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九州・蓮乗寺藩、
日の当たる道を歩き続ける圭吾(三浦)と、その闇を全て引き受けて生きる剣豪・六郎兵衛(樋口)。
性別を越え、どこまでも深い愛情で見守る六郎兵衛を、いつしか疎ましく思い出す圭吾。
身の丈に合わない地位や富を手にした人間の、必ずと言って良い程嵌る罠。
豪商・津島屋の娘で、圭吾の妻・美津。
前半と後半で、描かれた美津の人間性に少し違和感が残る。
私なら、六郎兵衛に対する気持ちを聞かされた時点で愛情を失ってしまう気がする。 最後には、圭吾以上に六郎兵衛を理解しているのだけれど・・。
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初出 2016〜17年「小説新潮」
玄鳥つまり黒い鳥とは燕を指し、主人公三浦圭吾の兄弟子であり、その剣で圭吾の危地を救い守り通してくれた樋口六郎兵衛をそれに例えている。
軽輩の六郎兵衛は圭吾を守った際の事件がもとで人を切って遠島になり、一方圭吾は六郎兵衛が助けた豪商の娘を圭吾が助けたことになって妻に迎え出世の糸口を得る。
六郎兵衛が赦されて戻った時、圭吾は藩内の権力闘争に巻き込まれ、またしても六郎兵衛に助けられて権力を得るのだが、結局藩主の権力掌握の策謀によって2人が戦うはめになる。
葉室作品には珍しく、主人公はためらいつつも流れに身を任せて権力を志向するのだが、その苦悩と六郎兵衛に対する揺れる思いが描かれるが、結末はやはり葉室作品らしい。
ただこれが最期の遺作だとするとやや物足りない気がしてしまう。
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葉室麟さんの新作を読めるのもこれが最後かも知れない。
順調に出世していく三浦圭吾と、常に彼を支えようとする樋口六郎兵衛。
男という者は、地位が高まると周囲を冷静に見ることが出来なくなるのは今も昔も変わらない。
そんな中でも常に圭吾のことを想って行動する六郎兵衛。辛い時もあっただろうな…。
葉室さん、いい作品を沢山届けて下さって、本当に有難うございました。
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今年作者の葉室麟がなくなった 新しい小説を読むことができない寂しさがある ひたむきに生きる男女の愛を遠くから見つめる寂しい男がいた。このことが人が生きていく上で大切なものは何かを教えてくれていると思う
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映画公開で話題になっています「散り椿」の著者
昨年末の訃報です
時代劇の面白さを伝えてくれた作家でした
これは刀を交えての男の友情
淡々とした文章に丁寧に描かれています
情景もきれい
もっと書いていただきたかったです
玄鳥とは燕のことですって
≪ 家燕 もどることなく ただ想う ≫
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この作品も読後感に心に沁みるものがある。思うようになりならない宿命もしくは、組織の中で権力や思惑が渦巻く中で友情や大切な人を思う心がしっかりと著されており葉室文学を堪能できる作品だと感じた。
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三浦圭吾と樋口六郎兵衛は同じ道場で稽古相手だったが、豪商津島屋の娘・美津を助けた事件で圭吾は主役の樋口から手柄をもらった.身分を弁えた樋口の配慮から出た措置だったが、これを縁に圭吾は家老今村帯刀の派閥に入り出世し始める.対立する沼田嘉右衛門との抗争で、今村の隠居に合わせて圭吾は勘定奉行になる.樋口は事件の責任をとって島流しになったが、その期間が終わり郷里に帰還した.圭吾の屋敷に逗留した樋口から藩政の裏を伝授されその内容を次第に知るようになった圭吾は、殿の利景から裏幕の梟衆の頭を紹介される.最終的には利景の企みで樋口と果し合いを迫られた圭吾は、事前に妻の美津と樋口が策略した奇抜な策で奔走する.樋口の生い立ちの様々なエピソードが物語に深みを与えている感じだ.
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三浦圭吾は正木道場筆頭の樋口六郎兵衛に何故か優しく守られる。
圭吾は先輩であり見事な腕前を持ち人格者の六郎兵衛を慕う。
けれど、藩内の勢力争い、自分の保身や出世のため圭吾は六郎兵衛を利用する。
人は自分を守るために尊敬をし慕っていた人までも利用するようになるのか。
自身をかえりみず人のために尽くすことのできる者などいようか。
けれど六郎兵衛は自分が圭吾に利用されていると知りながら彼を守り通す。
六郎兵衛は圭吾に諭す。武士の刀はおのれの命をかけても守りたい大切な人のために振るう物と。
六郎兵衛にとって圭吾は命を賭しても守るべき大切な友であった。
彼を守ると決めたからには裏切られたとしても守り通す事が自分の存在価値を認める手段であったのだろう。
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内容(「BOOK」データベースより)
互いを思いやりながらも、藩政に翻弄される男たちの葛藤と覚悟。富商の娘を娶り、藩内で出世を遂げる三浦圭吾。しかしその陰には彼を慈しみ、遠島を引き受けてまで守ろうとした剣の達人・樋口六郎兵衛の献身があった。十年を経て罪を赦された六郎兵衛は静かな暮しを望むが、親政を目論む藩主の企てにより圭吾に敵対するよう仕立てられていく―。
令和2年7月10日~13日
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2020.09.13
やはり「恩は忘れてはならぬ」と改めて思った。どんなことを言われようと自分の思いを信じて迷ってはならない、と。
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「武士であることを捨てればよいだけのことです」気のせいか、最近読む本には「逃げろ」というフレーズが良く出てくる気がする。立ち向かうには敵が巨大過ぎるから、きっと三十六計逃げるに…、か。
沼田が奇しくも圭吾に語る「お主はもともと政に向かぬ男であったのだ」。藩政を握ることは、単に実力だけではなく、裏の駆け引きが必要だったと。そして、生真面目に出世街道を上ってきた(帯刀から譲られた)圭吾を引きずり下ろすのは、藩主・利景にとっては簡単なことだった。
そして、武士の世界では、上意は絶対でもあった。”政”とは、権力とはかくも怖い・無慈悲な欲望の世界でしょうか。
綺麗ごとだけではないとか、長い物には巻かれろとか、虎の威を借るとか。世の中を上手く回すには、悪徳なんとかとか、袖の下とか、パワーバランスとかさじ加減をするとか。そういう世界に無縁の私には、摩訶不思議な感じがして匙を投げる他ない。
樋口六郎兵衛という剣客がいる。あたかも、何処かへ飛び立っていきたい燕のように。翼のざわめきが聞こえると妻・千佳は語る。そして、大切な者を守るために己を犠牲にできる。
武士の刀は主君であれ、家族であれ、己の命にかえても守りたい大切な人のために振るうのだと語る。必ずしも主君である必要がないと。
「優しい心は言葉にならずともわかります。そして優しい心のそばにいれば、不幸せということはございません」と語る美津の姿が愛おしい。