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本や本屋を取り上げた小説やエッセイを見かけると、つい手が伸びてしまう。本書もそのひとつ。
イタリア・トスカーナの片田舎モンテレッジォに、かつて本の行商人がいたという話を耳にした著者は、その歴史を紐解くためにモンテレッジォに通い始める。本を読むこと、本を売ることの意味と楽しさが、じわじわと身体に染み込んでくる感じがなんとも心地いい。
また、本書の装丁と余白が醸し出す効果は特筆もの。この旅の中で著者が撮ったと思われる写真を使った装丁(おそらくモンテレッジォの深い山)は、カバーを外したくなるほど本書の内容にマッチしていて、旅への思いをかき立てる。余白(特に本文の下)はたっぷり取り、行間も広い。こうした構成が著者の独特な筆致と相まって、モンテレッジォへの思いがおのずとふくらむ。これはもう絶対に紙の本でなければ出せないものだ。
さらに追記するならば、単行本にしては珍しく、本書は新潮文庫と同じように各ページの背の高さが揃っていない。これもまた、装丁や余白と同様、本書の味わいを深める効果を生み出している。ここまで計算してやっているとしたら、編集者はかなりマニアック。それに比べたらワタシのマニアック度合いなど赤子レベル。
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〈モンテレッジォの人々にとって、本は生きるための糧というだけではなかった。
イタリア民衆の好奇心の流れを予見する、望遠鏡でもあった〉
1800年代の初め、村人は行商で剃刃や石を売る。
そして、暮らしにゆとりが出始めるが
経済的なゆとりはまだ十分ではない。
知識欲旺盛な軍人や小市民に、モンテレッジォの村人は「本を売る」。
売れ残りや訳ありといった本を、集めて売り歩き始めた。
P209
〈読むことが、次第にその人の血肉となっていくような本を〉
私も本を読み、気持ちの切り替えをすることで何度も救われた。
今回ほど強く感じたことはない。
すてきな本との出会いに感謝しかない。
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だいぶ前に評判になっていたものだが、遅ればせながら読んだ。読んでみて、なぜ評判になっっていたのかが分かった。
本書を読むような人は本好きで、本を大切にする人や文化が好きだろう。そして、それを体現するような本の行商人やその末裔が開いた書店といった話を、ヴェネチアの小さな古書店での偶然の出会いからロマン溢れる物語につなげているのだから、面白くないはずがない。おそらく、私がモンテレッジオに行くことはないだろうが、このイタリアの小さな村の名前を忘れることはなく、これからも時折この地名や本書に登場する人や町を思い出しながら、本を読んでいくことだろう。
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読み進めながら著者と一緒に旅をしているかの様に感じられる。
村の歴史をなぞりながら、本の行商を生業とした村人達の本への想いを追体験できる。
目を瞑るとその旅の過程や、歴史が映像として浮かぶ様。
頭で理解し新しい知識を得て
ををっ、成る程!
と感じることに喜びがある本があれば、一方、肌身で感じ心に染み込む様な本もある。
どちらが良い悪いという話ではないが、本著は後者に当たる。
その心に染み込んでいく過程が何とも心地良かったです。
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はじめにより
ある日ふと読み始めてみると、面白くてページを繰る手が止まらない。玉手箱の中から次々と宝物が飛び出してくるような、モンテレッジオ村はそういう本のようだ。
本棚の端で、手に取られるのを静かに待っている。
薦めてくれたのはヴェネツィアの古書店だった。
とても居心地の良い店である。
(中略)
見知らぬイタリアが、そこここに埋もれていた。
人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。
小さな村の本屋の足取りを追うことは、人々の好奇心の行方を見ることだった。これまで書き残されることのなかった、普通の人々の小さな歴史の積み重なりである。
わずかに生存している子孫たちを追いかけて、消えゆく話を聞き歩いた。
以上抜粋。
本、本、本、モンテレッジオに関する本の山に囲まれて毎日を過ごす著者。
著者はなぜ、こんなにも、モンテレッジオに魅せられているのだろうかと思いました。
もしかしたら、私がこの本を手にした理由と同じかもしれないと思いました。私はタイトルに『本屋の物語』ということばが入っているこの本を図書館で借りました。
著者もまた小さな村の旅する本屋に魅せられたに違いないと思いました。『本』ということばには魔力があります。
モンテレッジオで本を待つ人たちへの本に魂を捧げた人たちへのひとかたならぬ愛情にあふれたノンフィクションです。
モンテレッジオは本の魂が生まれた村だったのでした。
主にヴェネツィア、モンテレッジオをはじめとする土地の明るく美しい風景や、本に関する写真が3ページごとにはさまれています。
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これはもう、本好きな人にはたまらない。イタリアの山奥から本の行商をして暮らしを立てていた人たちが、今の世界を支えてきてくれたんだね。感謝。
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日本では意識することが少なくなった“家業”というコトバを
連想した。
イタリアの辺鄙な場所にある小さな村から、各地に
出て行く本の行商人たち。
今も地域の歴史を誇りをもって
伝える姿勢が、少し羨ましい。
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その昔、奥深い山村から本を背負い、売り歩いた男達がいた。
男達の手で多くの人々に渡り、時に歴史さえ動かす力になった本。
本を売る事に命を掛けた人々と、手渡された膨大な数の本。歴史の片隅で力強く拍動したその姿に思いを馳せ、背筋を伸ばす。
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いろいろ思い出す、たとえば『ブックウーマン』とか『お話を運ぶ馬』とか『ボン書店の幻』とか『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』とか『コルシア書店の仲間たち』とか最近だと『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』とか。
書店を巡る状況は移り変わり、いろいろ難しくなってきているけれど、それでも紙の本を愛する人々はこれからもい続けるだろうとは思うよ。
追記
読書会のために2読完了したら、前日になって(コロナウイルスのため)中止の知らせが。でも折角なので、記す。
入り方が好きでなかったため、なんか意地悪な読み方になってしまったかもしれない。全体に、著者の気負い、思い入れが大き過ぎるように感じられ、また比喩も好きになれなくて鼻白むところもあった。あらかじめある自分のストーリーへ強引に持っていっていないか。
本への偽りない愛が感じらる箇所には好感が持てる。写真も美しい。
でも結局、なぜモンテレッジョの行商人にとって本だったの?は明確になってないよね。
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詩はパンを与えない、という古くからのことわざを本の行商人たちは覆した。
「本があるから生きてこられた」
p,282
本の歴史と、本に寄り添い生きた人たちの歴史に胸を打たれ
なんだか明日にでも本屋に行きたい気分。
本に出会いたい。私の人生を豊かにしてくれる本を勧められたい。
でも家の近くにはTSUTAYA書店が2つあるだけ
今行きたいのはそこじゃない…
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本の行商を生業としてきたモンテレッジォの人々の物語。
本屋の原点に思いを馳せるいい機会になった。
世界最初のタイプライターや露天商賞,ヘルベチカなど知りたいことが次々と湧いてきた。
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イタリアの山中にアルモンテレッジオと言う小さな村は、昔本を売り歩いて生計を立てていた。
何故売り歩いた物が食べ物や衣類等ではなく本だったのか。
作者の内田さんが実際現地に趣き、子孫の方々から話を聞き、資料を集めて行くことに。
そこから見える『本を売る』と言うことは知識や色んな世界を売ると言う事に繋がり、さらに本売りの行商人から得られる色んな地域の情報をみんなが心待ちにしていた事。今で言うインターネットの役割を果たしていた。
さらに大切な商売道具の本をモンテレッジオの商人は、出版社から託された本を絶対に売り切るぞと言う熱い気持ちで大切に販売する。
どんな本を人が求めていて、この本はもっとこうした方がいいと出版社にアドバイスをする。
沢山本を量産してどれかひとつ当たれば良いという雑な今の販売の仕方ではなく、一つ一つ丁寧に作り上げていく精神は、今見習わなければいけないのでは?
と思ったり。
本好きにはなかなか興味深いエッセイだった。
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険しい山に囲まれた小さな村・モンテレッジオ
栗の木と石しかない小さな村が
なぜ「本の魂」が生まれた村と言われるのか…
そのルーツに迫ったノンフィクション
生きるために本を売る
時には「文化の密売人」であり、時には「危険な武器=本」を各所に行商し、時には「大衆の喜び」を与える文化人でもあり、モンテレッジオの行商人はただ単に本を販売していただけでなく多くの文化を運んでいった。
さらには本屋だけで選出する文学賞「露店商賞」まで作ってしまうとは!!
こんなすごい歴史がある村があるなんて…
いつかこの村に行ってみたい
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「あぁ、なんて豊かなのだろう」と思った。
『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』は、著者が古書店の店主から話を聞いたことを発端に始まる。
イタリアの小さな村モンテレッジオ
その村から、本の行商人がイタリアの各地へ向かい、本を売り歩いたという。
なぜ?そうなったのか。
彼らはどんな人たちだったのか。
著者の興味が高まり、関係者や村を訪ねていく。
読み進めるにつれて、読者である私も、村に行ってみたくなる。
村を取り巻く自然、振舞われる食事、村と本の関わりについて語る人。
本の行商人たちが大切にしてきたこと、守ってきたこと、挑戦してきたことを知れば知るほど、なんて豊かな文化が根付いているんだろうと思う。
最近のニュースでは、新型コロナウイルス感染で、イタリアで多くの方が亡くなられている。
一日でも早くこの問題が収まることを祈る。
落ち着いたら、イタリアを旅したい。
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イタリアで活動する日本人ジャーナリストである著者。
ベネツィアのとある古書店との出合いから、イタリア北部のある山村を訪ねることになる。そこはかつて、ヨーロッパを股にかけて「本」の行商をした男たちの拠点なのだった。
なぜそんな場所でそんなことを・・・? その謎を追って、著者の知的遍歴が始まる、そんな本である。
なんだかハラハラドキドキしながら読み進めて行くと、出版、本そのものの歴史に重なって行く。深いな、イタリア。
そうした深い歴史とは裏腹に、「電子」の波はイタリアにも忍び寄っている。先人たちの情熱や冒険に触れつつ、改めて本の価値、大切さに思いが致される。感動作だった。
p177
箱に保管された鋳造活字は、もう誰からも組まれることもない。… 編まれずに置き去りにされた言葉が、拾われるのを待ち続けている。(古い版元にて)
p262
残念ながら、すべての本を仕入れることはできません。本屋は、売る本を選ばなければならない。選んでいると、しみじみ幸福な気持ちになります。そして、選んだからには真剣に売ろう、と背筋が伸びます。(古書店主の話)