紙の本
ディストピアという名のユートピア
2021/02/20 17:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:えいおん - この投稿者のレビュー一覧を見る
大森望さんの新訳版を読んだのですが、とても読みやすかったです。今まで知らなくて、読んでなかったことが悔やまれます。SF者なら外せない一冊ですね。今まで知らなかった私が言うのもアレですが!
全体的に明るい雰囲気で(無邪気なくらいに)、ディストピアものにありがちな悲壮感は一切ありません。住む人にとっては、むしろユートピアなのだと思います。同じ毎日が続き、ある日パツンと終わる。恐怖も何もなく。そして世界は呑気に平和に続いていく。
間違いなく名作でした。読んで良かった!
紙の本
徹底した管理社会
2017/04/29 13:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
一見すると暴力が排除された平和な社会のように見えるが、この小説で描かれているのは徹底的な管理社会。様々な人物を通してこの世界が描かれているので、社会が人々を管理することが正しいのか、それとも間違っているのか? 人によったら本当に正しいことがわからなくなるかもしれません。
僕個人としては、こんな社会は絶対に反対です。
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訳者あとがきも面白かった。ハーモニー(伊藤計劃)から入ったディストピア小説だった。
一回では理解しきれないところもたくさんあって、けれどもっと理解したい部分もたくさんあるので、きっといつか再読する。
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セックスも、感情も、労働も、生死に至るまで完全に管理された世界。父親・母親という言葉は猥褻語。愛とか恋なんてありえない。誰もが平等、生まれる前に人生を振り分けられているけれども……。
そんな世界に母体から生れた野人と呼ばれる青年がやってきて。
こんなふうに管理されたら楽かもしれないと思ってしまう自分がいて、愕然。
でも、世界全体がそうなりつつあるのかもしれない。だって自由というものはとても面倒くさくて、責任が伴うものだから、そう思ってはいけない。
どこにも行き場がないジョンに嫉妬したりする人々の姿が滑稽でありながらも、背中にひやりとしたものを感じさせてくれる。
この作品が第一次世界大戦前に書かれたことが驚きだ。
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貴志祐介の「新世界より」や伊藤計劃の「ハーモニー」が大きく影響を受けたと言われているディストピアSFの原点的作品。
約100年前の作品とは思えない現代らしさが素晴らしい。
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伊藤計劃『ハーモニー』にも通ずる「真綿で首を締めるような」という感覚が、読中から読後までずっと残る。誰かに悪意があるわけではない、誰が悪いというわけでもない、だが確実に居心地が悪く、何がおかしいと喉の奥に引っかかる。
こんな世界はおかしいと正面から断罪ができるか。消費を促進して、苦痛をひたすらに取り除くというのは現代でも行われているわけで、この「新世界」ではただそれが「行き過ぎた」だけという話だ。ではそれはどこから「行き過ぎ」るのか。行き過ぎることは悪なのか。終盤のSavageとMustapha Mondの会話に対し、明確な反論はできるか。
しかし何より驚くのは、この本の発刊が1932年ということ。『1984』の発刊が1949年であること以上に驚かされる先見の明。
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オルダス・ハクスリー(1894~1963年)はイギリスの小説家で、1932年に発表された本作品は、ジョージ・オーウェルの『1984年』と並ぶディストピア小説の歴史的名作として名高い。
そして、ディストピア小説というと、『1984年』(1949年発表)が、当時のソ連のスターリン体制を表現したといわれるように、独裁体制下の暗い監視社会・管理社会を描いたものが多いが、本作品に描かれているのは、西暦2540年に実現されている、一見ユートピアとも見える世界である。
その社会では、子どもは母親からではなく、人工授精によって瓶から生まれるため、親子関係なるものは社会に存在しない。結婚制度もないため、夫婦関係もなく、当然ながら家族という概念もない。特定の恋人と長く付き合うことは不適切な関係と見做されるため、みんな複数の異性とカジュアルに交際している。テレビや感覚映画のような娯楽産業は大いに繁栄する一方、シリアスな文学や芸術は禁止され、哲学や宗教も存在しない。科学の進歩により、病気も老化もなくなり、60歳でぽっくり死ぬまで、人びとはセックスとスポーツを楽しみながら、健康な毎日が送れる(万一、不愉快なことが起これば、合法ドラッグ「ソーマ」を飲んで、数時間~1日ほど現実逃避をすれば済む)。そして、こうした安定を維持するために、出生前から人為的な操作によって、各人の社会階層が、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンという5階層に厳密に定められ、さまざまな条件付けと睡眠学習が施されている。その結果、少子化も高齢化も、戦争も暴力も、不況も金融危機も、自殺も食糧問題も教育問題もない「すばらしい新世界」が実現しているのだ。
そして、後半部分では、「旧世界」から、その「新世界」に入り込んだ野人・ジョンが、旧世界で読み耽ったシェイクスピア劇(新世界では禁書であり、ほとんどの人が読んだことはない)の場面・台詞を引用しながら、新世界に隠れた非人間性と闘っていくのだが、最後にはその享楽に絡めとられてしまう。。。
本作品が描く世界は、全ての人が生まれた時から(それぞれの社会階層に応じて)幸福に生きられるように規定・誘導されながら、個人の個性・人間性は徹底的に排除される世界である。そう考えてみると、昨今の我々の生きる世界が、(それを一義的な目的にしているわけではないとしても)、そうした世界に近づきつつあるような気はしないだろうか? 街中の監視カメラ、言論や情報の誘導・統制、自分の過去の閲覧・購買履歴を踏まえて次々とお奨め商品が提示されるインターネットサイト(ナッジ)、などは、ある面では社会の安定性や安全性、個人の利便性を向上させていることは間違いないが、一方で、個人の人間性・自由は知らず知らずのうちに制限されていっているのだ。また、遺伝子工学などのバイオテクノロジーは、物理的な人間をも操作できる水準まで進歩している。
社会の安定・平等と個人の自由が両立し得るか、また、どのようにして両立させるのかは、正義論(功利主義、リバタニアリズム、等)、資本主義vs社会主義など、これまでにも、様々な思想・イデオロギーの側面から議論されてきているが、更に、現代においては、テクノロジーの進��により、過去には思考に過ぎなかったことが実現できるようになってきている。
我々はどこへ行くのか。。。我々は人間であり続けることができるのか。。。今こそ立ち止まって考えるべきと思う。
(2020年4月了)
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「一九八四年」を読み終え、もう一つのディストピア小説として名高い本作を手に取りました。
これは……フツーに娯楽小説として面白い!
ティム・バートン的だったり、キューブリック的だったり、なんか、そんな感じ。
この読みやすさは、訳者の仕事も大きいかと思います。
読みにくい訳に当たったときの絶望を考えると、ホントに感謝したくなります。
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九年戦争という災厄の後、人類は暴力を排除し、安定を求めるようになった未来のお話。ディストピア小説。
人類は胎児のときから刷り込みや調整によって社会的階級や考え方が形成される。科学や宗教、文学は安定を失う要素になるので制限されている。また共生を重視し、孤独を否定する社会でもある。
読んでいて、暴力はなく、娯楽がある社会でとても住みやすそうな場所に思える。わりと自分も知らない間に考え方をコントロールされているのかなぁ…
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読みながら常にある言い様のない違和感。
特に後半、野人ジョンが目の当たりにするこの社会のいびつさは恐怖すら感じる。
オーウェルの「1984年」が「陰性」の恐ろしさでこの小説の世界観は「陽性」の不気味さ。
80年以上前の作品ながらまったく古さや読みづらさがない。むしろ科学が発達し、価値観が多様化した現代の方がリアルさが増している。
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優れた作品は時代を超えるというけど、SFでも全く古さを感じさせないのはちょっと驚き
この作品の様な明るくて薄っぺらい社会に徐々に向かってないとは言えるのかな
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素晴らしい新世界
『1984年』とならぶディストピア小説の金字塔。性をはく奪された『1984年』とは真逆のオープンな性と人工培養された人間たちの超階級社会。α、β、γなど、生まれた時から動物のように等級がつけられ、生まれた時から決まった職業に就く、安定した社会の中で、設計ミスにより生まれたしまった異常種の青年が新世界の謎を解き明かす物語。安定している事を幸せとする発想は「ハーモニー」に似ているなと思ったが、むしろハーモニーがこの作品の子孫だったのは解説にも書いてある通り。やはり、自由と幸せについての議論が面白い。自由はないが幸せな世界を選ぶか、自由だが不幸せな世界を選ぶか。この二択は永久の課題と言えよう。社会学の名著『ハマータウンの野郎ども』でも書いてあったが、実際問題として就職時のストレスは決定権がない分労働者階級の方がかからない。一方、中間層は幅広い選択肢を持つゆえに不幸になる。サルトル的な自由の刑の前で果敢に世界と闘いを挑むか、それとも自由を預け、永遠に安定して幸せな世界で生きるかは、人によるだろう。ただ、生まれつきそうであったなら永遠に安定した世界に疑問を抱くのは難しいだろう。そういう哲学的・社会学的テーマについて考えることが出来る面白い作品だった。
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クローン技術が発達し、階級や教育など完全に管理され、あらゆる憂鬱から解放された快楽にあふれた未来。
ただ日々を幸福であることが唯一の義務の世界で、少し悩みを抱える都会の青年と、未開拓地で暮らす青年が出会う。
視点が多々あり、所々コメディ的要素が入っているんで、陰気さはあまり感じられない。色々なことがサクッと書かれているので、軽い小説として読めた。
後半にジョンという未開拓で暮らしていた青年が出てから、新旧の価値観のすれ違いがはっきりと出てくる。
生まれた時から階級が決まっていても、誰もそれは不幸に思っていないし、多少の悩みはすぐさま解消されるのは私にとっては理想的だった。
ただ、マイノリティな存在は善良であろうとなかろうと、苦悩する羽目になる印象が強かった。
これだけ技術が発達しても、杜撰な形でミスが起こるのは、やはりコメディなのだろうか。
ブラックコメディとして読むなら、最近よく目にする暗いディストピア感は薄いかも。
真面目で堅い話と思って読んでいたので、ちょっと戸惑ったところは多かった。
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【印象】
幸福の対価として自由を投げうった社会。
それはとてもすてきな管理社会。
読者のような作外現代人が「野人」とされ、"すばらしい新世界"と接触し、末路へ至るまで。
現代を相対化してみたい多くの人へお薦めする作品です。
【類別】
小説。
ディストピア/ユートピア。悲喜劇。
異文化接触。
【筋】
あたらしくすばらしい社会の描写から、野人の棲む旧世界、そして水と油。
「アウォナウィロナ」からスクナビコナを想起。
【表現】
平易。
三人称一元視点が、場面ごとに各人物へ依るかたちです。
シェイクスピアからの引用が大量に含まれます。
翻訳への好感が濃く、なぜなら痒いところへ手の行きとどいている感じがあったからです。
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ディストピアもの。しかし管理されることを望む存在からしたら、ディストピアではないんですよねえ。自由を奪われても、考える必要なくすべきことを与えられる世界の方が居心地はいいのかもしれない。