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渋沢栄一とフィランソロピー・シリーズ全8巻の第1巻は、二松学舎の町泉寿郎氏編で「渋沢栄一は漢学とどう関わったか」をテーマに序章を含めて全9章から構成されている。詳細な目次は以下の出版社サイトにあるので参照されたい。
https://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html
全体に二松学舎を媒介とした三島中洲と渋沢の関係を論じているのかと思ったが、必ずしもそういうわけではなく、広く漢学と渋沢というテーマであれば、何でもOKみたいな感じである。それゆえちょっとレベル的にどうなのかなという論文もあったことは否めない。
しかし、たとえば三島の「義利合一論」が渋沢の道徳経済合一論と戊申詔書を契合点となって交差したという指摘(p.185 町論文)などは重要な論点であろう。
第1次世界大戦後の漢学振興運動を通じての二松学舎と大東文化協会(学院)の共通点や相違点の指摘も勉強になった(p.186-7)。大東が漢学と皇学の古典研究者の養成を目的とする学校として創設されたのに対して二松学舎は国語漢文の中等教員養成を目的とする学校であり、「同じく高等教育機関であっても目的には明確な相違があった」という指摘はそのまま素直に首肯できるわけではないが。
その漢学復興の潮流についての思想史的な意義については、第2章の桐原論文が示唆に富む。とくに「新世紀の漢学は、「普通文」を読み書きするための「記誦通詞章の学」としてではなく、「教養」や「修養」の基礎へと転化していく」(p.51)との指摘は重要。桐原氏は「「漢学」に新たな生命を吹き込んだこうした語り(=自らの行動規範や人格形成のための手段とするような近代的な語りへの転換)」の中心には「漢学の周縁(原文傍点あり)にいた人々——哲学者やジャーナリスト、あるいは実業家など——が占めていた」(同上)という。まさに渋沢の漢学解釈などもこうした語りのなかに位置付けることができるであろう。