読み応えがあり、面白く、怖い。
2018/05/31 21:41
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
300ページ超えですがドキュメンタリー番組を書籍化したような感じで
飽きることなくぐいぐい読み進めることが出来ます。
正直寝る前に読むと怖いような章もあります。
というか明らかに影響を受けたと思われる悪夢も見ました(苦笑)怖かった・・・
しかし最後が恍惚発作というある意味平和(?)なネタで終わってるのは救いでした。
不謹慎だけど一度だけで良いから経験してみたいですね、恍惚発作。
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コタール症候群,アルツハイマー病,身体完全同一性障害,統合失調症,離人症,自閉症スペクトラム,体外離脱,恍惚てんかんという,それぞれが自己のあり方に問題を投げかける各種精神・脳機能障害について,主に脳科学,臨床的側面から知見をまとめ,自己とは何かという問いに迫る内容.全体を通し,島皮質の役割が自我にとって重要であることが分かる.自分の身体の動きを自分の意思と結びつける脳の働きがきちんと存在しており,それが機能不全になることで,誰かに身体を操られているという感覚や,幻聴・思考障害をもたらす.自分の脳が死んだと主張するコタール症候群や,自分の身体の一部を異質に感じて除去しようとする身体完全同一性障害などは,それがあること自体これまで知らなかったので,勉強になった.最近,精神疾患に主な関心がある私だが,こうしてみると器質性疾患と呼べそうなものは,発達障害などのような曖昧な疾患と比べて,明らかに異常だと感じさせるものがあって,それは我々が無意識に常識と感じているところそのものを,揺るがせてくるからではないかと思う.
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自己は、どのように生まれるのか?という哲学的テーマに、ゆがんだ自己を持つ病気の人々の自己、内面を見ていくことで、迫ろうとした本です。個人的には自己に関する哲学的テーマは観念的過ぎて、よくわかりません。しかし取り上げられた病気は興味深く、よく取り上げられがちな自閉症だけでなく、コタール症候群や自己像幻視や身体完全同一性障害などに関する研究や患者さんへのインタビューなど興味深く読みました。脳の不思議に引き込まれる本だと思います。最後に書かれた「どんなに重い病状であっても、自らの状態を経験する「私」は必ずそこにいる」を念頭にこれからも自己や意識の研究は進められるのだろう。
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精神と肉体、特に脳機能との関わりを語る。
うーん。
面白い人にはものすごく面白いと思う。
自分の体の一部が自分のものではないという違和感に苛まれ、あえてそれを切り取ってやっと一体感が得られるとか、いろんな衝撃的なエピソードをちりばめて展開する。
俺くらいの興味感なら、半分くらいの量で良かったかな。ちょっと読み続けるのが面倒臭い感じがした。
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精神病の症例を通じて、「自己」という謎に迫る。数々の症例を読んでいるうちに、自分が「私」というものを認識できることが、奇術のように思えてくる。果たして、自分が生きて、存在している、ということをどうやって認識しているのだろう。逆に、「私は死んでいるのだ」と主張する人は、どの程度異常なのだろうかと考えてしまう。
今まで、自己というのは揺らぎようのない確固たるものだと思いなしてきたかもしれない。それが、実はそんなに堅牢なものではないということがわかると、とても不安になる。
脳の機能は、詳細がわかっているわけではなく、まだ謎だらけのようだが、脳の中で自己が形成されているのはほぼ間違いないだろう。しかし、脳の中に、まさに「自己」という部分があったり、脳そのものが自己であったりするわけではない。それは様々なものから組み立てられる、実体のないものなのだろう。
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自分は既に死亡していると言い出す人がいる。例えば精神は生きているが、脳は既に死亡していると。コタール症候群と呼ばれる症状で、別にふざけているわけではなく、実際に代謝が極端に低下したりするケースもあるそうだ。
また、身体完全同一性障害というものは、自分の身体の一部、例えば右足が自分のものと思えないという症状だ。異物を身につけて暮らさなければならないというストレスに悩まされて、その足を切断してしまいたいと欲する。これも本人が錯覚しているわけではなく、実際に異物と感じている足と、そうでない自分の足に対する脳の反応が異なるのだ。そして、その異物である足を手術によって切断すると、一気にストレスから解放される。
この本の中では他にもアルツハイマーや、自閉症、体外離脱、自己像幻視(ドッペルゲンガー)なども取り上げて、それらを「自己」とは何か、何が自己というものを生み出しているのかという観点の研究をベースに読み解こうとする。
自分の右手を動かす時、それを自分の右手だと認識できるプロセスは?実はそれは生来的に身についているものではなくて、右手を動かすという脳の指示と、右手が動いているところを目で見るという視覚の双方が合わさって生まれている。この感覚がうまく連携できなくなった時、その右手を自分の手だと認識できなくなったり、果ては自分の身体を第三者的な視線で見つめたりするようになるのだ。
著者が最後に述べているが、肉体と精神が一致しているというのは当たり前ではなく、精神の病い、肉体の病という二分法も正しくない。精神も所詮は脳の働きであり、脳の働きの不調はまだ研究がこれからで、解明されていないところが多いだけで、他の身体の不調と何ら変わらないという事がわかってくる。とても興味深い。
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以前から気になっていた身体完全同一性障害についても書かれているので嬉しい。
恍惚発作について書かれている8章が面白かった。過去に高熱を出した時等に2回程経験しており、本書の中では自分の経験と照らせる唯一の症例だった。神秘体験をした感じはするけど神秘主義者ではないので、まあ脳に何かあったんだろうな…と思っていたことが理屈で説明されたので心地良かった。
自閉症について書かれた6章については、これまで読んできた本よりも身体知覚に重点を置いて語られており(本書は全体的にそう)、なんか自閉症の原因ってまだまだ研究途中なのよね、という気分になった。
ジャーナリストが書いたもの特有の感じはありますが、読みやすく症例が多めで面白い本でした。
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興味深い内容だった。
認知症やてんかん、自閉症といった名前は聞いた事のある症例もあるが、驚いたのは自分の脳は死んでいると主張する「コタール症候群」や、自分に付いている手や足が自分のものではないと思い混み、それらを切り落とそうとする「身体完全同一性障害」など聞いた事のない病気。
その症例はその病気を知らない者にとっては、もう異常としか思えないかもしれない。しかし、身体完全同一性障害の彼らは、実際に切断手術を(闇医者によって)施し、やっと自分が完全な存在になったと満足する。
どの病気も脳に問題がある場合が多く、腫瘍などを取り除き治る患者もいるが、やはり認知症や自閉症など完治しない病気もまだまだ多い。
いずれにせよ、そのような症状に悩んでいる患者は多く存在するし、私たちもいつ発症するかは分からない。
この様な病気の存在を知ることが必要なのかもしれない。
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「自己とは何か?」という未解決の疑問を、自己意識に歪みが生じる様々な疾病とその原因を巡る神経科学の最前線の議論から解きほぐしていくサイエンスノンフィクション。自分が知らない様々な疾病や、最先端の神経科学の研究の凄さなど、これが非常に面白く、こんな世界があるのか、という新鮮な驚きがある。
それは本書で取り上げられる疾病だけを見ても実感できると思う。例えば、冒頭で取り上げられるコタール症候群は「自分の脳はもう死んでいる」、「自分の腸が腐ってしまった」という主張する疾病である。脳が死んでいるのであれば本来、自己の意識や精神も消失するはずが、それだけが残り、死んでいるはずの身体とにも関わらず生きている精神、というギャップに、患者は苦しめられることになる。
また、精神医学の世界でも極めて珍しい疾病とされる身体完全同一性障害(BIID)では、自身の手足が自分のものである、という一体感がなく、むしろそれらは自分のものではないという違和感に苦しめられるという。結果、自身の手足を切断してくれる外科医と出会えた患者は手術を行い、手術後に初めての精神の平穏を手に入れるのだという。
こうした疾病に対して、神経科学の研究者らは脳のどの箇所でこうした認知の歪みが生じるのかを明らかにしつつある。神経科学の最先端では、患者と非患者の対照実験等を通じて、問題がありそうな脳の部位を特定していく。
そうした研究の成果を踏まえて、本書では「自己とは何か?」という問いに対して究極的な答えはまだないものの、身体と精神は脳を媒介とした三者の複雑なトライアングルで結ばれており、自己の意識もその三者の複雑性から生じている(=精神と身体がデカルト的二元論として分断されているわけではない)と、当座の結論を提示する。まだまだこの問は研究が必要なものではあるが、何がこの問を解決する糸口になり得るのかは少なくとも見えてきているのではないか。
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自己認識をどうやってるのか、という話なんだが。いろいろけっこうえぐい。でもこういうの苦手だと思っていた割には読めちゃった。
脳内で自己を管理する場所はここと特定できるわけでもない。島皮質側頭頭頂接合部内側前頭前皮質など、自己感覚に関して他より重要な領域は存在するが、これらのうちどこか一つに自己の居場所があるということではない。ナラティブセルフは話し手のいる物語。客体としての自己についても、構築者の話は出てこない。自己感覚は身体も組み込まれた神経プロセスの産物であり、脳、身体、精神、文化まで加わってその人らしさを作っている。主体として認識者としての自己については満足される説明がない。意識それ自体を理解する必要がある。p306.
自己を作り上げるうえで一番重要なのは物理的な感覚と内部感覚、感情は体制感覚情報で構築されるというダマシオ的観念。p183.
予測コーディングモデル。p192.
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ちょい読み。
珍しい症例も含めて、精神病の症例が8つ紹介されており、それらをまとめることで、「自己とは何か?」という問いにこたえようとする。
エピローグでは、物語を紡ぎたがる自己の性質と折り合いをつけることが肝要と述べ、仏教やインド哲学の教えから、自己への執着こそが病の根源とされるが、精神病理と東洋哲学を結びつける試みは面白いが、やや唐突かつ性急な印象を受けた。
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”私"に対して自身の情動、経験、所有している身体、存在が紐づくことで私は私をなしているが、仮にその紐づけが一部か全て無くなったときに残った"私"って何?
を、それが無くなるいくつかの症例から説明する話。
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コタール症、認知症、身体完全同一性障害、統合失調症、離人症、自閉症スペクトラム障害、体外離脱、ドッペルゲンガー、恍惚癲癇を神経科学の知見をベースに、精神医学や哲学の視点にも留意しつつ「自己とは何か」を追求した本。とても興味深く読みました。「自己」というのはとても微妙で、少しでも齟齬があれば簡単に揺らいでしまう。読んでいて衝撃的だったのは自分で自分のことを「死んでしまった」と言い張るコタール症や違和感のせいで四肢の切断を望む身体完全同一性障害。私も以前、自分の左脚が自分のものだと感じられなくなる症状があり、医師から「脚を切断しようとしないでね」と言われたことがあった。私の場合は投薬で症状が落ち着いたものの、症状が重くなると身体完全同一性障害のようになるのだと改めて知った次第。非常に面白かったです。
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自己とは何か。自己概念が崩れてしまう病気から、自己を形づくるものに迫る。
感覚の統合ができないと非自己感に苛まれることになる。予想した感覚と知覚される感覚がずれた場合も同様だ。そこには島皮質が深く関係している。とても納得できた。
誰にでも統合ができない体験は簡単に起こり得ることを知って、自分が自分であると自覚している神秘を感じる。
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自己とは何なのか、という問いに様々な精神病の症例と研究を元に神経科学から迫っていくという本。とても面白かったしためになった。
自己が精神の病によって崩れることで、そこにあった「自己」の正体を掴むことができる。特に統合失調症や離人症の「随伴発射」や「予測コーディング」の話は勉強になった。「情動はこうしてつくられる」でも出てきた話だったので、理解しやすかったのもあるが。こうした脳の「不調」には、身体からのアプローチが最善なのかもしれない。身体を自分のものにすること、身体は自分だとわかること。