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この地域に生まれ育った女性たちの哀しさ・・・
こういった女性のノンフィクションがどうしても気になってしまう。
「i」の影響で読んでしまった。
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第一部がとびぬけて面白かった。
イランに生まれた女性たちが生きている世界が、もうディストピア小説顔負けの世界で、悔しすぎる。
そんな中でリスクを背負ってまで読書会をする女性たちに、改めて「読むこと」の力を思い起こせてくれた。
私もロリータを読んだことがあるけれど、彼女たちが読むロリータは別の小説なのかって思うほど、見方が違う。全然違う視点から読み解かれていて、それが新鮮で、もう一度ロリータ読まないとって思った。
そうだ、わたしは女性なのに、なぜあっさりロリコン野郎ハンバートにだまされていたんだろうって自分に腹が立ってきた(笑)
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イラン革命後の宗教的な政権のもとで、ささやかな自由を求めて、西洋文学の読書会を開催する女性たち。
たまたま、最近、マルジャン・サラトビの「ペルセポリス」とカレン・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」を読んで、なんかこの2つを足したみたいなイメージで、勢いで「テヘランでロリータを読む」を読む。
たしかに、まさにそういう感じなんだけど、これがまた実に良い。著者は、小説家というより、大学で英文学を教える教授で、作品中の読書会や授業で取り上げる作品の解釈、特にオースティンの「高慢と偏見」の構造分析が素晴らしい。
そして、そうした文学の解釈は、現実と乖離したものでなく、イランの現実との関連性を踏まえたものである。
といっても、作品を現実にすり寄せて解釈することではない。文学から直接的な人生訓を読み取ることを厳しく否定しつつ、閉塞した体制のなかで精神の自由のために戦うための切実な読書なのだ。
こうした読書は、まさに過酷な現実のもとにある国でしかなされないのだろう、と思いつつ、日本における読書という経験の希薄さにあらためて愕然とする。
現実に対して全く無力な文学の力を信じようとする途方もない試みであり、小さな希望の書である。
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文学にはどんな意味があるのか。
戦争と革命の過酷な日々の中、筆者はなぜ文学を教え続けたのか。切実な願いを感じる一冊。
ただ、やはり翻訳は読みにくい、、。
読了に時間がかかりました。
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イランのイスラーム革命やイランイラク戦争の内情をほとんど知らなかったので、この機に少し調べて、知ることができた。それにしても、中東地域の政治情勢や戦争は複雑で飲み込むのが難しい、、これからまた少しずつ勉強する。
文学が自分のよりどころであり、自由になれる場所。そして、ひそやかな抗議と反抗をする場所であった。