紙の本
西田哲学→今西生態学→福岡生命科学というながれ
2017/08/24 20:38
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:知的生産の技術 - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者・池田義昭と生物学者・福岡伸一が「西田哲学」をめぐって対談。福岡伸一氏にとって、西田幾多郎は「近くにあるようでいていつも遠い存在だった」という。にもかかわらず、その思想は生命の定義・時間のとらえかた・「先回り」と「逆限定」「絶対矛盾的自己同一」などきわめて共通項がおおい。
福岡氏は、生態学者・今西錦司の『生物の世界』に影響をうけているらしい。今西錦司のこの著書は、西田幾多郎からすくなからず影響されている。福岡氏は今西錦司から間接的に西田幾多郎の思想をうけとっていたのではないか、とわたしは推測する。
ベスト・セラー『生物と無生物のあいだ』からはじまる福岡氏の「動的平衡」論の数理モデル理論をふくむ。
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最高。特に最初の福岡さんのわからずやっぷりとかが最強。もはやサスペンス。で、時間と、エントロピーと、空間と、部分と、全体と、みたいな話がすげえ最高。知的刺激レベルでは本年川添愛に並ぶ。
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この本を読む事により、なんとなく西田哲学の難解な表現が何故難解に到ったかの理由が、少し理解できたような気がする。福岡ハカセが池田先生に食いついていくところがなかなか面白かった。
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西田幾多郎の哲学が、福岡伸一の生命科学にフィットすることを強く感じた。
ただ第三章で、「逆限定」という言葉に対して、(正確には、「包まれつつ包む」に対して)、なかなか福岡さんが理解できなかったのは、それが哲学と生命科学の壁にあったからではないかと思う。
因果関係と同時性、これも重要なところだと思った。福岡さんの「先回り」という言葉がいかに斬新であっても、因果関係の世界にとどまっているように思われる。科学においては、やはり同時性を扱うのは至難であるのだ。だが、これは眉唾物だ。統計学においては、同時性を表す相関関係のほうが因果関係より簡単だといわれているからだ。
池田さんは、あまり大したことはないと思ったが、あえて評価すれば、福岡さんという名馬を見つけた名伯楽であったところであろう。
実は、池田さんの『西田幾多郎の実在論』を先に読んでしまっているので、それもあってか、池田さんに対する言葉遣いが気になってしまった。西洋哲学と西田哲学という「西」にかけた言葉遊びや、先ほどの「包まれつつ包む」という訳の分からない言葉。それから、西田幾多郎を絶対視するあまり、他の人間を低評価する傾向にあるところ。
一方、福岡さんの『生物と無生物のあいだ』もだいぶ昔に読んだが、シュレーディンガーや、シェーンハイマーなどの名前は憶えていた。「内の内は外」とかというのも覚えていた。でも、動的平衡というのは、新書で題名だけで知っていたので、新鮮ではあった。ベルグソンの弧という例があったが、エントロピー状態にいる我々生命が物質を壊しながら、物質を生成するというようにしてエントロピー機構それ自体は壊さずにうまく流れているというところである。
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根性出して読みました。粗いですが、概念の大枠はなんとか掴めたと思う。西田哲学の導入としては、最も分かりやすいのでは、と思います(信じます)。
福岡先生が書かれている通り、ご本人が獲得する過程を追っかけて記載されているから、読み手も理解しやすいのだと思います。
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『福岡伸一、西田哲学を読む 生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=kGXRsnU7jio
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「逆限定」について福岡さんが食らいついていくところは痛快。私も同じ疑問を感じてました。
ロゴスとピュシスについての話は、科学への違和感の要因が少し分かったようです。
西田幾多郎は生命の本質に気づいていたのに、言葉が難解で一般に広く伝えることができなかったということだろうか。
西田幾多郎も動的平衡も初めて触れたが、自分の中でいちばん腑に落ちる「生命の在り方」だった。
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二人の、その分野における碩学、それも自らの専門分野だけにとらわれない柔軟な思考を持ったお二人のダイアログがもたらす知的興奮を存分に味わうことができる。
「一冊で二冊分おいしい」とも言えようか。西田幾多郎の哲学のエッセンスと、福岡伸一の「動的平衡」・「ベルグソンの弧」の連関を二つながらに楽しむことができる。
特に福岡が西田の「逆限定」をどう理解していくかというところが、少しの疑問のないがしろにしない科学者としての姿勢が伺われて、それがまた読者にも理解を容易にさせてくれている。好著。
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●福岡伸一の生命論と西田哲学の関係
とてもスリリングな知的エンターテイメントである。
池田氏と福岡氏、と編集者(柴村登治氏)の力の産物である。
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今回のプログラムを通して、気になった一冊。
「生命をめぐる思索の旅」のお供に。(じん)
生命は時間を先回りする?型破りな生命科学と西田哲学の交差点(福岡伸一、西田哲学を読む-生命をめぐる思索の旅-)
https://beyondthenexus.com/fukuokashinichi_nishida/
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この本に出会えてやっと西田哲学の絶対矛盾的自己同一や無の意味がわかったような気がしました。
福岡さんの生物の無生物の間も読んでみたいです。
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西田哲学を理解するのに生命論から入るという画期的な書物。生物学者の福岡と哲学者の池田の両名の対談を通じて、西田の考えた概念の意味が解き明かされる。
自分にとっては、なじみのある「福岡生命論」によって、これから学ぼうと思っていた西田哲学の導入がなされるというのはかなり「お得感」がある。
なるほど、
・ピュシスとロゴスの分かれ目が、ヘラクレイトスのあとから生じたということ
・結果として、ハイデガーが出るまで「ピュシスに戻る」ということが西洋哲学ではなされなかったこと
という前提のもとに、西田を読むと琵琶湖がまさに生命であり、場であることがわかる・・・これで哲学や思想の本が読みやすくなる。
・年輪を例にとった「逆限定」の理解に関して、メールの往復書簡も含め、福岡が腑に落ちることに執拗にこだわったプロセスは、よく理解できる。能動態と受動態の言い換えに過ぎないという福岡の話は、後ほど否定されるのでよかった。
・生命の定義として、シュレディンガーが踏み込めなかった洞察が時間にまつわる話。合成と分解が同時におこる細胞膜の世界。
・生命を理解すると時間概念が変わる、というテーゼは、エントロピーが増大しきった世界が時間がない世界だとすると、生命が、分解と合成をくりかえし、エントロピーの増大に対抗することが、常に変化をもたらすという意味において時間を作り出していると解釈したときに、意味がわかる。
・「動的平衡」としての生命概念はポランニーのいう暗黙知とかなり重なるように気がする。生命とは部分だけではなく全体でもあることが、多と一という概念として、ポランニーの「個別のパーツの集まりから包括理解にいたることが暗黙知の暗黙知たるゆえん」という話とつながるのだ。
・西田哲学の活用の章は、福岡先生が非常に要領よく大事なポイントを5つに要約してくれている。
「ピュシス」・・・実在の捉え方
「包みつつ包まれる」「逆限定」・・・受動と能動ではない
「一対他、多対一」
「先回り」
「時間」
・さらに西田哲学が西洋哲学を乗り越える可能性にも言及。
ー観念論(存在論、現象論、機械論)ではなく実在論。観念論では時間が消されている。
ーモノではなくコト。生命はコト。コトこそ実在=ピュシス
ー機械論的に生命を考えることの危険。花粉症と抗ヒスタミン薬の話。花粉症は病気ではない。
・福岡「動的平衡」理論の詳細についての説明では、円環モデルで、かなりイメージがわいた。改めて、「ロゴスとピュシス」を軸に、様々な概念や学者とのつながりがそれぞれわかってきたのが収穫。
ーシュレディンガー、エントロピー増大の法則・熱力学の第2法則、
ーピュシスを重視してきた今西、ファーブル、グールド
ーロゴスのダーウィン、ドーキンス
等々
・なお、ダーウインが突然変異と自然選択の概念によって生物の多様性を説明したことから、多と一の関係をどう考えるかがスターティングポイントではないかと思う。多即一であるがゆえに、どちらに着眼するかで方向が変わってくる。
・後半になるほど、理解が進み、本書の見方が示唆することがわかってきた。
・西田哲学に戻れば、「行為的直観」やクライマーの例に収束する話だが、むしろ不思議なのは、ポランニーの「暗黙知」の話に似ていること。間違っても、意識と無意識の話ではないというあたりもくぎを刺している。
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ちょっと進んでまた戻って、そこでぐずぐず立ち止まって。なるほど〜と思っても、やっぱり分かってないな、私、と眉間に皺が寄る。
哲学という、実体のない、曖昧模糊とした思考の迷路が、生命を考える生物学を道案内に迎えると、ちょっとだけ道幅が広がって、ちょっとだけ歩き易くなる感じ。
それにしても#福岡伸一 先生は難しいことをとっつき易く、硬いものをやわらかくしてくださる、すてきな「先生」だなあ。福岡先生の本を読むと、世界の明度が一段あがる眼鏡をかけたような気持ちになる。