投稿元:
レビューを見る
★2018年1月13日読了『火定(かじょう)』澤田瞳子著 評価A
火定とは、修行者が自ら焼身死することによって入定(にゅうじょう)=永遠の瞑想に入ること。この物語では、恐るべき天然痘に襲われた平城京が病に焼かれ、人としての心を失いかねない状況に立ち至る闇に蹂躙されながらも、最後のところで踏みとどまり、医師、人として困難に立ち向かえることを物語に描いている。
前回読んだのは、江戸時代の絵師、伊藤若冲を丁寧に描いた物語だったが、同様に人々の情念をしっかりと描き出した澤田氏らしい作品である。
今回の舞台は、奈良天平時代の藤原光明皇后が設置した施薬院という一般庶民に開かれた当時の病院。そこに働く人々と猪名部諸男(いなべもろお)という以前は天皇、皇族を診察する内薬司に所属する侍医だった男が、主人公。
彼は天皇への薬の薬名誤った罪で、終身の懲役刑に落とされた。しかし、それは、彼の栄達をねたんだ名家出身の同僚侍医倭池守の策略だった。
猪名部諸男は、左獄(窃盗犯、殺人犯)の獄舎に放り込まれ、1年間地獄の日々を送っていたが、恩赦を得て出獄してきた。
その頃、遣新羅使たちが帰国してきた際に、日本へ持ち込んだ裳瘡(もがさ)=天然痘<豌豆瘡>が、平城京で猛威をふるい時の権力者であった藤原房前が死亡、また太政大臣8人中5人が死亡する危機的状況となり、絶頂期にあった藤原政権が倒れる事態となった。
獄中で労苦を共にした詐欺師で口が立つ宇須が考え出した常世常虫の似非信心の禁厭札で莫大な稼ぎを得た猪名部諸男たちは、宇須の悪だくみから平城京に大きな騒乱を巻き起こすこととなってしまう。
そうした状況下でも、施薬院の医師たちは必死の治療にあたり、たまたま猪名部諸男が出獄後、藤原房前邸に居た時に発見していた裳瘡(もがさ)=天然痘の治療法『備急千金要方』を入手し、人々の治療に用いる。その過程で、猪名部諸男を発見し、当時の冤罪を解くことを約束し、医師としての思いを封印していた彼の気持ちを動かして、治療に協力させる。そして、人としてすさんでいた猪名部諸男の医師としての誇りと尊厳を復活させる。
P302
人はみな、自らの存在に限りあることを知っている。それゆえに世の者は誰しも己の求めるものを追い、その生を充実させんともがくのだ。ならば人は今生きるがゆえにそれまでの短い生を輝かせるのであり、いわば人を真にいかしているものは、いずれ訪れる死なのではないか。
諸男は神も仏も信じない。だが、死のみが充満するこの河原にあって、諸男は唐突に、己が何者かによって生かされていると感じた。
そうだ。生と死は決して相反するものではない。数え切れぬほどの死の中にあってこそ、たった一つの命は微かなる輝きを放つ。生と死、正と邪とは紙一重であり、腐りきった世の中にあってこそ、あの施薬院が崇高なるものと映るがごとく、余にはびこる全ての悪は、ほんの一かけらの善なるものを輝かせるために在るのだ。
(-ならば)
京じゅうを死が埋め尽くした今、悪事に手を染めながらもいまだ生き続ける諸男にも、何かしら生きる意義があるということ��。
投稿元:
レビューを見る
「好きでこんなところで働いているわけじゃねえよ」施薬院を抜け出す事ばかり考えていた青年が「医に携わる者は決して、心強き者である必要はない。むしろ悩み多く、他を恨み、世を嫉む人間であればこそ、彼らはこの苦しみ多き世を自らの医術で切り開かんとするのではないか」と悟るまで、疫病の流行の中で闘います。
歴史に名の残る偉人の一生を追ったものではなく「与楽の飯」同様、その時代を生きた名もない人の生き様が、時代は違えど生きて行く上での懊悩は変わらないと描かれていて、読み出すと止まらないです。
投稿元:
レビューを見る
面白くて一気読みしました。
物語は、羅生門あり、赤ひげの要素もあり、親鸞にこんな場面あったなぁ~と所々既読感はあるのですが、それでも面白かった!
少しでも人のために、のちの世に役立てるように…と前向きに努める物語は元気をもらえます。
投稿元:
レビューを見る
第158回(2017年下半期)直木賞候補作品。
奈良時代に京で命を失う病が次々と発生する。無料で診療を行う施薬院にも続々と患者がやってくるが、原因や治療法も分からずにいた。その間、街では偽りの札を作り、混乱に拍車をかけるような扇動をする者も。治療法の手がかりとなる男を見つけ出し、人々を救うことができるのか。
人が極限状態に陥った際に、何を信じて、何にすがるのか。隔離しかないのだろうが、子供たちのことは切なかった。終わりの見えない困難に対峙する医師たちの姿が、胸を打つ。
投稿元:
レビューを見る
天然痘流行した奈良・平城京の人々の慟哭と絶望と混沌。
パンデミック後の希望を描くシーンは少なく、どこまでも闇へと突き落としてきます。どこまでも。
その印象はやはり、第六章のあるシーン。こういってはなんですが、都合よくハッピーエンドにはしません、という覚悟が感じられました。
登場人物一人ひとりが、後悔や諦念や憤怒に慚愧を抱え、それでも疫病から人々を救おうともがきます。一方で、混乱に拍車をかける存在もいる。もがきにもがいて、ようやくたどり着いた治療法。希望である小さな光。ただ、そこに至るまでの人の暗黒さが大きすぎて、それまでの闇を払う力には頼りなく映ります。
しかし、だからこそ、小さくはあるけれど、待ちに待った光明。再生への確かな導き。
もっと早く見つけていれば、もっと多くの人を救うことができた。後悔の思いは強いけど、今できる最善の事をやり続けてきたから、見つけることができた光。
慟哭と絶望と混沌の暗闇から抜け出し、希望と再生の日差しの下へと進む。
その第一歩を踏み出したところで終幕。
これ以上ない暗闇が襲い掛かってきても、必ず立ち向かい振り払って前進できる。
投稿元:
レビューを見る
『火定』という聞きなれない単語、広辞苑を紐解けば「仏道の修業者が火中に自ら身を投じて入定すること」と、記してあった。
時代は平安朝、そして人物名も現代名とは異なり、読みにくいかと思っていた。ところが、著者の筆致の圧倒的な迫力に、忽ち取り込まれてしまった。
疫病の患者の治療に奮闘する施薬院の医師綱手、不満を抱きながらもそこで働く名代。策略により、医師の地位を奪われ投獄の身となった諸男。混乱に乗じ、ひと儲けを企む宇須。彼らを中心に、「生と死の狭間で繰り広げられる壮大な人間絵巻」が展開する。
疫病の蔓延に絶望的な闘いを挑み続ける綱手は、その凄惨な現場から逃げ出そうとする名代に諭す。
「己のために行ったことはみな、己の命とともに消え失せる。・・・されどそれを他人のために用いれば、己の生には万金にも値する意味が生じよう。さすればわしが命を終えたとて、誰かがわしの生きた意味を継いでくれると言えるではないか」
やがて名代は、病に倒れた幾人もの氏を目のあたりにし、「彼らの死は決して、無駄ではない。この世の業火に我が身を捧げる、尊い火定だったのだ」との、境地に達する。名代の成長物語としても読める作品。
さらに著者は、「医者とは、病を癒し、ただ死の淵から引き戻すだけの仕事ではない。病人の死に意味を与え、彼らの苦しみを、無念を、後の世に語り継ぐために、彼らは存在するのだ」と、記す。世の医者たちに、心してもらいたい言葉ではないだろうか。
読み進む中で、綱手に映画『赤ひげ』の三船敏郎を、名代に加山雄三を、想起してしまった読み手であった。
ともかく、著者渾身のこの作品、直木賞を受賞しなかったのが残念・・・
投稿元:
レビューを見る
2017 下半期 直木賞候補
奈良時代 天平の頃 海外の文化がどっと流れ込んで、華やかに貴族や仏教文化が発展したが、外から入ってくるのは それだけではなく 未知の疫病が人々を苦しめていく。
読み始め、(これは人の名前なのか 役職なのか??)と頭が整理できなかったが、何度も繰り返される名前に話がついて行けるようになったのは中盤。
いたるところで疫病(天然痘)に倒れる人々
迫力のある表現で世の混沌とした様子が迫ってきた。
パンデミックによる人々の狂気は、いつ起こるかわからないだけに 怖い。
悲田院の子供たちの話は、心に来るところがあった。
本好きには受けそうだが、あまり読まない人には勧められないかな。
投稿元:
レビューを見る
☆3.2ぐらい。
世情を惑わすえせ神様騒動は『腐れ梅』でも見かけ、医師の倫理観どうこうは手塚治虫などの医療漫画で既視感がある題材。資料調べがていねいで、文章密度は高い力作なのだけれども、登場人物がどれも熱くて重すぎて、やや馴染めなかった。
歴史作家さんは、似たような時代ばかり扱っていると、傾向が固まり過ぎて面白くない気がする。
投稿元:
レビューを見る
出世を妬む同僚によって罠に嵌り、全てを失い、獄中で地獄を見た医師・諸男。
恩赦によって釈放されるが、詐欺師・宇須らと共に天然痘によってカオスに陥った奈良で悪事に身を窶す。
一方、病に苦しむ庶民の為にひたすらその身を捧げる医師・綱手。
人間の欲や妬みによって作り出される理不尽・・
それさえも全て焼き尽くす不条理。
想像を絶する夥しき「死」を前にして知る「生」。
投稿元:
レビューを見る
天平時代での流行病・天然痘の惨状はいかばかりか、と息を呑む表現。
そこに天然痘を食い止めようとする医者の尊い行動と混乱に乗ずる者達との対比がよく描かれている。
直木賞候補作としてとりあえず読んでみただけで、あまり期待をしていなかったが、久々に骨太の作品を読んだ気がする。
投稿元:
レビューを見る
天然痘(痘瘡)の種火が現れ,だんだん奈良の都を覆い尽くしていく様が,施療院として医師としてなすすべもなく患者たちが死んでいく様が,リアルに語られている.その中で,人間はどういう態度を取れるのか,どうあるべきかと揺れ動く心の有り様を描いている.どうしようもない自分勝手な心の奥に,美しい魂があることも確かなことで,それが感じられるラストで良かったです.
投稿元:
レビューを見る
生への執着、死の恐怖。
それはいつの世も変わらず、我々の前に立ちはだかる壁なのかもしれない。
天平の世、人々を死に至らしめる疫病「天然痘」の流行により、人の業や医師の存在意義について深く考えさせられた。
正体不明の疫病への恐怖が人々の心と身体を蝕んでいく。
そして疫病に懸命に立ち向かう医師達もまた、治療方法が分からず己の無力さに打ちのめされる。
医師とは病を癒すことだけが仕事なのではなく、病人達の苦しみ無念を後の世まで語り継ぐ責務がある。
タイトル「火定」の意味が分かった時、その尊さが胸に焼き付けられる。
己のプライドを捨てても病と戦い抜く医師達の強い信念に感動した。
無数の「死」の向こうにある「生」の輝きは、現代にも通じることだと信じたい。
投稿元:
レビューを見る
天然痘が寧楽の都に蔓延する。奈良時代のパンデミックに対する医者や市井の人々の行動を描く。公家を含む高貴な方々にも罹患し、都は混乱(パニック)に陥る。当時は天然痘についての知識が乏しく、治療の手立てもない。民衆は医療に頼らずに、まじない札など非科学的なものに頼り、果ては海外から天然痘がやってきたという理由だけで、外国人殺戮まで至るなど狂気の沙汰となる。天然痘に罹患した人の描写は酸鼻をきわめる。特に後半は顔をしかめるしかなくなる。
さて、天然痘に立ち向かった名代(なしろ)や諸男(もろお)は、それほど志高い人ではなかった。それでも何か運命に導かれるように病気に立ち向かう。奈良時代のパニック小説という試みは面白い。
また、この時代の用語は読めないことがよくあるが、本書では、適切なタイミングでルビが入れられているので、非常に読みやすかった。
投稿元:
レビューを見る
奈良時代、天然痘が都を襲う。治療法がわからないまま施薬院の医師らは懸命に人々を助けようとする。町では混乱に乗じて新興宗教が金を稼ぐ。挙げ句の果てに暴徒と化した民衆により異人殺しが行われ、施薬院で働く異国の者が殺される。なぜ仲間を殺した民衆を治療をしなければならないのか。疫病を広めないために蔵に押し込められた悲田院の子どもたち。子どもたちの側に最後まで付き添った隆英の気持ちを思うと辛過ぎる。死体の描写があまりに凄惨で食欲がなくなったけど、読んで良かった。もう少し語り口が時代小説っぽかったらもっと良かったな。
投稿元:
レビューを見る
素直に楽しめて、久々に時間を忘れる読者だった。はるか昔過ぎる時代は、我々が想像で補わないといけない部分が多い。だからこそフィクションである小説になりうると思う。そして自由に描けるのだと。筆者の描く世界はその自由さをもって大きく広がっている。