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緒方さんファンのための資料の寄せ集め的な感じになっている。学者出の難民高等弁務官だからこそ見える視点や、現在の世界でどれだけ難民問題が深刻であるのか、それに対してどのようなアプローチを国連が行なっているのかについて浅く知るにはいい。ただ、専門用語や特に情報味のない記述が多く、前提条件として世界における難民問題や国連機関の機能を知った上で読むべきだったと持っている。
緒方さん自身の真剣な思いを読み取ることはでき、そういった意味で希望の枠ものではある。
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中満泉さんの著書「危機の現場に立つ」を読む中で、国連難民高等弁務官として中満泉さんに多大な影響を与え、また強烈なリーダーシップを発揮して猛烈に活動される緒方氏が登場していたので、ご本人の目線から見た世界が気になり読了。
彼女の事は、犬養毅を曾祖父に持つという事すら知らなかった。ただ、国際的にいうと彼女が国連難民高等弁務官に就任した時には実質無名で、中満さんの同僚は「こんな無名の人が高等弁務官なんて、もう終わりね」とまで言ってのけたらしい。
彼女が就任したのは91年なので、私は生まれて大した年月経っていなく、当時の情勢は肌感としては分からない。
就任してすぐに取り掛かられたのはクルド難民危機であったと言う。
冷戦後の世の中で、国対国であった武力紛争が国内紛争に変容していった頃だ。
変化に対応するため、現場に大きな裁量を渡し、いくつもの大きな判断と決断をされていった。その中で、常に判断の拠り所となったのは、「救わなければならない」という基本原則(プリンシパル)。これを守るために、行動規範
(ルール)を変えることにしたという。
残念ながら、この本に書かれている1991年〜2001年ほどの際に激変して世界的な問題となった難民問題は、それから20年経った今も決定的な解決の糸口は見つかっていないように思う。
それでも、わたしたちは、考え続けなくちゃならないし、関わり続けなくてはいけない。
「いくら島国だって日本だけカンフォタブルではいられないから」。
その通りだ。
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元国連難民弁務官緒方貞子さん逝去
日本人初の国連難民高等弁務官として10年間職務を全うされました。ご冥福をお祈り申し上げます。
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雑誌や新聞で緒方貞子さんが寄稿した記事がまとめられた一冊。
最初に、2年間の日記から始まります。日単位で、欧米、日本、アフリカ、アジアを行き来し、その間に、各界トップとの会談、難民や避難民のいる現場への訪問、スタッフとの打合せ等を次々とこなしていかれています。スピード感とエネルギーに圧倒されます。
オリジナルの本は2002年に刊行されています。今読んでも、今書かれた本のように感じながら読むことができました。
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思考も行動も、実践的な方だということをあらためて知る。
冷戦後の世界、自分がまだ世界について知らないとき、このような激動の国際社会で日々奮闘していた一人の日本人の女性がいたことを、これからも忘れずに生きたいと思った。
一人の人間にとってはあまりにも大きすぎる困難に直面したような場面で、彼女が下してきた決断と背負ってきた責任の偉大さに改めて圧倒されると同時に、明確な基本原則というぶれない軸があって、それらの選択や行動が積み重ねられてきていることを学んだ。
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平和ボケしている日本、しかしパワーバランスが崩れつつある現在、読んでおくべき本だと思う。が、本書の構成がしっくりこない…。それから、なかなかに難解。。。
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カテゴリ:図書館企画展示
2019年度第5回図書館企画展示
「追悼展示:緒方貞子氏執筆本等」
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2019年11月1日(金) ~ 2019年12月23日(月)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース
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今年になっての報道だったと思うが、米国タイム誌の世界に影響を与えた過去100年分の「ことしの女性」に、1995年の「ことしの女性」として緒方貞子さんが選ばれたというニュースを聞いた。
昨年緒方さんの訃報のニュースが流れたことも記憶に新しく、追悼出版として書店での平積みされているのを見たこともあり、今回は草思社版を図書館で借りて読んだ。
※図書館は新型コロナの感染拡大防止のため、予約と受け渡しのみで館は閉鎖中だ。
日本人として女性初の国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんについて、タイム誌は「小さな巨人という異名を持ち、手ごわい交渉人として知られた」と紹介していた。
緒方さんは、1991年1月に国連難民高等弁務官(UNHCR)を拝命し、2月にジュネーブに赴任し、それから2000年の末に退任するまでの10年間、任務を果たされたが、その後も米国同時多発テロ(2001.9.11)を契機として、アフガニスタンの難民帰還及び復興支援に貢献したと述べられている。
今回は、返却期限が迫ってからの着手となり、ほぼ走り読みとなってしまったが、緒方さんの多忙な職務生活と、難民問題に立ち向かう志のようなものを感じながら読んだ。
冒頭から、緒方さんの仕事に対する考えが現われている言葉を拾ってみた。但し、今から約20年前の情勢下における記述であり、現在はそれをベースとしてさらに取り組みは進んでいるのだろうと想像する。
「国家の権力によって領土を完全に保全し、国民の生命の安全を完全保護できる時代は終わった」
「紛争が起こる前に、飢え、病気、宗教的民族的差別、社会的不公正で苦しむ市民を直接支援する国際的な仕組みを作らなければ、この地球上から難民がなくなる日は来ない」
「私の判断の拠り所となったものは、ただひとつ彼ら(湾岸戦争収拾後のイラクにおけるクルド難民)を「救わなければならない」といことであった。この基本原則(プリンシプル)を守るために、私は行動規範(ルール)を変えることにした。
「常に難民という犠牲者の保護者として、保護を実施するための交渉に当たる。次に、保護者としていろいろなところへ行って拠出金を含む支援を集める、これが私のしてきたことである。」
「人間の安全保障というのは、安全保障を人権、人道、保健衛生、開発、環境、教育等幅広い人々の営みの側面から考えるものである」
***
「ジュネーブ忙中日記」として、1993年、1994年夏までの緒方さんの活動日記が記載されていた。タイトルどおり多忙でかつ重要な仕事をこなされる日々が綴られている。その忙中にも、ご自身の安らぎの時間を忘れられていないのがさすがだなと感じた。
面白いと思った記述。
1993年12月7日に、元国連事務次官の明石康氏と朝食をとられたことが書かれた内容。
「明石氏と朝食。九時、フランス語。九時三十分、副高等弁務官。官房長と毎朝の打ち合わせ会議」
日本人どうしなのにフランス語で会話されている!! それに朝ごはんがたった30分間。あっという間だ。
1994年1月7日の日記。
「九時、羽田孜外務大臣。九時三十分、藤井裕久大蔵大臣。一時三十分、鈴木俊一東京都知事表敬訪問。十時、テレビ朝日「ニュースステーション」久米宏のインタビュー。
登場人物に時代を感じる(笑)。
***
冷戦前と冷戦終焉後とでは、難民対策も変化した。一口に「難民」といっても、単一民族国家の日本にいてはあまりイメージがわかない。しかし世界には、何千万人という数の難民が現に存在する。
「政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者」というのが定義的なものらしいが、例えば冷戦終焉により、①これまで国外に逃避していた難民が故国へ戻るとか、②民族的対立のあった国家が崩壊しあらたな難民が生み出されるとか、③政治的不安や貧困から逃れたいと安定を求めて移動する難民など、膨大な単位で発生し、それらの難民を暴力(攻撃)から守り、経済的に保護し、命をつなぐのが緒方さんたち国際難民高等弁務官の仕事だ。
同じ地球上の、あるいは同じ国の人間どうしが、どうして殺し合いをするような対立をしなければならないのか。また無垢の人々が命を奪われなければならないのか。そういう根本的な問題があるが、緒方さんは、こう述べられているところがあった。
「戦争はいけないと叫んでみても実際に戦争があって、一番弱い人達が犠牲になっているのだから、まずは目前の被害者を保護しなければならない。その上で状況がよりよくなるチャンスを作っていく方が実践的である。」
「国家の安全保障から人間の安全保障へ」という講演もされている。
緒方さんは当時、「世界の難民の半数以上は子どもである」と述べ、難民が祖国に帰ったとき、また国内避難を終えたとき、新しい生活を立ち上げ暮らしていくためには「教育」が必要であると主張し、2000年に「難民教育基金」を創設されている。
「彼らの人格、忍耐力、勇気を祝い、明日への夢を約束したいのである」と述べられていた。
まさに、人間一人ひとりに焦点をあてた安全保障の基礎を築いた、偉大な日本人女性であったのだなと感じた。
最後の章では、「世界へ出ていく若者たちへ」と題して、語学力と合わせて、好奇心を持つことの重要性を主張されていた。
「人間は仕事を通して成長していかねばなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め。積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。」と。この言葉は、どんな仕事も通用する言葉であるように思う。
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あまり詳しくはしりませんでしたが、何となく尊敬する
世界で活躍している日本人として、緒方貞子氏の
イメージを持っていました。
いろいろな活躍や、アグレッシブな考えにふれて
感銘を受けましたが、一番のところは今の私と同じ、
ちょっと上の年齢で、国連難民高等弁務官に就任
(引き受けれられて)して、それからの
非常にアグレッシブな行動に脅威を覚えました。
自分もこのままでは、まだまだこれから。と思える内容でした。
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人から、読み終わったから、と、もらった本。
総論として、前半は微妙だったけど、後半は人となりが知れて面白かった。
彼女のUNHCRでの困難な決断三つ。本書の前半は、ひたすらこの三つが核になっている感じで、今はこの当時の「急増」と言っている規模よりも難民の増大は半端ないので、ややコンテクストが古い感じ。過去こうだったのね、トップはこういう生活なのね、という感覚で読む。
三つ。
イラク国内におけるクルド難民救済 国内避難民を保護することとなり大議論。 p.13
サラエボで、軍との協力による物資空輸を開始。停戦合意のない戦闘状態のなかで人道援助を行ったはじめての経験。従来のICRCの仕事。ユーゴ解体によって、今日の国内避難民が明日の難民になる可能性があったから。予防のため。また、直接的には、ICRC代表がサラエボで襲撃を受け亡くなり、彼らが撤退し空白が生まれていたため。 p.14
コンゴ民主共和国へのルワンダ難民大量流出の際、難民と、集団虐殺に関与した武装兵士や軍人、民兵が紛れ込み区別できなかった。そのためキャンプでどちらも支援することになったが、人道支援の原則から外れるということて非難轟々。
後半は、高等弁務官を辞めてから(終わり頃)のインタビュー等が収録されており、問題の扱い方がやや多角化する。軍隊の出動と人道援助部隊との関係の議論はいまだに絶えないし、難民キャンプ軍事化・治安不安定化の懸念も絶えない。そういう点でのコメントなど、今でも参考になるかも。国際警察としての軍隊の起用法を考えるとか。
また、日本人が今後世界でプレゼンスを示すにはどうしたらよいか、なんてコメントも載っていたりして面白かった。語学力は...重々認識しつつ...ぐぬぬ。
日本が均質すぎるがゆえに、世界の問題が身近じゃない、だからこそ積極的に意識しないと見えてこないというのは同意。
最後の解説で引用されていた緒方さんの言葉は、なんか端的に人となりを表しているのかなと思った。
島国日本が、「日本は素晴らしい」と自賛し、日本だけの繁栄や心地よさを求めればどうなるか。
「すばらしかったらそれを広めるということが一つの使命です。この国は物がなくなったりもしないし、犯罪もひどいわけじゃない。やや、心地よすぎるのです。だけど、ほかの国も心地よくならないと、いつかは、私たちも心地よくなくなる。それをもう少しはっきり認識することが必要ではないかと思います。」 p.399
緒方さんが、2000年金当時からsolidarityを提唱していたとは知らなかった!
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緒方貞子さん活躍の様子、1990-2000頃までの世界情勢、考え方、その背景(解説)を、外交官のような方々だけでなく私のような一般人にも読み取れる貴重な書。若い人へ向けた成長を期待する文章もあり、そこでは日本の在り方にも言及している。いまの時代にも影響を及ぼすNY世界貿易センターでのテロ、世界の難民、その流入などに関心ある人にも有益。アフガニスタンで活躍された中村哲医師の話は出て来ないが、同時期の動きがわかる。
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信念に生きた強い人。このような人に国を率いて欲しいと思う反面、自分も決断の場面で少しでも緒方さんのように振る舞えるようになりたい。講演などで直接話を聞いてみたかった。
以下、覚えておきたいフレーズの備忘録。
「ものを決める時は迷う。しかし、悩み続けるハムレットではだめで、決断する時は一瞬の度胸だ。」
「体系的に理解するというのは、答えを持っているということではなく、何が問題なのか質問ができる、ということではないでしょうか。」
「言葉や約束だけではなく、行動こそがアフガニスタンの運命を決定するのです。」
「人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。」
「日本人は答えはきっちりと出すが、問題を出してこないという欠点があるように思われます。」
「私は、国の内外を問わず、自分で歩いてみることを、若い世代にすすめます。」
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私にとっては読みにくい部分もあったし、時間が経っているので、かなり状況も変わっていて、記憶を遡りながら…という感じだった。
緒方貞子さんの激務や努力が理解できた一方で、日本のNGOはもっと大きく、活動すべきと理想論が掲げられていて、非営利団体で働いている私としては、努力で何ともならない部分があるなと少し思ってしまった