紙の本
清少納言の想いに涙しました
2017/06/15 00:34
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投稿者:bluemonkey - この投稿者のレビュー一覧を見る
清少納言の定子への想いに自然と涙が出ました。
失意の中屈辱的な日々を送る定子の心を癒し、一条に愛されながらも力尽きて逝った定子の魂を慰めるため、清少納言は書いた。
時には涙しながら書いていたかもしれない。
定子は枕草子の中で、明るく知性にあふれ思いやりのある気遣いができる魅力的な中宮として輝き続ける。
そんな清少納言の健気な想いに心が震えました。
切なくも爽やかな読後感を与えてくれた作者の山本淳子先生に感謝します。
紙の本
枕草子の見方が変わる
2020/11/05 09:38
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投稿者:pizzaco - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代、教科書に載っていた『春はあけぼの』の美しい描写。
自分の好きなものや宮中の生活を描いた随筆。
というイメージしかなかった枕草子。
だが、その時代の歴史と照らしてみると矛盾が生じる。
中宮定子とその一族の栄華と悲劇の歴史、道長との権力争い、一条天皇の思い、それらを清少納言という才気あふれる女性の筆が、描いたものだった。定子という稀有な貴人を守るため、周到なたくらみを持って。
文学好きにも歴史好きにもおすすめの一冊。
紙の本
とても面白く新鮮な驚きに満ちている
2018/05/21 21:42
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
「枕草子」といえば、小学生の教科書にも載っている、古典中の古典。
だれでも知っているでしょう。
私も古文の授業で教わったし、参考書や問題集では一部を読んでいたけど、読書としては読んでいませんでした。
それでもなんとなく、「枕草子」や清少納言のイメージは持っていたのですが、『枕草子のたくらみ』(山本淳子・朝日新聞出版)を読んで、ずいぶんそのイメージが変わりました。
この本自体がとても面白く新鮮な驚きに満ちていて、そこに描かれる「枕草子」がとても興味深いのです。
何より「平安時代のお堅い才女」みたいだった清少納言のキャラ(これ、完全に誤解でしたね)が、賢くもあり、かわいくもある女性に見えてきたのです。
そして清少納言が仕えていた中宮定子も魅力的です。
彼女らを取りまく、藤原氏を中心とした平安貴族の社会のようすもよくわかります。
こんな本を学生時代に読んでいたら、古文の学習がもっと楽しめたのになあ。
技術の進歩に直接役立つ自然科学と違い、文学なんて「役に立たない」と思われたりもするようですが、昔の書物がこんなに面白くよみがえり、楽しめるなんて、文学の研究って、なんて実り多く豊かなものなんだろうと思いました。
文部科学省は、こういう研究にちゃんと予算を出してよ。
紙の本
古典の見方が激変しました
2017/12/14 11:42
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投稿者:フィン - この投稿者のレビュー一覧を見る
枕草子は学生時代に授業で読みました。源氏物語に比べて平坦な印象であまり好きではなかったのですが。「たくらみ」というタイトルに惹かれて手にして、ホントに良かったと思います。
才気煥発のイメージがあった清少納言が実は劣等感に悩まされていた知って、一気に親しみがわいたこと。そんな彼女がなぜ必死にこの作品を書き続けていたのか、なぜ彼女がこんな書き方をしていたのか。まるで大河ドラマを観ているようでした。
古典を読むには、その時代背景をしらなければ半分も理解できないのだとつくづく思いました。次は同じ著者の「源氏物語」についてほ本を読みます!
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文句なく面白かった!
2020/04/16 16:23
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネットでおすすめされていたので手に取りましたが、期待に違わぬおもしろさでした。やっぱり物語はその背景や歴史まで含めて楽しむものですね。満足。
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定子皇后への
2020/01/10 13:50
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
田辺聖子さんの「むかし、あけぼの」を読んでいたので、とても興味深く楽しめました。枕草子に込められた、清少納言の定子皇后への言葉には尽くせない思いに心打たれました。
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本当の賢さ
2017/06/03 14:13
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投稿者:nobita - この投稿者のレビュー一覧を見る
今でも光る彼女の天才さとゆたかな感性および趣深さ。いつ読んでも最高!
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学生時代は「枕草子」、「清少納言」、「春はあけぼの」を連想ゲームのネタ的に記憶したり、「春はあけぼのやうやう白く~」から「冬はつとめて。雪の降りたるは~」という文面と現代語訳を暗記したりしただけだった。
それから時間が経っても「説経の講師は、顔よき。(説経の講師役のお坊様は、イケメンが良い)」などにより、平安時代のエッセイ集という認識でしかなかった。
ところで今回、源氏物語(の翻訳本)を読み終えて平安時代に興味を持ち始めた頃、ちょうど新聞の書評でこの本が紹介されていたので、図書館で借りて読んで見た。
単なる軽いエッセイ集ではなかったんだ。
枕草子ほどターゲットを絞り込んだ作品はないかも知れない。
だから、読む人にとっては「これは真実ではない」と腹も立ったであろう。
しかし、この枕草子を分析するこの本によって、教科書とは別の角度から平安時代が見られて面白かった。
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枕草子の解説と思って読み始めたが,それはそうなのだけど,その背景にあった人間模様,政治の駆け引き,社会の空気,もちろん清少納言の本当の気持ちなどが懇切丁寧に書かれていて,定子に関することがくっきり浮かび上がって,歴史書としてとても優れたものだと思う.本当に面白かった!
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枕草子の記述と史実を丁寧に突き合わせおて、枕草子が書かれた意図を解き明かすのとともに、歴史的事項についても考察したもの。特に、長徳の変の引き金となった藤原伊周・隆家兄弟と花山院の乱闘事件において藤原斉信が果たした役割についての推察は、これまで見たことがなかったが、非常に説得力があった。定子の死の文脈上での藤原重家・源成信や藤原成房の若くしての出家への言及も行き届いた感じ。
枕草子が定子(とその時代)の「めでたさ」を伝えるために書かれたというのは常識の範疇だろうが、ある種対立関係にある当時の貴族社会にいかに受け入れられるかに細心の注意が払われているか、書かれていることといないこと、両方を丹念に見て立証している。
定子の出家については動揺して思慮分別を失った、社会的自死という解釈で、確かに別の時代/文化だったら自害みたいなものというのには賛成だが、ミウチの庇護のない皇族/王権の脆弱さ(それこそ花山院退位事件)や安和の変などをごく近い記憶として知っていれば、自分の在所と知っていながらここまでやるということは帝が自分を見切ったと「政治的に」考えて絶望するのは自然だと思うのだが。実際にはそれで終わりではなかったので短慮に見えるが、一条帝の「変」後の寵遇が異例かつ一条としてもらしくない行動だったので、事件の最中には予見できないのでは。また、定子の「滅びゆく」あはれさ、というのは、若くして死ぬという結果に引かれすぎに思えた。
定子が若死にしなければ、清少納言もここまで強く伝えようと思わなかったかもしれないし、様々な立場での「鎮魂」の必要性も生まれず、今のような枕草子になって・受容され・伝承されなかったかもしれないと思うと、皮肉にも感じる。
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誰もが知る「枕草子」。でも、本書で著者が解き明かしていくその姿は、まったく思いもかけなかった新しい光を放っている。なるほど、そういうことなのだと、目から鱗がポロポロと落ちる思いで読んだ。
-才気煥発の人、清少納言による、ユニークな美意識に貫かれた随想-「枕草子」の一般的なイメージはこんな感じだろうか。平安文学好きなら、もう少し知っているかもしれない。清少納言は中宮定子を理想的に描き、その没落後のことは一切書かなかった。定子の産んだ内親王や親王については、不思議なことにほとんどふれられていない。紫式部はその日記に清少納言を辛辣に(と言うより感情的に)批判して書いている、などなど。
本書を読んで、清少納言や「枕草子」について抱くイメージがガラリと変わった。そして、いくつもの漠然とした疑問(上に挙げたようなこと)への、説得力のある「解答」をもらったと思う。著者の考察は、多くの研究者によって積み重ねられてきた「枕草子」研究や歴史的事実に立脚しているが、同時に、思い切って人物の内面に迫っていく独自の視点が導入されていて、そこに大きな魅力を感じた。
まず最初の、「枕草子」はなぜ、なんのために書かれたのか、という問題の立て方に、あ!と思った。私たち、いや私は、つい無意識に、平安時代の書き手たちを、現代の「作家」と同じように考えてしまうが、そもそも当時は(印刷などできないのは言うまでもなく)ものを書く紙が非常に貴重で高価だったのであり、「執筆する」ということの意味が現代とはまるで違う。「枕草子」も、紙を提供する人があり、ある明確な意図と目的を持って書かれたのだとあって、この「序章」ですっかり引き込まれてしまった。
第一章以降は、基本的に年代を追って、「枕草子」の各章段を引きつつ、その背景や清少納言の意図を探っていく形となっている。いやまったく、次から次から「そうだったのか」ということの連続で、自分がこれまでいかに固定的なイメージで読みとばしていたか、痛感させられた。「春はあけぼの」という出だしからして、ここまで重層的な読み方ができるのかという驚きでいっぱい。今まで何を読んできたのか…。
「枕草子のたくらみ」つまり執筆の目的についての著者の考えは、序章から明らかにされている。中宮定子の生前はその慰藉のため、死後は鎮魂のため。定子没後、藤原道長が栄華を極める世となってなお、なぜ「枕草子」は読み継がれ、その存在を抹殺されることがなかったのか。その理由を解き明かした終盤の筆致に、最も迫力があると思う。以前の著作「源氏物語の時代」でも感じたが、中宮定子の運命に寄せる著者の思いは、しみじみと深い。
著者は、「枕草子」において清少納言は自ら道化となり(もちろん定子のため)、自分の一面でしかないあるキャラクターを演じたのだと書いている。また、紫式部がなぜ清少納言に対して苛立ったのかも推測していて、このあたりが非常に面白かった。この二人の女性が生き生きとした姿で立ち現れてくる気がした。
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枕草子の歯切れの良い潔い文章
清少納言と定子の機知に感嘆しつつ
謎解きのようなわくわく感
最後には見事な収束
あとがきの最後で涙
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桃尻語訳もあり、明るく溌剌としたイメージの枕草子だが、それは中宮定子に捧げられたレクイエムだった。
清少納言の策略通りに千年後の私達は中宮定子サロンが雅やかさを愛でている。
清少納言はエッセイだけでなく、策士としても超一流だということ。
そして、その策略を読み解き、一般人に判りやすく解説してくれている著者に感謝。
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なんと、面白いことか。
本書が扱うのは古典の名作『枕草子』。学校の授業で、文法に悪戦苦闘しながら、つまみ食いのようにして読まされた『枕草子』。おそらく、全文を古文で読み通した人はそうはいないだろう。
かくいう私も、田辺聖子さんの現代訳『むかし・あけぼの』(名作です!)を読んだ程度。『枕草子』は、どこか、軽いエッセイのようなものと捉えていた。だが、それは確かに一面だが、それだけではない。『枕草子』には清少納言のたくらみ、想いが込められていたことを本書は指摘する。
その手がかりは、歴史的事実と『枕草子』の記載の乖離から浮き上がる。著者の山本さんは、それを清少納言の事実誤認とは考えない。清少納言が意図的に改竄したと考える。では、何故、彼女はそのように記したのか。哀しくも「あはれ」なたくらみが明らかとなる。
しかし、清少納言のたくらみは成功したと言えるのではないだろうか。なんと1000年以上経った今に至るまで、聡明な中宮定子を中心としたそのサロンは、明るく、闊達なイメージで受け入れられているのだから。
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日は入日 入り果てぬる山の端に 光 なほとまりて 赤う見ゆるに 淡黄ばみたる雲の たなびきわたりたる いとあはれなり
枕草子の後半に書き連ねてある「日、月、星、雲」の段。上の部分はその中の「日」の段にあたる。
初段の「春はあけぼの」にも通じるお題ありきの構成をとる。自然への洞察力に長け軽妙で小気味いい清少納言らしい文章だ。
もちろんこれだけを読んでも十分に枕草子の世界を堪能できる。
ただ、この背景にあるものを知ったらどうだろう。また一段と作品世界が広がることは間違いない。
この本によると、おそらく「春はあけぼの」は定子の生前に書かれたもの。そして上に上げた段は定子の没後に書かれたものとある。
平安という雅の中にありながらも、時代の波に翻弄された悲劇の中宮、定子。
そんな彼女の心を慰めるため、そして彼女の魂を鎮めるために書かれたのがほかでもない枕草子だったのである。
いったんこの作品がある種の挽歌だったと知ると、枕草子における清少納言のきらびやかな貴族社会への執着に合点が行った。
もともと山吹の花のくだりが好きで、ここを読むと定子の清少納言への愛情の深さに胸がいっぱいになってしまうのだが、この本を読んだ今はどのくだりを呼んでも清少納言の定子への思いがひしひしと伝わってきて切ない。
高校の授業で出会った枕草子。
知っているようで全然知らなかったその世界。
一筋縄じゃいかない。
だからこそ面白い。
平安の時代に思いを馳せながら、読み耽るのもいとあわれなり(笑)
尊敬するブク友さんから紹介された素敵な本です。
読んでよかった。
ありがとう~♪
久々のレビューでした!