紙の本
これって実際に
2023/10/08 10:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あや - この投稿者のレビュー一覧を見る
避難所では実際にもっと悲惨なことが起きてたと聞きました。
この話も実際にあったことを参考に書かれてるんですよね。
食べ物を母親だけに配るようななった理由とか、
人間ってほんと信じられないですね、、
投稿元:
レビューを見る
さまざまな理不尽に腹が立って腹が立って、ほぼ一気読みでした。前回読んだ『嫁をやめる日』もそうですが、最終的には女性たちが現状から外へ踏み出す(精神的・物理的に)、でも大団円のエンディングではなく、まだまだ問題はあって、あとは本人の頑張り次第!というところが、かえってスカッとしていて好きですわぁ。
今回は小5の少年、昌也くんが大活躍でしたね。いるいる、こういう「理解してしまう」利発な子ども。そして、そんな昌也くんを尊重して、その時々に合った言葉をかけてあげられる福子さんも素敵でした。
投稿元:
レビューを見る
読みながら、怒りで何度も拳を握りしめてしまったので、なんか肩こった。
当時マスコミで報道する被災地には「美談」しかなかったような印象だが、ある文芸誌に多くの小説家が寄稿した「震災」についての文章は、まったく色合いが違っていた。
支援物資の分配の不平等や、避難所によっては、危険な感じのリーダー出現でとんでもない「自治」状態だったこと。思いのほか多くの文化人(かな?)が放射能を避けて海外や遠方に避難したこと。
あれから6年もの年月が流れ、別のところで起きた大地震や様々な事件の奥に記憶は薄れがちだが、まだ全然終わっていないし、当時起きた問題が解決されたわけではない。
この本では避難所を舞台に女性に対する差別的因習が語られているが、それは過去からあったものが表に出ただけ。
そう語って新たな世界に飛び出していった三人の姿に、ホッとした思いで本を閉じた。
希望がある結末でよかった。
投稿元:
レビューを見る
信じられないことの連続。
「品性下劣」が服を着て歩いているような男どもの言動に怒りしか湧いてこない。
どこか上から目線で、被災者に見返りを求めているボランティアにも呆れる。
何より、これらのことが実際に起きたことが元になっているというのだから驚きだ。
現実を知ることができてよかった。
投稿元:
レビューを見る
震災小説。東日本大震災の後、独り身を不安視し結婚する人が増えたと聞くが、本書を読めば結婚は止めておこうと思うだろう。男尊女卑が根強い日本、震災の時ですら男は足枷でしかないというのは何とも酷いものだ。震災の新たな一面が見えた気がした。
あらすじ(背表紙より)
九死に一生を得た福子は津波から助けた少年と、乳飲み子を抱えた遠乃は舅や義兄と、息子とはぐれたシングルマザーの渚は一人、避難所へ向かった。だがそこは、“絆”を盾に段ボールの仕切りも使わせない監視社会。男尊女卑が蔓延り、美しい遠乃は好奇の目の中、授乳もままならなかった。やがて虐げられた女たちは静かに怒り、立ち上がる。憤りで読む手が止まらぬ衝撃の震災小説。
投稿元:
レビューを見る
避難所で段ボールの仕切りを作る。
そんなんじゃとても完全にプライバシーなんて保てないけど、それでもないよりは絶対にマシだと思う。
生活する上で絶対必需品。
この話にはその仕切りを「私たちは家族同然なんだから」と使わせないようにする、避難所のリーダーが出てきます。
読みながら私は「いや、これは創作でしょ? ま、まさか本当にこんな人、いなかったよね……」と思っていたのですが、あとがきを読んでビックリ。
現実に、いたとは……。
そんなこと言える人って、全然周りが見えてないんだろうなぁ。
どんなところでもそうだけど、リーダーにどんな人がなるかって大切。
福子みたいに話しやすいおばちゃん、みたいな人が一番適任かも。
遠乃に関しては、「役所に行けば、なんか姻戚関係を失くす、みたいな手続きできるよ!!」とそればかり思っていました。
投稿元:
レビューを見る
東日本大震災のときに、おぼろげにある避難所の
仕切りがないということが報道されたような気がします。
その時はちょっとした違和感しか感じませんでしたし、
多分マスコミは好意的に報道していたような気がします。
絆の一言でプライバシーややさしさ、人の尊重などが
ないがしろになっていたのだとすると恐ろしいことだと
思います。
この小説に書かれてあることは、ある程度デフォルメ
しているのではないかと思いますが、そうであって
ほしいというか、そこまで馬鹿な下劣な人たちは
そうそういないような気がします。
本当にこういうことがあるのであれば、人のことを
本当に考えることって、困難なことなのだろうと考えます。
そういう老人にはならないようにしたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
私も五十年後ぐれえには、そっちさ行ぎますがら。
(漆山遠乃)
東日本大震災で被災した避難所が舞台。
九死に一生を得た55歳の専業主婦は避難所で将来を不安に思うが、ごくつぶしの夫が行方不明になり、少し安堵している。
夫を亡くし、生後6ヶ月の息子と生き延びた28歳の美人お母さん。しかし、避難所で傲慢な舅や義兄に支配される。
40歳のスナック経営のシングルマザーは震災で母を亡くし、息子が行方不明になり、避難所を巡る。
しかし、この3人が避難した避難所はダンボールの仕切りがない男尊女卑の監視社会。“絆”というフレーズで縛りあげ、授乳するにもままならず、ボランティアは高圧的な態度、意見をするにも田舎の風習で味方はいない。
読んでいて怒りと不快でたまらなかった。
ずっと不快、怒り、不快、怒りで少し希望が!と思ったとこにまた不快と怒り…
「私たち被災者は家族同然なんです。これからも協力して生活していかなければなりません。互いに絆と親睦を深めましょう。 ーだからね、我々に仕切りなんてものは要りません」
これが現実にあったっていうのが驚いた。
投稿元:
レビューを見る
事実に基づいているらしいけれど、一体どこまでが本当でどこまでが創作なのだろうか。主人公たちの周りの「ダメな男性」たちがまるで良いところなしで……。ある程度極端に描写しているのだとは思うけれど。
投稿元:
レビューを見る
東日本大震災の避難所での生活を題材としたフィクション。
ダンボールでの仕切りがあったとしても、いつまで続くかわからない生活には言いようのないご苦労があるだろうが、家族同然の絆が大切と仕切りを使わせない避難所が実際にあったようで、、。
震災後、なんでも絆、連帯といったくくりで、美談めいたまとめ方に違和感を持ったことを思い出す。
力のない人が権力を持ってしまい、そしてその権力にしがみつく怖ろしさ、翻弄される人々のもどかしい気持ち等、全く気持ちいい話ではないものの、登場する女性たちの描写が丁寧で応援したいような気持ちでどしどし読み進められた。
本書で初めて知った作家さんですが、他の著書も読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
あの震災の美談報道ばかりの中で実態はこんなにも違っていたのかと慄いた。確かにダンボールの仕切りがある避難所と無い避難所があるとの報道は見たけれど単にダンボールが届かなかったんだとばかりお気楽に思っていた。避難者の中からリーダーが選ばれその資質による避難所の暮らしやすさに差が出ていたのか。しかもやはり感じる不便も危険度も男女では大分違っている。今の日本ではいついかなる時にどこに暮らしていても避難所に避難しなくてはいけない事態が起こるか分からないのだから、そういう時の為にお役所には避難所の運営のハウツーを是非きちんと整備しておいていただきたいとも思った。
投稿元:
レビューを見る
一気読み。最初から最後まで、目が離せなかった。
男に生まれてごめんなさい・・・と、ここに描かれた男どもとは全く違う(はずだと信じる)けれども、無条件に謝りたくなってしまうような非道が、この作品世界内にはまかり通っていた。
3人が最後に見つけた“決断”には、フィクションならではの救いがあって読者としては安堵したものの・・。
ここで描かれたような“現実”は、きっと本当の現実の中にも星の数ほどあったのだろうし、
作中の3人のような“救い”を見出だせないままだったヒトたちもいるのだろう・・・。
物語としてはフィクションに違いないが、狭くて広い我が国、日本の現実を知るためにも、読んで損が無い一冊だと感じた。
いや、一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊だ。
★4つ、9ポイント半。
2018.03.08.古。
※方言の描写・・・当然っちゃ当然だけれど、こういう形に活字におこされると、方言を揶揄されている気がして少々不愉快に感じたのは・・・きっと、上京当時に自分も東北のイントネーションを指摘されて笑われた経験からくるコンプレックスなのだろうな。
自分の故郷は、イントネーションの訛りこそあれ言語的には標準語とほとんど変わらない地域だったにもかかわらず。
※避難所でのリーダー交代の一幕は、男の目線からも胸がすく心地よさだった。
※避難所での、女性の性的被害・・・も、大きく報道されてはいないけれどかなりの発生件数がある、と何かの記事で読んだ記憶がある。同じ日本人として恥ずかしくて仕方がない。
投稿元:
レビューを見る
震災で起きた津波から命からがら逃げ延びた女性たち。
しかし、その後の避難所での暮らしにも様々な辛さが待っていた。
仕切りも使わせてもらえない、男尊女卑。
読んでいて怒りが爆発しそうになる瞬間が多々あった。
いつ自分もそうなるとも限らない。
でも、女性たちは自分達の力で立ち上がる。
今や地震だけでなく、様々な災害が起こっている。
そんな時だからこそ、たくさんの人に読んで欲しい。
2018.8.29
投稿元:
レビューを見る
「震災があったからではなく、今までもずーっとあった問題」
私たちが、見ないふり、気づかないふりをしてきた問題を、震災によってあぶり出された。
読んでいて息苦しさを感じたのは、フラッシュバックのようにあの日のことを思い出させるからだけではないように思いました。あれから7年、私は、また見ないふりを始めていないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
たしかに、「絆」や「共助」や「つながり」といった反論不能で糖衣的な言葉に麻痺してしまうと、現場の人と人の間で本当に起きているミクロでリアルな現象を、社会的集団として適切に保護したり尊重したりすることができなくなる、というのはありそうなことだ。
個を尊重する民主的な社会になったと言われていたとしても、東日本大震災のような極限状況では、「ムラ」や「イエ」や男尊女卑や、名主、役人への服従を求める同調圧力が働いていて、昔ながらの社会的弱者は、理不尽な我慢を強いられたりしたことがあっただろう。