核とした戦略論入門に始まり、山本五十六氏の真珠湾奇襲、チャーチル氏の情報戦、レーニン氏の革命とヒトラーの戦争など、「愚行の葬列」である戦史に「失敗の教訓」を探った一冊です。同書の内容構成は、「戦略論入門―フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』を中心として」、「I 奇 襲―真珠湾の意味するもの」、「II 抑止と挑発―核脅威下の悪夢」、「III 情報とタイミング―殺すより、騙すがよい」、「IV 戦争と革命―レーニンとヒトラー」、「V 攻勢と防御―乃木将軍は愚将か」、「VI 目的と手段―戦史は愚行の葬列」となっています。
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投稿者:ロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
太平洋戦争時に日本がどれだけの愚行を繰り返したか、その誤った経験から何も
学ばず 同じ過ちを繰り返している。ビスマルク曰く‘賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ’というが全くコロナ禍で経験にすら学んでいないのが残念です。
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クラウゼヴィッツを中心にした戦略論入門に始まり、愚行の葬列である戦史に「失敗の教訓」を探る。『現代と戦略』第二部にインタビューを加えた再編集版。
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オリジナルは1985年の出版。クラウゼヴィッツの「戦争論」を下敷きに、真珠湾の奇襲攻撃、核の下での抑止と挑発、情報戦、レーニンとヒトラーの比較、戦争の目的と手段等々について、記述している。
印象的な具体例をあげると、以下のようなものがあった。
【太平洋戦争】
太平洋戦争に至る経済制裁という名の非軍事的報復が、抑止力として作用するよりも、むしろ日本軍の奇襲攻撃を挑発した原因の一つとして、日米の文化の差として、E・ホールの説を引用しているのが興味深い。
太平洋戦争に至る日米関係は、英米のような「文脈度の低い文化」と日本の「文脈度の高い文化」との外交交渉であった。つまり欧米流の「これでもか、これでもか、もっと押せ」という交渉術が日本側を深く傷つける。そして日本側はその心の傷を顔に出し、言葉に怒りをあらわすことを最後の最後まで自制する。そして日本側が真に怒りの反応を呈するときは、時すでに遅く、もはやひきかえし不能地点を越えてしまっていることが多いという説は面白かった。
また、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃について、「合理的なギャンブラー」としての山本元帥を捉えていることも同様に面白かった。
【ベトナム戦争】
アメリカのケネディがベトナムに介入していく意思決定についての解釈も面白かった。
それについては、さらに最後の対談で、著者は「要するに戦略的判断というのは天才のみがこれをよくなしえるというところがある。秀才ではダメなんです。ベトナム戦争の際、バンディやマクナマラと言った秀才たちが、その戦略的判断において取り返しのつかない失敗を犯したのは周知の事実です・・・(略)・・それは何故かといえば、戦争の指揮とか企業経営といったものは、科学ではなくて、アートなんです」という言葉は印象的であった。
また視点を変えて当時の日本の雰囲気を現わしている箇所があった。
「ベトナム戦争やインドシナでの内戦では、およそソ連や共産主義の嫌いな平均的日本人が、アメリカを非難し、解放戦線と称する側に同情と支援を惜しまなかったのは、この内戦が本質的に民族解放を目指すもので、共産主義革命を目指すものではないと信じていたが、ひとたび革命権力が確立されれば、旧政府関係者や協力者は殺され、共産主義政権の誕生というかたちで終結する・・・そのあいだリベラル、平和主義者なるものは、レーニン以来の民族統一戦線なるものに徹底的に利用される。そして旧政府の関係者の運命がいかなるものか、あとになって気がついても遅い。だがもっと罪深いのは、マスメディアを通じて、素朴な人々を騙す側に立つ知識人である・・・われわれ大学人も、アメリカの悲劇が分かるまでずいぶん時間が掛かったのである」
これ以外にも目から鱗といった箇所が次々と出て来る。
久々に面白い古典(?)に出会った感じがした。
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歯切れが良くて面白い。といっても乱暴な簡略化をしているというわけでもない。
特に面白く思ったのは、クラウゼヴィッツ『戦争論』を読み込んで消化しきったレーニンが、そのエッセンスを国家間の戦いではなく、共産主義の階級闘争に応用したところ、その絶大なる効果のために20世紀後半に世界が苦しむことになったというくだり。
ナイーブな民衆や「自由主義者・進歩主義のインテリ」を、反論し難い正義感や倫理観の衣をまぶした暴力思想に感染させ、結果として世界の進歩を遅らせたレーニンの罪は重かろう。
現代でも、階級闘争は、環境保護運動に姿を変え、ナイーブな知識人や大衆を惑わし続けている。システムとして環境保護や反核を推し進めているきっかけを創り出した一握りの人々は、環境破壊防止ではなく、もっと利己的なあるいは独善的な欲望を隠しているに違いない。・・というと陰謀史観みたいだが・・。
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個人的には「失敗の本質」と双璧を成すと思う良書。
WWⅡにおけるヨーロッパでの戦いと太平洋での戦いを中心に各戦闘における特徴と共通点をあぶりだし、
それらがなぜ成功したのはもしくは長期的に見て敗北となったのかを考察している。
目次は
・奇襲
・抑止と挑発
・情報とタイミング
・戦争と革命
・攻勢と防御
・目的と手段
純軍事的な話も多く、はあ。。となって終わる部分も多いが
これは真理だと思う。
「戦略とは自己のもつ手段の限界に見あった次元に、政策目標の水準をさげる政治的英知である」
つまり、現実的にできなさそうにも関わらず
夢物語な目標を設定してしまうことが悲劇の始まりになる。
これはある意味、個人の生活にも言えるだろうし、
会社などの組織でもいえることだと思う。
大事なことはチャレンジと無謀を履き違えないことではないか。
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このところの新型コロナウイルスに関する政府の失策に対するヒントがあるのではないかと思って読んでみました。
ちょっとその事前の予想・期待とは違いましたが、8月と言う時期にぴったりな、太平洋戦争にまつわる日本の選択と失敗が描かれていて、非常に勉強になった。
太平洋戦争は、異なる文化間の戦いであることもこの書で描かれている。一方の行動の意図が、文化の異なる相手方に正しく伝わらないというのは悲劇。それは、今の時代もあって、国家間のチキンレースの様相を呈する事もある。
歴史を正しく学べば悲劇は避けられるのではないかと思うが、国家間の対立が起きているときは、その当事者は冷静さを失ってしまって、そんな事は無いんだろうな。
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第4章戦争と革命
ドイツは対内的には全体主義的ではなく自国民については甘やかしすぎであったとの見方。ソビエトこそが対内的に全体主義を徹底させた。一方でスターリンの対外政策は全体主義と言うよりもリアルポリティクスであるとの評価。
国民国家の成立以後、戦争は総力戦化。ナポレオンのような天才は再現性がないのでプロイセンは参謀本部をー発明ーする。フランスやオーストリアに勝利。クラウゼヴィッツの戦争論がそのテキスト。
レーニンは革命の正当化のため国内の敵を作り出し、対外戦争のための参謀本部の機能を対内抑圧革命のためのボルシェビキに負わせ、国内で革命の敵を徹底的に殲滅する。スターリンが権力を持つとレーニンがまだしも持っていた社会民主主義な要素は消え去り、その暴力が徹底される。