紙の本
江戸時代にこんな高度な取引が行われ、バブルも発生していたなんて。
2018/07/26 13:01
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代にはお米が「証券化」されていたことをご存知ですか。驚きの「世界初の先物取引市場」の実態。江戸時代の米相場が世界に先駆けて成立させていた抽象的な金融取引のディテールが楽しい。江戸幕府の米価コントロール政策は実際どんな風に行われていたのか、などなど。大正時代まで生き残っていた手旗通信の話も詳しく書いてある。
電子書籍
一回ではわからない
2018/10/16 08:45
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投稿者:うみべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中途半端に一回読んだだけではわからない、繰り返し読まないとわからないと思う。ただ、各藩が米市場で高く売る為に米の出荷にとても苦心していたことや、徳川吉宗の米増産計画が必ずしも歓迎されていなかったことや現代と同じく当時もコメ余り状態に苦慮していたことは興味深かった。
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ここで表されているものは、正に証券市場であり、かつ、金融だ。米切手が有価証券もしくは現金として信用創造する様には、ある種の感銘を覚える。そして、一種のデフォルトも清々と私的に整理されている。また、米切手を用いた金融政策も行われている(アナウンスメント効果もあり)。今とあまり変わらないのが楽しい。
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日本の金融市場の黎明期がどのように成り立ってきたのか、そのことを具体的に知る良書である。江戸時代の大坂でこのような洗練された金融市場が形作られた。そして、江戸幕府はこれをなんとかうまく利用しようと、お互いの駆け引きが続き、それはまた江戸幕府の統治の要のひとつであったという見方である。
本当にこの堂島米市場で行われていた帳合米取引というのは、現代の指数先物取引とほとんど同じものである。米を原資産とする証券デリバティブ取引であった。
大坂と江戸。この絶妙の距離感が江戸時代の金融市場にイノベーションをもたらしたのだろう。この市場が仮に江戸にあったならば、このような洗練された金融市場として成長できたかどうか。お金は政府とほどよい距離感にあったほうがいい。適度な緊張感と自由な発想。これが大坂の金融市場の基盤にあったと思う。
現代もまた然りである。お金と政府がべったりくっついた東京金融市場は閉塞感の中にあり、没落するばかりである。もはやアジアを代表する金融市場ではない、単なるローカル存在となってしまった。
自由闊達な金融市場を現場の力で作ってきた大坂は、大阪と名前を変えて以降、戦時・戦後の統制経済に押し込められ、日本から金融力を失わせてしまったのではないだろうか。
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江戸時代の堂島米市場の具体像を通して、米切手の先物取引、空米切手(現物米と交換不能な米切手)をめぐる幕府・藩・米商人のかかわり、幕府の米相場コントロールの取り組みなどを明らかにしつつ、江戸幕府が市場経済といかに向き合っていたのかを展望しようとする一冊。
文章はわかりやすく、史料の現代語訳と書き下しを併記してあったり、歴史的な用語を現代的に言い換えてあったり、読みやすくする工夫もしてある。
帳合米商い(米切手の先物取引)の説明のパートは勉強になったが、如何せん私自身が金融の門外漢なのでメカニズムを理解しきれなかった。要再読。
個人的には、幕府の空米切手への対応の話が面白かった。幕府は空米切手停止令を発令するが、本書ではその目的を「在庫量以上の米切手の発行禁止」でなく「交換不能な米切手の根絶」であると評価している。一見すると前者にみえる停止令だけど、本書を読んでいくと、なるほど後者かもしれん、と思える。
また、幕府が米相場のコントロールに四苦八苦していた様子も勉強になる。商人から御用金をまきあげて米を買い集めて米価格をつり上げようとする幕府と、極力御用金を逃れようとする大坂の米商人とのせめぎ合いは読み物としても面白い。相場情報伝達のための旗振り通信の話も話のネタになる。
自分の中にある江戸時代の経済・金融像を改めさせられた。
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確か、日経新聞の読書欄で紹介されていた本。日本から始まった先物市場の始まり方を読みたくて買ってみた。米と交換出来るお米券的なものを、米と交換せずに売買するところから始まって、先物取引に発展するところが、なんか天才的な閃きがあった感じですごい。
歴史、とりわけ江戸時代に興味のある方なら、もう少し面白く読めるのでは。
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【商都で一勝負】世界史的に見ても,当時の水準で異常なほどの発達を見せていた大坂堂島の米市場。今でいう「自由主義」が時に行き過ぎ,暴走の感を見せるその市場に,江戸幕府はどのような哲学をもって関係を築いていったのか......。著者は,ミクロ経済と経済史を専門とする高槻泰郎。
いわゆる経済学なる考え方が発展していない中で,市場と規制の鍔迫り合いがダイナミックに展開されていたという事実にまず驚き。その上で,信用や名目,時には「腹芸」が重視されたりする当時の市場慣習が透けて見え,経済史としての面白さも詰まった作品だったように思います。
〜市場経済の原理なるものは,目的に適合する限りにおいて容認・保護されるべきものであり,それ自体として尊重されるべきものではない,というのが江戸幕府の立場であった。〜
最近のメッケもん的一冊です☆5つ
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歴史学と経済学を融合した良書。
市場との対話を繰り返し試行錯誤する金融政策立案者や市場秩序の維持に臨む司法当局など、江戸時代における幕府の政策を豊富な史料をもとに生き生きと描き出している。
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米で徴税を行う江戸時代の年貢制度が、それを貨幣に変えるための装置を必要とし、結果として金融市場が発展するというのが面白いですね。米の価格が下がれば大名は困窮するため、当時の幕府が米の価格維持を目標に金融政策を行っていたというのも、言われてみるとその必要はあるのですが、言われるまで気づきませんでした。
先物取引が情報伝達の高速化を求め、飛脚や手旗信号が発達するところまで含め、社会のダイナミズムを楽しむことができます。
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江戸時代の堂島の米市場及び江戸幕府の政策方針を概観する。諸国大名の米が大阪の蔵屋敷(大阪町人名義)に集まるが、その資産を裏付けに米切手が発行される。それがやりとりされるのが米市場でさらにはその先物をやりとりする帳合米市場も同時期に生まれた、こちらは差金決済で現物のやりとりがなく、政府の関与は名目上は全くなかった。米切手の市場自体も米価格が安定する限りにおいて制度を安定させるように幕府は見ていたように考えられる。
各国は廻船された米以上に米切手を発行していたため何度となくデフォルトの騒ぎが起こるが実際に奉行所が仲裁に入った件数はそれほどなく、中期には裏付けのない米切手は違法と明文化される。また幕府は米価格が諸国、武士階級の収入そのものであるため、その価格維持に腐心し、買い上げ対策を何度となく大阪豪商(三井、鴻池ら)に働きかけるが、最初はうまくいかず、だんだんインセンティブをあたえたりとコミュニケーションをとって改善策を打ち出す。
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江戸時代の米を媒介とした市場経済についてリアルに書かれている。手形から小切手が派生した歴史に着目される。
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民主党政権と一緒に日本経済を殺してきた日銀前総裁が褒めてるって恐ろしい帯にもかかわらず、とても素晴らしい。
時々「世界最古の先物市場」と紹介される(けれど総裁は解説されない)堂島米市場の実像及び、プレイヤーと監督官庁の攻防はとても興味深いものである。
失敗から学ぶ江戸幕府
遂には口先介入まで編み出した江戸幕府。
そして、米価対策。
飢饉や政情不安対策としての暴騰対策だけで無く、米で税を集め、米で給与を支払っている幕府/大名としては、米価の暴落/低迷も暴騰と同じく、避けるべき事態であり、大名が承認に宵寝をつけてもらえるように努力している様は、涙ぐましい程である。が、質の向上が農民には何らインセンティブが与えられていなかったこともまた事実であり、この経験が直接維新後に継続していない事からも確認できる。
そして、後書きにあるように、この経験値が維新後に何らかの形で繋がっているのだろうか?への答えを待つものである。更なる研究が待たれる。
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実証的な経済史学に基づき、市場経済と政府(江戸幕府)との対抗関係を興味深く描いている。300ページくらいの新書でありながら、これだけ高度な内容をわかりやすく堅実に著述できた名著であると思う。
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経済史学の専門家が、世界に先駆けてスタートした先物市場について、その成り立ちや仕組みなどを解説した本。相場をコントロールしようとした幕府の努力も描かれている。現在の証券市場でなぜ「ヤリ気配」と言われているかも理解した。
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本書は金融先物取引が江戸時代に行われていた様子を刻々と示すだけではなく、当時の政策やその効果、幕府の金融市場への関わり方を解説している。現代では複雑になりすぎている先物取引の仕組みを江戸時代の金融(米相場と米切手)に照らし理解するという読み方で読み進めていたが、私は通信分野を生業にしているものであるから、金融と通信は切っても切れないものだなと痛感した。
基本的には幕府は市場の自由を尊重しつつも一定の規制を入れ、幕府の考える良き暮らしを実現しようとしてきたことと、早く情報を押さえたものが勝つという特性のもと、飛脚、早飛脚、手旗信号と通信が加速していった様子は読んでいてエキサイティングであった。
こういう取引からいかに現金につなぐかは現代のフィンテックにおけるひとつの課題であるが、江戸時代からこの課題は変わっておらず、アナログな決済方法ではあっただろうが大きく考え方は変わっていないのではないか、というのが一読した所感である。