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アイロニーとユーモアでは、ユーモアを優先するという考え方が、自分との親和性を感じさせてくれた。年齢的にはひと昔前の世代の著者である。興味も全く別の所にあると感じていたようなタイプの人もこのように感じるのかというところが、今回の爽快な読後感に繋がっているんだと思う。
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難しい。
でもなんとなく面白かった。
言語的な話が出てきたのが個人的に嬉しい。
というか、惹かれた理由だろうな。
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多様な見方が人を自由にする。しかし、それは今までの環境から逸脱する危険性をはらむ。人が幸せになるには、環境の中でノッテいることが有力な方法であることを前提とした上で、それでも環境の中での居場所を失う覚悟があるか、を問うてくる本。
その結論を出すには自分の中での優先順位を確認する必要があるが、著者は「生きていて楽しいのが一番」であるのをはっきりと表明したうえで、この本を刊行しているのが面白いと思った。著者の言うように「人間は、根本的にマゾ」というのは共感できるし、結果どういう事態になっても楽しめる楽観性は救い。
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勉強が気になっているすべての人に向けて書かれています。と最初にある。根本的に、「勉強とはどういうことか?」を考えてみませんか? と。
深く勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方。それは状況にうまく「乗れる」、ノリのいい生き方。周りに対して共感的な生き方。
逆に「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まること、「ノリが悪くなる」こと。・・そして時間をかけ勉強すると、その段階を通り越し「新しいノリ」に変身するという。そうするとこれまでのノリでできた「バカなこと」がいったんできなくなる。「昔はバカやったよなー」というような昔のノリが失われる。しかしその先には「来るべきバカ」に変身する可能性が開けていると。この本は、そこへの道のりをガイドするものだ、と。
勉強の目的とは、これまでとは違うバカになることだ。
う~む、最初から目からうろこだなあ。まさにノリのいい生き方をしてきた自分だ。研究者は勉強して勉強して、自説を生み出し、超越したノリの世界、俯瞰した世界にいるの人なのか。
後半では勉強のやりかた。
まずは、信頼できる著者による紙の書物を読む。
まずは複数の入門書を読み比較する。「ざっと知っている」という範囲を把握し、最初の足場を仮固定する。一冊くらいでわかったと思われては困る。複数読んでいろんな角度から、分野の輪郭を眺める必要がある。
次に「教科書」 これは読み通すのではなく、入門書の理解を深めるための事典として使う。「専門分野の名前 教科書」で検索すれば紹介している記事が見つかるでしょう、とある。「社会学」有斐閣2007 と学問の名そのものの書名が多い。
次に「基本書」 これは教科書より上級のレベル。その分野の中心的なテーマについて詳しく書かれた重要文献。入門書や教科書に繰り返し出てくる文献がそれ。
ああ、これを学生時代に読みたかったなあ。しかし学びは、いくつになっても発生する。
また、中断によって、一応の勉強を成り立たせる。どんな段階にあっても、「それなりに勉強した」のです。完璧はないのです。とある。しかし中断の後に、また再開してほしい。
・・以上、つまみ食いしました。
2017.4.10第1刷 2017.4.30第3刷 図書館.
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哲学者による自己啓発的な本。自分は啓発っぽいノリは苦手なのだが楽しく読めた。
千葉雅也に対する関心が止まらない。ギャルっぽい容姿なので、もっと激しい思想の持ち主かと思いきや…。
「勉強するとキモくなる」「来たるべきバカ」などなど、独特な言葉遣いがハマればハマる。難しめの単語も出てくるけど、集中してたら一気に読めると思う、自分は途中で集中が途切れた。実践編2のあたり。
とりあえず欲望年表は作りたくなったが、未だに作れておらず
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・勉強を始めると生活が二重になる,別のタイムラインができる。勉強のタイムラインを区別して意識するには,勉強用ノートにほかならない。アプリでいい。
・勉強の経過をノート(アプリ)に書くことが勉強の継続にとって重要。三日坊主になっても戻れる。
・勉強に完璧なし。中断によって一応の勉強が成り立たせる。中断再開の繰り返しが重要。
・まともな本を読むことが勉強の基本,一般書ではなく専門書
・メイン年表(基本的なプロフィールと大きな時代状況(誰の本に影響受けたとかチャットにはまったとか),サブの欲望年表(リラックスして頭に浮かんでくる昔のイメージを思いつくまま書き出し,抽象化する)を作ってつなげると,勉強のテーマがみえるかも
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1.勉強→自己破壊 環境依存からの逸脱
2.アイロニーとユーモア ユーモアの浮遊性で選択肢を広げながら、仮説的に選択、決断、再度修正
3.教師により勉強範囲を限定し、ノートをとり、相乗効果を期待する
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『東大・京大でいま一番読まれている本!』という帯に引かれて読んでみましたが、私の頭では『哲学』は理解できません。頭ん中がパンクしそうです。本当にありがとうございました。
で、最後の『結論』でこのような馬鹿相手にまとめてくれた筆者の優しさに感謝し、もうこの箇所を読むだけで分かった気がした自分はやっぱ馬鹿だったんだなあと実感。くそw
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二回読んで皆が言うこの本の面白さに行き着けてホッとした、勉強ってなんだろうをテーマに哲学的に解く本。
自分は他者によって構築されたもので、100パーセント自分発の個性なんてない。個性とは私たち一人一人がどういう他者とどのように関わってきたかの違いである。という本の序盤の言葉が響く。とすると自分のいる環境と関わる人ってものすごく大きいじゃないか。もちろん逆も然り。
内容は集団的なノリから自己目的的ノリに移ろう、そのためには物事に対しまず疑問を呈してみることが必要。ただそれが行き過ぎると問題は無限にあること、解がないことに気付き、ナンセンスになる。だから深追いして目移りして深追いして目移りして、とある程度のところで問題を良しとすることが勉強の有限化。
勉強は断定することではなく、調べ物をし別の可能性につながる多くの情報を検討し、蓄積し続ける、つまり勉強を継続することが大事なんだ。
勉強の視野を広げ、自分の享楽を分析しつつ(自分の好きなものを考えながら)勉強を続けよう。
というもの。
非常に簡単に纏めると勉強はきりがないよ。
終わりがないものだよ。さあ色んな物事に深く突っ込む専門家へ…!みたいな感じです。
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詩的言語とは、ダンス的な言語です。普段から詩集を読む人は珍しいと思いますが、たまに詩的言語に触れると、言語感覚の幅が広がります。そして深い勉強とは、ダンサーが身体を柔らかくするように、言語を柔らかくして=自己目的化してから、その上で、新たなしかたで言語を道具化することなのです。(p.79)
言語の形態が、この身に刻まれた。それは、刺青である。
その痛みをともなう形態との出会いを、しかし私たちは、享楽している。マゾ的に。
非意味的形態としての言語が刻み込まれたときの痛みを享楽するというのが、言語を使う人間にとって、根本的なマゾヒズムである。(p.117)
わざと問題を立てることが、勉強です。問題を見ないようにしたければ、勉強することはできません。繰り返しますが、勉強とはノリが悪いことなのです。ときにそれは不快なことかもしれない。でも、わざとそれをやるのです。勉強というのは「問題意識をもつ」という、スッキリしない不快な状態をあえて楽しもう、それこそを享楽しようとすることなのです。(p.123)
重要なのは、自分の実感に引きつけて理解しようとしないこと。
「実感に合わないからわからない」では、勉強を進めようがありません。
そもそも、これまでの自分にとって異質な世界観を得ようとしているのだから、実感に合わないことが書いてあって当然なのです。むしろ、「なんでそんなふうに考えるの?!」と気味悪く、ときには不快に思うこともあるような考え方を学んでこそ、勉強なのです。
これが、まさしく自己破壊。これまでの自分に知識やスキルを足すのではなく、感じ方、考え方を、根本的に揺さぶる。慣れるとそれは、マッサージのように気持ちよくなってくる。(p.181)
日々、「一応はここまでやった」を積み重ねる。ある仮固定から、新たな固定へと進んでいく。それが、勉強を継続するということ。だから、これは極論ですが、勉強は、どの段階で止めてしまっても、それなりに勉強したと言える。中段による仮固定。(p.213)
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17/09/02
自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである。
ある結論を仮固定しても、比較を続けよ。
享楽てなこだわりの成立史を年表にする。自分の仕事や主な興味につながる重要ポイントを自分の年表にざっくり書きこむ。背景になっていそうな出来事、商品、作品、人物などとその年を書き込む。
サブとして、つながっているかわからないけど妙にこだわっていたことや印象深いことを書き込む。
最終的に、メインとサブを接続するキーワードを無理にでもわざと考え出す
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教師は情報を有限化する存在に納得。もっと知りたければその先は自ら示された情報に当たらないといけない。教室の時間内だけでは分からないことの方が多くても仕方ないと思いました。
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勉強=変身と定義し、勉強することで、世の中の環境に流されている自分から離れ、そんなコードに沿った自分とは違う自分を持つことが出来る、という、若者を勉強に誘う良書。
学生時代に政治思想をかじったキャリアのせいか、ある意味で懐かしく、ある意味でシンパシーを感じる本。
客観的に見れば、些か強引というか、冷静に勉強を若者に勧める立ち位置とは別に、著者自身の理想像に向けた個人的な挑戦の書という意味合いも感じる。
20年前にルネで出会いたかったな。
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勉強とは,これまでの自分を失って返信することである。
という帯のコピーをみて,自分が考えていたことに類似しているため興味を持ちました。
自分が子供の頃「勉強するとバカになる」と大人が行っていたのを思い出した。
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かっこよく言いたいキーワードの説明のために寄り道が多くて、話の流れが分かりづらくなっている(のか、私が全然理解できていないか)。大陸哲学がつまみ食い嫌いなのはこういうところかもしれない。具体的な方法論を書いた第4章だけ読めばいいか、全部を読むにしても先にそちらを読んだほうが内容を捉えやすくなりそう。
あと改行が多いweb媒体のような組版は読みづらいーはじめからそういう読者層を想定しているのかもしれないが。