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古希なんてまだまだ先だけれど、著者の本は時々読んでみたりする。
「老後」なんてものはない、という気がする。というか、「老後」などどうでもいい。
六十歳から七十四歳までの十五年間は「黄金の十五年」だの、「老後の豊かな暮らし」だの、「老後の性をどうするか」だのといった一々がやかましい。何歳になろうと、あるのは、人それぞれの一日一日の生活だけである。
わたしにとって今日という日は、「老後」の一日でも、「じじい」の一日でもなく、あくまでも「わたし」の一日である。(本文より)
人生に後悔はあって当たり前、楽しまないと損だなんて思わない――。
「自分なりの日々」を生きる70歳が、何をしてもいい(しなくてもいい)日々をユーモラスに綴る。
人気の「定年後シリーズ」がついに「古希」の世界に突入。
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人生に後悔はあって当たり前、楽しまないと損だなんて思わない――。「自分なりの日々」を生きる70歳が、何をしてもいい(しなくてもいい)日々をユーモラスに綴る。人気の「定年後シリーズ」がついに「古希」の世界に突入。(Amazon紹介より)
父が古希を迎えたので、何となく手に取ってみました。70過ぎた人と接する上で何かヒントになるようなことはないか…と微かな期待を持っていましたが、全くそういう内容ではなかったです笑
著者の勢古さんはサラリーマンとして34年勤め上げたあと、『定年後のリアル』をはじめこのような本を何冊も著しているらしいです。この『古希のリアル』においては、「楽しむのが偉いのか?何かやるのが偉いのか?何もやらなくたって俺の勝手だろうがバカヤローが」とのご主張を展開。口汚い部分はありますが、確かに「何かをやっている人の押し付け感、私凄いでしょ感」が鼻についたり、「人生楽しまなきゃ論が蔓延っている世の中」を鬱陶しく感じたりする気持ちはよくわかります。私は周囲の人や流行に流されがちなので、「何かやっていない人生、楽しんでいない人生は損」という考えを当たり前のように受け入れていましたが、別に「何かしていない=楽しくない」ではないんだよなぁ。いろいろ精力的に手を出していた大学時代に後輩から「生き急いでますね笑」と嘲笑されたことを思い出しました。
ただ、こういうタイプの本は著者と同世代の人間が読むと面白いのだと思います。私としては「確かに!」と思う部分はありつつも、基本的に批判(文句?)的なスタンスの文調に辟易してしまいました。きっと自分が古希になってから読めば、もっと自分自身の中に思想が出来上がっており、著者の思想と比較して飲み込んでいけるのだと思いました。
結論:この本は古希を迎えた父にプレゼントしてあげるべき!笑
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わたしにとって今日という日は、「老後」の一日でも、「じじい」の一日でもなく、あくまでも「わたし」の一日である。
このまえがきの結びがとても良い。
後悔?そりゃいくつかあるさ。しかし、いまさらそんなことにふれるつもりはない。
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定年後を書いた書籍の中では、勢古さんのシリーズが一番自分に合ってる気がします。「私」の一日を怖れず振り回されず暮らしたいです。こうなったら?喜寿のリアル、傘寿のリアルと続けて下さい。他書籍などへのツッコミも好きです。
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前書に続き、本の引用やドラマなどの話がある。でもよくよく考えると、仕事のない人の関心事なんてそういうことだと思い当たる。結論的には普通に年をとるということのただの実態ということになる。定年や認知症などの本は多いが、生活そのものを描いている実態エッセイとしてはこういうものなのだと気がつかされる。
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このシリーズは「定年後のリアル」から読んでいる。
著者は、六十歳の定年を前に退職し、このシリーズが始まった。 本作までに10年が経過し、古希を迎えた著者が老後を語る。
相変わらずの投げやりな文章で気軽に読めた。老後の理想論、豊かな暮らし、人生を楽しむという人たちの本を読むと鬱陶しく感じるようになるらしい。日々のニュースや読んだ本など色々気にしながらも、そういう情報に左右されない自分の1日を過ごすことが大事という。 以前の本に比べてやや毒舌は減ったけれど、定年後の著者の実感や本音が感じられて面白かった。
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はっきりしていることがある。世のじいさんやばあさんは、だれも自分が爺さんや婆さんとは思っていないのである。「老後」など、どうでもいい。何歳になろうと、あるのは、人それぞれの一日一日の生活だけである。「老後」の一日でも、「じじい」の一日でもなく、「わたし」の一日である。自分の流儀で生きるしかない。 勢古浩爾「古希のリアル」、2018.2発行。