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彼は少しの特殊な経験から少しタフだった。
彼女はなんらかの経験から彼のタフさを見抜いていた(?)
そこが私が悲しいと思うところ。
若者は若者なりに考えて、勘違いしたりもする。
今思えば十分恵まれていたのに、ノーフューチャー感が気持ちの中にあった。
過去から継続する内面的な何かキラキラしたものや根拠の不明確な可能性を自ら無意識に生き(生かし)残した(残ってしまった)事が大人になれなかったという事で、その人の経験から、主観的な美意識でフィルターをかけた清いものと一緒に、過去を認識し自分なりに再構築し、流動的な関係性の現在から未来の中を粘り強く行くことが「大丈夫」という事である。か?
号泣した。
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Cakesでの連載の時はスーの場面が印象的だった。” あなた ” この3文字にまた触れてしまった私は我に帰る。
スーの繊細な無頓着さに私のココロも震えた。
かおりさん…リアルすぎて自分自身とオーバーラップしてしまう。男性の方が繊細なの?ただ自分の痛みに敏感なだけ?あ、イコールか…
本で読むとまた印象変わるなぁ。面白かったよ。
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帯にいろいろな有名人が推薦の文言を書かれてあって
それにちょっと騙されて読んでみましたが。
あまりにも、薄っぺらい内容かと。
誰にでも(私にも)昔のいろいろな思いはありますし
それがどうしたって感じ。
そんなことは、本で読まなくても実体験のほうが・・・
と思います。
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読みながら「かつて」を思う自分はもう「かつて」の自分ではないんだなぁと悟ってしまった。
序盤から引き込まれ、するすると読んでいってしまったのは自分にも心あたりがあったからじゃないかなと思ったり。
過去ってなんであんなに都合よく美しく見えるんですかねー誰か教えてくれませんかねーなんて(笑)
久しぶりにいろいろな思いにふけさせてくれる本を読みました。
出会えてよかった本。
とりあえずひと段落ついたなと思ってる貴方に読んで欲しい本。
「ダサいことをあんなに嫌った彼女のフェイスブックに投稿された夫婦写真が、ダサかった。ダサくても大丈夫な日常は、ボクにはとても頑丈な幸せに映って眩しかった。」
の部分が最高に好きで、最高に辛いんだ。
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過去から現在までのストーリーが時系列バラバラなエッセイのように書かれていた。現在を知りながら過去を読み、また現在へとストーリーが続く感覚が不思議だった。
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ものすごくいいサントラの映画を見ているような気持ちになった。読んでいる間中終始聞こえてくる音楽は燃え殻さんの紡ぐ文章の独特なリズムだろうか。軽快だけど遠慮気味に心に響いてくる音楽みたいな小説だった。1行目から情景がハッキリと目に見える。読者は物語の中にいて目の前で繰り広げられることをただ見ている。やっぱり映画を見ている時のような感覚だ。淡々としているけれど血が通っている。だから何度も目頭が熱くなった。どうということもないような場面で。堪えられずに本当に涙したのは一箇所だけ。家で読んでいたら号泣したかもしれないな。
「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい。」
「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかなんだよ」
「人生の本当に大切な選択の時、俺たちに自由はないんだよ。ケセラセラよ」
自分のすぐそばにいる普通の人が何気なく話しかけてくるような気安さと心地良さとどうしようもなくやさしい眼差しに包まれているような感覚になる燃え殻さんの文章はクセになりそうだ。
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これは良い。めっちゃええ(*T^T)。。。
と↑書いたこれをWEBにてなんらかの方法で目にしてる、あなたならぜったいなにかおもうところが出てくるであろう小説です、これは。
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東京で東京らしい生活をした経験の有無で評価が分かれるのかなと思った。
自分には共感できる箇所は少なかったけど、2時間ドラマを観終わった後のような悪くない後味を味わっている。
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大人になれないと言うのでもっと甘ったれた赤ちゃん中年みたいな話かと思ったら全然違っていて、人を愛したことがあるし、仕事でも苦労して責任を果たしており、オレの方がよっぽど苦労知らずの甘ったれであったと恥ずかしくなった。
90年代の東京はオレも過ごしていたはずなのだが、全く関係ない場所にいた。
時系列が前後するのが戸惑うところがあった。文章がかっこよすぎてちょっと恥ずかしかった。
彼女がフェイスブックに「ひどいね」を連打していくところが痛快だった。主人公が大好きだった彼女の大好きな部分が時を経て変わっていないことが分かる、とても美しい場面だった。
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20170810 同じ時代を生きてきた人には共感できる部分が多いと思う。誰にでもあった思い出にかするストーリー。考えてみると平均値が幅広かった時代だったのかもしれない。
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とにかく先へ先へとページを繰ってしまい、読み終わったその手でまた何ヶ所か読み直して理解した。
何かが刺さったけど、それが何か分からないようなそんな感じがした。
過去と現在を行ったり来たりして話が進むし、何年の出来事か書いてあるのに、読んでいて時間の経過がよく分からなくなる様な不思議な感じがした。
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一章の中で、時系列がいったりきたりしているのは小説としてはタブー。それが仇になって最後の描写が弱い。混乱して二度読み返したけど、現実のことなのか妄想なのかが非常にわかりにくい。恐らく妄想だろうけど。
こっぴどく振られた描写はないのに最後にそう書かれても、いまいち納得できない。
ただ、90年代のあの独特な雰囲気が伝わる文章だった。私は好きだ。twitterとかSNSを生きる、30代以上には読んでほしい本。
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「この小説がエモい!2017」第1位。
「エモいオブザイヤー2017」受賞。
「エモい」という時の「エモーション」を翻訳すれば、「刹那い」または「刹那」になるのではないだろうか。
たった一瞬。一瞬とも認識できないくらいの、たった一瞬。もしくは、永遠。
誰にだってあるはずだ。
この一瞬の記憶さえあれば、それだけで充分だと思えるような、
そういう刹那い記憶の一つや二つが。
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リアルタイムで小沢健二を知らない私でさえ、読んでいてどこか懐かしい気持ちになる。ひとつの恋を経て大人になりたいと痛切に願ったはずの私たちは、まだズルズルと、いつか本物の大人になれると夢を見ている。たとえ40代になったって心の澱に沈んだ傷に顔をしかめる日々が相も変わらずそこにあるのかもしれないけど、それでもまぁいいかなぁ。本当の意味でこの本の良さがわかるようになったとき、また読み返したい。
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本書に「男は過去の自分に用がある、女は未来の自分に忙しい」という一節があり、本書を最もよく表現していると思う。本書を手に取ったとき、読み進めているとき、立ち止まるとき、急ぐとき...その度に、あぁ自分は男なんだな、女なんだな、と納得してしまうエモい小説である。