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処刑と拷問における文化と技術の変遷が、絵と写真を多く使いわかりやすく、そして生々しく解説されています。
地域・民族性と時代によって吟味されてきた処刑方法。
科学と倫理の進展により電気椅子や致死注射やガス室が発明されますが、稀に人道的でない結末があることに幻滅します。
結局のところ、プロによる銃殺刑やギロチンや絞首刑のほうが当事者にとっては幸福なのかもしれません。
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表紙にはこうある。
人間は、かくも残酷になれるのか?
そうだ。なれるのだ。
この本を見たら性善説などただの理論に過ぎないと思うだろう。
なぜなら人は昔からありとあらゆる方法で、たくさんの人を殺してきたからだ。
剣で刺したり首を刎ねたり、拷問したり火あぶりにしたり、絞首にギロチン、皮剥ぎ、電気椅子、ガス室、致死注射、銃殺おまけに処刑の後も死体を粉にして薬にしたり、血を飲んだり、最後まで「利用」している。
さらにここでわかるのは人はそう簡単に死んだりしないと言うことだ。
酷い苦しみを何分間か、場合によっては1時間近くも味わうなんて考えただけで恐ろしい。
かつての中国で行われたような、ゆっくりと人を殺していくと言う刑(凌遅刑、りょうちけい)がある。
自分が死に行くのを、気絶もできずに過ごすのだ!
腕のいい死刑執行人は、死なないように、致死量の出血がすぐに起きないようにしたと言うが、そんなベテランには会いたくない。北アメリカではネイティブアメリカンが頭の皮を剥ぎ、戦利品にしたり、遺された家族の怒りのやり場としての用途に用いたりした。
ここで、やはり、「未開人は!」と思っただろうか?差別意識を露わにしただろうか?
では「進んだ」国を見てみよう。
革命の国のフランスでは悪名高きギロチンが有名だ。
人道的な死のために用いられたが、しかしこれもすぐ死ねるとも限らなかった。
暴れる死刑囚が、暴れたが故に首ではなく頭をわられる事もあった。
しかも1977年まで公開の場で行われていた!
アメリカの電気椅子は通電が甘かったために、生きながら焦がされたり(それでも絶命までに24分かかった者も)、注射も静脈を突き破ってしまったり、失敗だらけだ。
余談だが、『隣の家の少女』の作者、ジャック・ケッチャムの名は、おそらく死刑執行人、そして犯罪者の2人の名を取ったのだろう。
悪趣味、ではあるが、そこになんらかの意図も感じるのだ。
本書は万人に勧められるものではない。
しかし、刑罰というもの、人間というものを考える上で避けては通れない問題があ理、その問題の考察に本書は大いに役立つだろう。
その意味では名著であるが、私が本書を読み始めたのは純粋に好奇心からであり、しかもそれが自分の身に降りかからないだろう、とタカをくくっているからこそ、さも高尚なような、先の問題提起を行えるのである。
その実、本書を読む事でサディスティックな快感、己の残虐さを満たしているのだと思うと、恐ろしいとしか言いようがない。
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人間は、かくも残酷になれるのか?磔、ギロチン、鞭打ち、火あぶり、皮剥ぎ、ガス室、電気椅子…。世界の怖い絵に描かれた、人間の恐るべき本性!ぞっとするベストセラー、待望の翻訳。(e-honより)
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人間は、かくも残酷になれるのか?磔、ギロチン、鞭打ち、火あぶり、皮剥ぎ、ガス室、電気椅子…。世界の怖い絵に描かれた、人間の恐るべき本性!ぞっとするベストセラー、待望の翻訳。(アマゾン紹介文)