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枕草子の記述と史実を丁寧に突き合わせおて、枕草子が書かれた意図を解き明かすのとともに、歴史的事項についても考察したもの。特に、長徳の変の引き金となった藤原伊周・隆家兄弟と花山院の乱闘事件において藤原斉信が果たした役割についての推察は、これまで見たことがなかったが、非常に説得力があった。定子の死の文脈上での藤原重家・源成信や藤原成房の若くしての出家への言及も行き届いた感じ。
枕草子が定子(とその時代)の「めでたさ」を伝えるために書かれたというのは常識の範疇だろうが、ある種対立関係にある当時の貴族社会にいかに受け入れられるかに細心の注意が払われているか、書かれていることといないこと、両方を丹念に見て立証している。
定子の出家については動揺して思慮分別を失った、社会的自死という解釈で、確かに別の時代/文化だったら自害みたいなものというのには賛成だが、ミウチの庇護のない皇族/王権の脆弱さ(それこそ花山院退位事件)や安和の変などをごく近い記憶として知っていれば、自分の在所と知っていながらここまでやるということは帝が自分を見切ったと「政治的に」考えて絶望するのは自然だと思うのだが。実際にはそれで終わりではなかったので短慮に見えるが、一条帝の「変」後の寵遇が異例かつ一条としてもらしくない行動だったので、事件の最中には予見できないのでは。また、定子の「滅びゆく」あはれさ、というのは、若くして死ぬという結果に引かれすぎに思えた。
定子が若死にしなければ、清少納言もここまで強く伝えようと思わなかったかもしれないし、様々な立場での「鎮魂」の必要性も生まれず、今のような枕草子になって・受容され・伝承されなかったかもしれないと思うと、皮肉にも感じる。
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この方の本が好きで、枕草子の解説本が発売されて大変うれしい。
文章も読みやすいし、分かりやすい。
清少納言の、定子様に対しての想いが伝わるし、一条天皇との仲睦まじい姿も書いてある枕草子は、読んでいて微笑んでしまう。
最後の章は、その純愛さが特に書かれていて涙が出る。
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たしかに、道長の世になってからも、枕草子は、なぜ生き残ったのかというのは、ラディカルな問いであった。
定子が亡くなった後の一条帝の、政治家としての凋落を重ねると、さらに哀れさが募る。
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枕草子の解説と思って読み始めたが,それはそうなのだけど,その背景にあった人間模様,政治の駆け引き,社会の空気,もちろん清少納言の本当の気持ちなどが懇切丁寧に書かれていて,定子に関することがくっきり浮かび上がって,歴史書としてとても優れたものだと思う.本当に面白かった!
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誰もが知る「枕草子」。でも、本書で著者が解き明かしていくその姿は、まったく思いもかけなかった新しい光を放っている。なるほど、そういうことなのだと、目から鱗がポロポロと落ちる思いで読んだ。
-才気煥発の人、清少納言による、ユニークな美意識に貫かれた随想-「枕草子」の一般的なイメージはこんな感じだろうか。平安文学好きなら、もう少し知っているかもしれない。清少納言は中宮定子を理想的に描き、その没落後のことは一切書かなかった。定子の産んだ内親王や親王については、不思議なことにほとんどふれられていない。紫式部はその日記に清少納言を辛辣に(と言うより感情的に)批判して書いている、などなど。
本書を読んで、清少納言や「枕草子」について抱くイメージがガラリと変わった。そして、いくつもの漠然とした疑問(上に挙げたようなこと)への、説得力のある「解答」をもらったと思う。著者の考察は、多くの研究者によって積み重ねられてきた「枕草子」研究や歴史的事実に立脚しているが、同時に、思い切って人物の内面に迫っていく独自の視点が導入されていて、そこに大きな魅力を感じた。
まず最初の、「枕草子」はなぜ、なんのために書かれたのか、という問題の立て方に、あ!と思った。私たち、いや私は、つい無意識に、平安時代の書き手たちを、現代の「作家」と同じように考えてしまうが、そもそも当時は(印刷などできないのは言うまでもなく)ものを書く紙が非常に貴重で高価だったのであり、「執筆する」ということの意味が現代とはまるで違う。「枕草子」も、紙を提供する人があり、ある明確な意図と目的を持って書かれたのだとあって、この「序章」ですっかり引き込まれてしまった。
第一章以降は、基本的に年代を追って、「枕草子」の各章段を引きつつ、その背景や清少納言の意図を探っていく形となっている。いやまったく、次から次から「そうだったのか」ということの連続で、自分がこれまでいかに固定的なイメージで読みとばしていたか、痛感させられた。「春はあけぼの」という出だしからして、ここまで重層的な読み方ができるのかという驚きでいっぱい。今まで何を読んできたのか…。
「枕草子のたくらみ」つまり執筆の目的についての著者の考えは、序章から明らかにされている。中宮定子の生前はその慰藉のため、死後は鎮魂のため。定子没後、藤原道長が栄華を極める世となってなお、なぜ「枕草子」は読み継がれ、その存在を抹殺されることがなかったのか。その理由を解き明かした終盤の筆致に、最も迫力があると思う。以前の著作「源氏物語の時代」でも感じたが、中宮定子の運命に寄せる著者の思いは、しみじみと深い。
著者は、「枕草子」において清少納言は自ら道化となり(もちろん定子のため)、自分の一面でしかないあるキャラクターを演じたのだと書いている。また、紫式部がなぜ清少納言に対して苛立ったのかも推測していて、このあたりが非常に面白かった。この二人の女性が生き生きとした姿で立ち現れてくる気がした。
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日は入日 入り果てぬる山の端に 光 なほとまりて 赤う見ゆるに 淡黄ばみたる雲の たなびきわたりたる いとあはれなり
枕草子の後半に書き連ねてある「日、月、星、雲」の段。上の部分はその中の「日」の段にあたる。
初段の「春はあけぼの」にも通じるお題ありきの構成をとる。自然への洞察力に長け軽妙で小気味いい清少納言らしい文章だ。
もちろんこれだけを読んでも十分に枕草子の世界を堪能できる。
ただ、この背景にあるものを知ったらどうだろう。また一段と作品世界が広がることは間違いない。
この本によると、おそらく「春はあけぼの」は定子の生前に書かれたもの。そして上に上げた段は定子の没後に書かれたものとある。
平安という雅の中にありながらも、時代の波に翻弄された悲劇の中宮、定子。
そんな彼女の心を慰めるため、そして彼女の魂を鎮めるために書かれたのがほかでもない枕草子だったのである。
いったんこの作品がある種の挽歌だったと知ると、枕草子における清少納言のきらびやかな貴族社会への執着に合点が行った。
もともと山吹の花のくだりが好きで、ここを読むと定子の清少納言への愛情の深さに胸がいっぱいになってしまうのだが、この本を読んだ今はどのくだりを呼んでも清少納言の定子への思いがひしひしと伝わってきて切ない。
高校の授業で出会った枕草子。
知っているようで全然知らなかったその世界。
一筋縄じゃいかない。
だからこそ面白い。
平安の時代に思いを馳せながら、読み耽るのもいとあわれなり(笑)
尊敬するブク友さんから紹介された素敵な本です。
読んでよかった。
ありがとう~♪
久々のレビューでした!
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文句なしに楽しめた!未知の枕草子の世界に興味津々にならざるを得ない本でした。とても解り易く枕草子の世界に誘って頂き言うこと無し です。これはもう枕草子のたくらみ(寧ろ清少納言のたくらみ) と言うより山本淳子さんのたくらみ ですね。久しぶりに学習意欲を揺さぶられました❗ありがとうございます。
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『はなとゆめ』『月の輪草子』は一人称の語り風で完全に小説だったが、これは解説書。山本先生が『枕草子』そのものだけでなく、清少納言の背景や平安時代の習慣風俗や貴族社会の趨勢などを絡め、でもシンプルな文章で紹介してくれるんである。
特に「師走の月夜」についての考察。
『枕草子』『源氏物語』だけでなく『河海抄』『紫明抄』に、件の章段以外の記述も合わせて動員し、説得力のある見事なもの。『源氏物語』第20帖の記述については、後の注釈書を引き合いにして「納言vs式部」に仕立てているものが多いが、山本先生は『枕草子』と『源氏物語』の執筆時期に重なりがあることに着目し、二人が美意識を共有していた可能性を言う。けだし慧眼。
『枕草子』には、「定子の出家」と「彰子」については全く記述がないという。どこまでも定子大事の納言の意地を感じる。
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面白かったです。
『枕草子』はリアルタイムに書かれたものではなく、中宮定子が幸福でキラキラとしていた頃のエピソードを清少納言が定子への思慕をこめて後から書いたものだったのですね。定子の実家の凋落後の境遇等を想像しながら読むと、以前と違った感想を持つだろうと思います。
著者が当時の時代背景や様々な文献から『枕草子』を読み解いていきます。そして『枕草子』にこめられた清少納言のたくらみが最後に明かされます。なんて切なくて愛しいのでしょう。清少納言の気持ちに寄り添えたような心持ちです。
興味のある方は是非!
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桃尻語訳もあり、明るく溌剌としたイメージの枕草子だが、それは中宮定子に捧げられたレクイエムだった。
清少納言の策略通りに千年後の私達は中宮定子サロンが雅やかさを愛でている。
清少納言はエッセイだけでなく、策士としても超一流だということ。
そして、その策略を読み解き、一般人に判りやすく解説してくれている著者に感謝。
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「すごくおもしろいよ~」って
知り合いにおすすめされて読んだ本。
「春はあけのぼ~」で有名な枕草子。
作者は清少納言。
まあそれぐらいは学校で習ったよね~。
でもこの本が何のために書かれたのか知ってた?
って言われるとわかんないよね。
実はこの本はある人のために書いた本で…
という内容。
なんかね…
レビューが間違ってるかもだけど…
卒業論文みたいな内容だな~って思った。
たぶんこれ合格!みたいな。
あ~こんなレビューですみません!
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山本淳子さんの著書にはハズレがない!本作もやはり、とても分かりやすく面白かったです。
さらに、主題は主題でとても興味深かったのですがその前に、中関白家の家風が素敵過ぎると今更ながらあらためて思ってしまった。。
定子の、女房に対するリーダーシップといい、当時は男性のみが嗜む教養である漢詩文の素養を持ちそれを日常的に楽しんでる様といい、これはすべて中関白家の教育の賜物です。
積極性、自己主張、優雅な機知、そして庶民性を特徴とした最先端の後宮文化が定子の目指したサロンであり、そこに大御所道隆、貴公子伊周等が登場してしまうんだからうっとりせずにはいられません。清少納言の気持ちわかるなあ~
と、現代人の私でさえもうっとりしてしまう世界を描いた枕草子ですが、実はそれが集中的に書かれたのは、道隆が世を去り、伊周が流罪となり(長徳の政変)、文化の基盤たる中関白家が凋落した時であり、定子の文化は崩壊の危機にあったとは驚きでした。
それをふまえて作品を解釈すると、枕草子はただのエッセイではないことが分かってきます。
生前は定子の苦しみを和らげ慰め、死後は鎮魂のおもいを込めた作品なのです。
そもそも枕草子とは、花鳥風月から生活文化に至るまで、知性と革新性、明朗快活と当意即妙を旨とした定子の文化から生まれたものなので、清少納言は定子によって命を吹き込まれたといっても過言ではなく、本人もそれを自覚しているだけに、尊敬と感謝と忠誠心をもって最後まで定子に寄り添い、その結晶がこの作品なのです。。
また、後世まで定子の姿を残そうと、枕草子を廃棄されないよう題材と背景に配慮しつくす清少納言の強い意志には頭が下がりました。
結果、社会もこの作品を受け入れることになります。
定子を迫害した道長は罪悪感から怨霊に怯え、他の貴族も罪悪感の裏返しから同情を唱えるようになりました。また、若者たちは定子の死に無常感と無力感にかられて出家していきます。
そんななか、美しい定子の記憶だけをとどめる枕草子はむしろ、社会を癒す作品として存在するようになったそうです。
そんな「たくらみ」を清少納言は計ったのです。愛ですね。
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枕草子は小学生の頃に最初に読みふけった古典で、描かれる宮中の有り様に憧れたものである。それが実際の出来事とともに解き明かされていてとても面白かった。紫式部の清少納言批判は子ども心にも嫌だなと思っていたので、その理由が説明されていたのも有り難い
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twitterでお薦めがあって読んだ本。
文学を文学としてだけではなく、実際にあった出来事と合わせると違うものが見えてくる、というのは新鮮な体験でした。
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美しく聡明、そして気高い定子は清少納言の憧れの人であり、畏敬の人だったのでしょう。でも、運命は定子に過酷な流転の時を与えます。清少納言は知的で雅な宮廷生活とその女主人定子を描くことで、定子の尊厳を守り、果ては、鎮魂歌としたのでしょう。「枕草子」が随筆などではなく、非常に知的に編集されたフィクションであることがわかります。