紙の本
日常に潜む陰
2021/10/26 10:40
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投稿者:弥生丸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
装丁が美しい。カバーを外すと、原書を思わせるような渋いデザインの本体。装丁を味わうのも単行本の楽しみ。
読みやすい文章で、楽に読み進めることができた。本邦初紹介『ささやかな過去』。ある情事の顛末だが、「ささやかな」の意味がラストでわかる。
『小さな家庭教師』は、初めて外国へ行く若い女性の小さな冒険。未知に対する期待よりも不安が多く、神経質になり、邪気のない無礼を働いたため思わぬ報復を受ける。作者の短篇の中では波乱に富む展開。
『ミス・ブリル』一番印象に残る物語。日曜日の公園でささやかな幸福を味わう女性。小世界の静かな受容を満喫するも束の間、実は余計者だったと知らされる衝撃。女性の心の傷に寄り添いたくなる。
他、日常に潜む陰を浮かび上がらせた作品群。作者の繊細な感性が好きだ。早世が惜しまれる。
紙の本
個人の生活に流れる内面
2020/11/22 16:12
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投稿者:une femme - この投稿者のレビュー一覧を見る
寄り添うような、ささやかな励ましを受け取ることのできる、小品だが、とても読み応えのある作品集。
登場人物らに、奇抜さや特異さはないが、それぞれの生活のなかで生きる人物らは、それぞれの世界に則した、生き生きとした存在として描かれている。また、その描かれる人物らの、表面の描写と内面の描写が、彼らの日常として流れる時間の中で、バランスよく書かれ、とても巧みである。それらを通した個々人の孤独には、滑稽さや哀しさも滲み出ているのだが、一つ一つの作品を読み終えたとき、現実を生きる力強さを感じ、その力を受け取ったように思われた。
(翻訳の自然な品がある言葉も、作品の良さを伝えてくれているように思う。)
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「幸福」の色彩の愉しみ。そしてチェーホフの人物の様な客達、と敢えて断った上で、もろにチェーホフ的な人物が完全にチェーホフ的タイミングでチェーホフ的セリフを云う、という楽しさ。
あるいは「人形の家」の貧乏姉妹の絶妙なチェーホフ感。このあたり、好きだなあ。
でも結構オチがあるのも多く、それらにはむしろ古臭ささえ覚えた。
一番素晴らしかったのは「船の旅」。最初は誰が死んだのかさえ語られない。本人たちは死者について語らないし触れない。ただ、客室係が語りかける会話の中にそれがあらわれるだけ。にも関わらず2人は旅の間中、ずっと大切に思いを胸に抱きながら過ごす。ずっと死者と一緒に旅をしている。そして見守ってくれてさえいる。
把手が白鳥の傘が何を象徴しているのか理解できれば、そのフラジャイルな感触の美しさに陶然となることであろう。語らない事でこんなにも語っているのだ!
好きなのはやはり「ガーデン・パーティー」「人形の家」。
「ささやかな過去」はこのまま『犬を連れた奥さん』へと突き進むのかと期待したが、しっかりオチがあって肩すかしだった。
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新潮文庫の『マンスフィールド短編集』には彼女の代表作『幸福』が入っていなかったので、こちらを借りてみました。2017年出版の新訳。2012年に発見された未発表原稿『ささやかな過去』も収録。
マンスフィールドは編集者である夫と出会い、才能を開花させるも若くして亡くなったという印象でしたが、巻末の解説によると20代のときに一度結婚。しかし、別の男の子供を妊娠しており、結婚式の翌日に彼のもとへ走る。死産ののち、編集者マリと出会う。結核を患い転地療養をくりあえす間、夫はロンドンにとどまり複数の女性と情事を楽しんでいた。
これらをふまえて読むと『幸福』や『燃え立つ炎』、『一杯のお茶』の夫婦関係の怖さときたら! 自伝的要素の強いといわれる『ささやかな過去』の残酷さ。『不機嫌な女たち』というテーマでセレクトされているだけあって、なかなか辛辣な話が多いです。
新潮文庫の『マンスフィールド短編集』(安藤一郎訳 1957年版)では、「トケイソウの実の入ったアイスクリーム」と訳されている、「The Garden-Party」の「The passion-fruit ices」という言葉もここでは当然のことながら「パッションフルーツのアイスクリーム」となっていました。
学生の頃、授業で使ったテキストをひっぱりだしてきて確認してみましたが、ここでも「トケイソウの実の入ったアイスクリーム」という注釈が。1990年代でもまだ「パッションフルーツ」という言葉は一般的ではなかったのかとちょっとびっくり。
新潮文庫版とはいくつか同じ作品が入っていますが、マンスフィールドの文章はとても訳しにくいのでその違いも含めて楽しめました。
以下、引用。
あちこちにある、丸い木杭にーそれは巨大な黒い茸の茎のようだったー角燈(ランタン)が下がっていたが、角燈は、その臆病なふるえる光を一面の暗闇にひろげることを、恐れているようだった、まるで自分だけのためのように、静かに燃えていた。
(新潮文庫 安藤一郎訳)
あちこちに丸太の杭が並んでいて、なんだか大きな黒い茸の軸みたいなその杭から角燈(ランタン)がぶらさがっていた。角燈は周囲の闇を恐れ、ただ意気地なくおずおずと、光を震わせていた。そして、静かに燃えていた。なんの力も借りずに燃えているようだった。
(芹澤恵訳)
典型的な女の部屋だった。花と写真と絹のクッションだらけで、床は敷物で覆われ、ピアノのしたから巨大な虎の皮が、その頭のところだけがー獰猛なくせにどこか眠たげに見える顔だけが、飛び出している。
子猫とクリームの原則において。あなたはおなかを空かせたかわいい子猫ちゃんで、ヴィクターは給餌係なんだ。あなたの望むものをなんでも与え、胸に抱えてどこへでも連れていく。そいつのちっちゃなピンクの爪が男の心というものを引き裂くことができるなんて、夢にも思っちゃいないんだ。
わたしは人から褒めてもらいたいの。猫が撫でてもらいたいと思うのと同じことよ。わたしの持って生まれた性分なの。間違った時代に生まれてきちゃったのかもし���ないわね。だとしても、あなたが言ったように、わたしは並みの女じゃない。男の人に熱烈に愛されて当然なのよ。ちやほやされて当然だし、本気で愛されて当然だと思うわ。
些細な出来事が生じて、主人公の心を波立たせる。けれども、その心のさざ波が主人公の意識や人生に与える影響までは記されない。そのため、マンスフィールドの作品は「いかなる種類の完結性もない」と評される。だが、二十世紀前半のアメリカ文学界を代表するピュリツァー賞受賞作家ウィラ・キャザーが指摘したように、マンスフィールドは「些細な出来事によって人生の重大事に近づく」。
マンスフィールドは作中で、情景を描写していたはずがふと気づくと登場人物の心の声を拾っていることがある。のちの「意識の流れ」と言われるようになる手法なのだとか。その切り替えが実に融通無碍で、読むほどにするすると登場人物の心のうちに入り込んでいく。登場人物の心にうつろうよしなしごとを、うつろうままに描くためか、ときおり脈絡のない事柄が連なる(そこがまたいかにも女の話っぽいのだけれど)。
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ひとつひとつが緻密で、人との出会いで劇的に何かが変わるのではなく、少しずつ目覚め始めていくというところが好感を持った
マンスフィールドの、ニュージーランドの富豪に生まれ、気ままに遊学したあとは、色々人間関係や婚姻関係に悩んだというバックボーンがあるかもしれない
土地や自然の描写がやけに上手すぎるというか達筆なのも、ニュージーランドで生まれ育った影響か。
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ウルフのライバルと称された、キャサリン・マンスフィールドの作品を今回初めて手にした。
こんな作家がいたとは、出会えて幸せだ。
長編と違い、短編小説は、最後の一行で世界を反転させてみせる。そのぐるりと回る瞬間が短編小説という乗り物に乗る楽しさだ。そして、読者は最後の一刺しに動揺させられる。その動揺が短編小説の風景を一転させる。
マンスフィールドの「人形の家」の最後は、まさしくその喜びを感じることができた。
短編小説は、ジュンパ・ラヒリの作品が一番好きだ。
それは今も変わらないが、夭折の作家のためそう作品は多くないマンスフィールドの作品は全て読み尽くしたいと思う。