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西太后を「名君」として捉えたところが特徴。
清朝の後年、近代化が進んだこと、列強に対して独立国としての意地を見せたこと等、ポジティブな影響力があったとするが、どこまでが彼女の影響によるものなのか、読了後、なかなか腹落ちするところまでには至らず。(例えば、日清戦争の敗戦の原因が、頤和園の再建等で海軍を増強できなかったという事実からも)
清の場合、少数民族が国家支配をしていたという特徴がある訳だが、資金を吸収する仕組み(それを分配することでの求心力)を有していた、という中央集権的な点がある一方、中国という巨大国家であるが故の分権的な部分(李鴻章が私兵を持っていた)もある。
このあたりの、国家運営については、未だ分かり難いところがある。
以下引用~
・清朝には政策のチェック機関として、伝統的な監視制度のもとに置かれた検閲官、「御史(ウーシー)」がいた。批判を職務とする役人といってもいい。慈禧は御史以外の官吏による批判も奨励し、知識階級が国政に関わりやすいようにした。
貿易の拡大により、中国は効率のいいー腐敗のないー税関を持つ必要に迫られた。慈禧が海関の総税務司に任命したのは、恭親王が推したアイルランド人の28歳のロバート・ハートだった。
ハートのもので海関は、無秩序で汚職の巣窟だった時代遅れな組織から、秩序ある近代的な組織へと生まれ変わり、中国経済に多大な貢献をした。