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紙の本
二月革命は「反戦・反軍の革命」なのか?
2018/09/27 21:58
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
二月革命は「民衆の反戦・反軍の革命」と著者は主張するが、ペトログラードのソヴィエトとモギリョーフのスタフカで進められたドゥーマの議員達と将軍達によるニコライ2世の退位とが同時進行に進められている事を書いているから、どちらに重心を置いて二月革命を見たらいいのか、分かりにくい。むしろペトログラードの革命とモギリョーフでの宮廷クーデターが同時並行に進んでいたから、臨時政府とソヴィエトという二重権力が生まれてしまったので、何故、ヴラーソフ将軍が裏切り者で、レーニンが「偉大な革命家」なのか、凡庸な頭には理解出来ない祖国への裏切り行為すら行えるボリシェヴィキと彼ら彼女らを「革命の同志」と錯覚した左派エス・エルによるクーデターで打倒されてしまった、と言える。
「十月のクーデター」後の南ロシアで義勇軍を編成するアレクセーエフ将軍が「軍部は、戦争の継続のために革命を最終的に受け入れたのである」と書いているし、皇后アレクサンドラ・フョードロヴナを逮捕したのは少し後に軍部独裁を進めようとしたコルニーロフ将軍なので、ロシア軍がツァーリに対する忠誠心を失っていたのが分かるし、「十月のクーデター」の頃のようにロシア軍が崩壊するのは少し先なので、ロシア軍と二月革命との比重が分かりずらい。
著者は講談社学術文庫版の「最後のロシア皇帝 ニコライ二世の日記」の「解説」でもツァーリを酷評しているが、ツァーリの退位とミハイル大公の即位自体によるロマーノフ朝の崩壊がロシア帝国領に襲った混乱と内戦、そしてボリシェヴィキの独裁を導いた過程が、ちょうどフョードル1世の崩御とリューリュク朝の断絶がロシアに襲ったスムータを招いたのとよく似ている。ニコライ2世が専制君主としてはふさわしくないとしても、ツァーリが持つ重みを軽く見過ぎだ。
ユスーポフ公爵家がチンギス・ハンの子孫でイヴァン雷帝の時代のユースフを家名とした事のように知らなかった事もあるが、エカテリーナ2世がクーデターを起こしたのは「1725年」とエカテリーナ1世の即位と混同している個所もある。ユスーポフ家が「公爵」なのか、それとも「侯爵」なのか、同じ頁で違う爵位が書かれている。
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