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カズオ・イシグロのルーツ、つまり五歳まで育った長崎の風景や、両親や祖父母との関係を含めた生い立ち等を、同郷の著者ならではの目線で取材し、作品との関連を考察した本。また、イシグロ自身がこれまでの取材等で語った、日本や長崎に対する思いを述べた言葉もところどころ引用されている。戦後の長崎や祖父の暮らした上海などの写真も多く掲載されている。
本の後半では、『遠い山なみの光』『浮世の画家』『日の名残り』『充たされざる者』『わたしたちが孤児だったころ』『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』といった作品をとりあげ、長崎、日本、そして「遠い記憶」というキーワードを切り口に読み解いていく。
■読んで知ったこと
イシグロは父鎮雄氏の仕事の都合で、一九六〇年、五歳半で長崎からイギリスへ渡った。鎮雄氏は海洋学者でその研究が高く評価されており、当初は一年だけの予定で招かれての渡英だったが、もう一年、もう一年と延びていった。イシグロが十六歳のとき、鎮雄の父つまりイシグロの祖父の昌明氏が長崎で亡くなったという知らせをイギリスで受け取ることになる。昌明氏は、鎮雄氏の留学中にイシグロの父親代わりを務めたとも言えるほど、幼い頃のイシグロにとって大きな存在だった。イシグロは、このとき「父がハッキリずっとイギリスに住むという決断を下した」(『週刊文春』二〇〇〇年十一月)と述べているが、著者の取材に対して、鎮雄氏は「長崎に帰らない決断をしたことは、一度もない」と語ったとのこと。
その後、イシグロは一九八三年にイギリス国籍を取得、一九八六年にはイギリス人女性と結婚している。著作活動は一九八〇年前後、大学院在学中よりはじめ、一九八二年に初の長編『遠い山なみの光』を出版、ウィニフレッド・ホルトビー賞受賞。一九八九年に長編第三作『日の名残り』を出版、ブッカー賞受賞。
活動初期には、日本にルーツのある作家として見られる(としてしか見られない)ことへの反発ともとれるようなコメントをすることがたびたびあったが、二〇一七年ノーベル賞発表直後のインタビューで、「英国で育ち、教育を受けたが、自分の中には常に日本がある」と発言。著者は、ノーベル文学賞受賞後のイシグロが「日本や長崎との臍帯を積極的に口にしはじめた」ことを「じつに嬉しい驚き」として受け止めている。
■本書からはやや離れた徒然メモ
私はカズオ・イシグロのことはノーベル賞のニュースで知ったクチだが、その後四作品くらい読み、読んだものはどれも大好きだ。でも経歴やプロフィールはあまり気にしていなかったので、イシグロが長崎出身だということすら知らなかった。そのため、この本を通して色々と基本情報を得られて良かった。
実を言うと長崎や日本よりも、「遠い記憶」というキーワード設定の方に私は魅力を感じた。幼少期の記憶は色々な意味で曖昧だ。時間が経ちすぎてよく覚えていないというだけでなく、周りの大人から聞いた話として知っていることと実体験の記憶とを混同していたり、大人になってからの自分とはまた違う価値観で世界を認識していたためか、常識的にありえないようなことを事実として記憶していたりと、幼少時代の思い出はちょっとした内なるワンダーランド感がある。そのように曖昧にしか把握できないのに、長じてから意志的に好きで摂取した事物とはまた違うレベルで、幼少期の経験は自分の人格形成に多大なる影響を与えているようにも思えて、どうでもいいと打ち捨てるわけにはいかない恐ろしさもある。
もし私が五歳で渡英してそのまま帰国せず、五歳以前と以降の記憶の間に空間的にも文化的にも隔たりがある人生を送っていたら、今の私が感じている以上に幼少時代は遠く曖昧なものとなっていたかもしれない。曖昧さは増しても、自分の一部であることには変わりないから、より一層執着したり追い求めたくなったりするかもしれない。
著者は「イシグロ小説の主題は〈記憶〉」との考えを示しており、私もそれは一読者として賛成できる。国籍や民族や文化といった横の広がりに引かれるボーダーを頼りにある人の位置を捉えるのではなく、その人の視点に限りなく近づいていって、その人が歩いてきた道のり、紡いできた記憶に目を向けることができることが、小説を読む楽しみなのかもしれない。