紙の本
まるごと一冊佐野洋子
2017/08/26 08:02
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵本作家佐野洋子さんが亡くなったのは2010年11月のことですから、もう7年の時が過ぎようとしています。
それでもこうして佐野さんを語る本が出版される(2017年2月出版)のですから、佐野さんの人気は衰えていません。
それは単に佐野さんの絵本の人気ということではなく、もちろん代表作である『100万回生きたねこ』は今でも人気です、エッセイに描かれるような人間佐野洋子の魅力だと思います。
この本では江國香織さんとか山本容子さんとか著名な人も執筆していますが、そうではない普通の人たちが佐野洋子という人を介在にしてつながっているそんな人たちが、今さらのように佐野さんのことを語っています。
佐野さんの絵本や、佐野さんの小さい頃のアルバムや乙女の頃のハニカミや絵画にのめりこんでいった作品や愛してやまなかった息子をお腹の中に抱えた頃の、つまりは妊娠中の写真なども紹介されているこの本で、やはり一番面白いのが、それぞれの人が語る「佐野洋子を一言でいうと…」だろう。
元夫の谷川俊太郎さんは「一言でなんか言いたくない」としている。「言いたくない」と書いたのが詩人の感性だろうか。
息子の広瀬弦さんは「“母”には向いていなかったと思います」と、さすが佐野さんの息子らしいコメントである。
晩年佐野さんのドキュメント映画を撮った映画監督の小谷忠典さんは「風」。
その映画に寄せた佐野さんのメッセージがいいなだな。
「多分、この世界を愛するために生きていると思うのよね」。
まるごと一冊佐野洋子である。
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佐野洋子トリビュート。
生前親しかった人たちへのアンケートをもとに、未発表の絵も含め絵本やエッセイをまとめていますq
改めて、パワフルな人だったんだなあと。
没になったという「おじさんとかさ」英国紳士版がとても良かった。このバージョンも出版してほしかったくらい。
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掲載されている、佐野洋子の絵がきれいな本。発色が良い。
佐野洋子のエッセイ自体は、辛口で、ある意味重いイメージがあり、よくひっかかるが、この本は軽やか。雑誌のように、さらさらと読める。
佐野洋子をよく知っている、辛口だけではない繊細な彼女を熟知しているファンが、メインディッシュ(絵本やエッセイ)とは別に、より彼女を楽しむために読む、おやつのような本だと思う。
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佐野洋子さんと面識があり、交流のあった人たちにアンケートやインタビューをし、その回答で構成された一冊。
絵本の一場面、未発表作品、エッセイの一部、幼少時の写真、バイクなど趣味のこと、佐野洋子さんとの一言エピソードetc…様々な角度で様々な手法で佐野洋子さんを紹介してくれる。
写真やイラストか多く、さくさくと読める。が、どんどん佐野洋子さんとはどんな人なのか気になり、深く入り込みたくなる。絵本やエッセイ、もっと読んでみたい。
同級生の方や息子さん、元ご主人…などたくさんの方の言葉もそれぞれに読んでいて面白い。
最後の、佐野洋子を一言でいうと…のアンケートに谷川さんが「一言でなんか言いたくない。」と一言で書いていて…しばらくその言葉の意味を考えた。
佐野洋子さんを取り巻く人たちの言葉を読んでいるだけで、佐野洋子さんはものすごくエネルギッシュで繊細で魅力的な方だったのだなぁと、佐野洋子さんの輪郭が浮かび上がってくる感じだった。
おじさんのかさ、英国紳士から農協のおじさんになっていたエピソード、へぇー!と思った。
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佐野さんの本を読むと、自分の居心地が悪い瞬間がある。自分のいい加減さ、嘘つきな部分を、佐野さんに突きつけられるからだ。そんな時の佐野さんの言葉は、名言であるから忘れることができないはずなのに、いつのまにか私は自分のいつもの生き方に戻って忘れてしまう。
ここで佐野さんについて語っている人の中に、私のような人はいないだろうかと、探してしまった。どこまでも嫌な自分。それを教えてくれる人が、佐野さんなのだ。だから、私は佐野さんの本を折に触れ読み続ける。
佐野さんは佐野さんであり続けた。亡くなった今も、ずっと関わった人たちの中に生き続けている。
未公開の写真や絵がたくさん。これ1冊あれば、とりあえず大丈夫。・・・というエッセンスにあふれている。
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佐野洋子さんといえば、マッシュルームヘアで眉毛が隠れていて、垂れ目で口の大きい、バシバシものをいう人、というイメージだった。絵を描く人、というイメージはあまりなくて、エッセイストか何かで、手遊びに絵を描く人だと思っていた。それが「100万回生きたねこ」でブレイクした、みたいな。
そういった誤解が解けた一冊なのですが、エピソードとして集められる佐野洋子と、絵が物語る佐野洋子に微妙なズレがあるような気がして、なんとなく寂しい読後だった。
別に佐野洋子さんが周囲に理解されなかったとかそういうわけではないだろうし、むしろ愛されて、好きなことを成し遂げて成功した幸せな人であるはずなのだけど、絵がどうにも寂しそうというか、足元ではない遠くを見つめているというか、手応えが儚いというか、知人のエピソードにみる佐野さんよりずっと寂しそうな気がした。
多分、だけれど、この本の初めの方に書いてある北京で過ごした幼少期のこと。それが本当に、ものすごく、佐野さんの中にはどうしようもなく根っこになっていて、佐野さんはいつもいつもそこを(もう存在しないそこを)見つめていたし焦がれていたのだろうな、という気がする。誰でも幼少期の人それぞれの何かをノスタルジックに思い出すものだと思うけれど、時折、それがものすごく強い人がいる。佐野さんもそんな一人だったのかなあ、と。一冊を通して読んでみて、そんなふうに感じた。
四角く切り取られた(北京の家の庭から見たのであろう)空を描いたモノクロのカット。あれがとても強烈に私の中に残っている。四角い空を見上げている女の子。あれは全くの、誰にも縛られない佐野洋子さんの心なんだろう。
とても切ない気持ちになる一冊だ。