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面白く読んだ。
そういえば小説の方を買おう買おうと思っていてそのまんまだったな……ということを思い出した。
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台湾人の両親を持ち、幼少時に日本に移住して日本で育った著者が、自分の生い立ちや経験から、日本ー台湾ー中国をめぐって国や言語(母国 or 国語とは?母語とは?)について考えたことをつづったエッセイ。
台湾が著者のアイデンティティの1つの核としてあるのが面白かったです。
というのは、台湾では、日本が支配していた時代は「国語」は日本語、そして今の「国語」は中国語、それとは別に日常生活では(著者の周辺では)台湾語が使われているということ。そのことにより、親族の中でも、何を「国語」として育ったかも違うし、そのあとどのような言葉を合わせて使用しているかも世代によって、また、置かれた環境によっても違う。(私自身はあまり意識してこなかったけれど)そういう複雑な環境が台湾にはある。
物心ついてからそういうさまざまな言語が混ざった「日本語」(著者の言うところの「ママ語」)を嫌だなぁと思っていた著者が、最終的に「ママ語」で育ってよかった!と今では思っている、というのはとても素敵なことだなぁと思いました。そういう否定的では無い意味での”混ぜこぜ”を愛していける世の中になっていけるといいんじゃないかなぁと改めて感じました。
また幼少時からずっと日本で育っているにもかかわらず、国籍は中華民国で、日本では選挙権はなく、台湾では選挙権がある。そういったアイデンティティと権利のねじれのようなものをひしひしと感じました。国籍とは、母国とは、についていろいろと考えさせられ、自分の意識で柔軟にそういうものを選べる制度が、世界でできていくといいんだろうなぁと感じました。
ことばやアイデンティティについて考えるときに、また立ち戻りたくなるであろう、素敵なエッセイでした。
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台湾生まれ日本育ちの著者の半生を振り返る内容。同じような悩みがハーフや小さいころに海外に住んでいた人達にもあるのかもしれませんが、そこに台湾という少し複雑な国が混ざり合うことで、著者の母語やアイデンティティとは何なのかを掴みにくくさせている感じがしました。日本や中国に翻弄されてきたツケが、より台湾への愛国心を高める結果になっているのかもしれません。日本でずっと暮らしているとあまり意識しないですが、世界では歴史的に周辺国に翻弄されて同じような悩みを持っている人たちが多いのかもしれません。
ここまで書くとネガティブなイメージですが、ありのままの自分を受け止める著者の姿勢は、同じ境遇の読者だけでなく、両親をも安堵させることになった思います。
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名前は前から聞いていたが、どうしてか手が出なかった。今回、ひょんなことで温さんのことを紹介され読んでみようということになった。温さんは台湾で三才まで育つが、その後はお父さんの仕事で日本へやってくる。だから、現在の温さんが一番自由に使えることばは日本語である。日本語が母語であるといっていい。しかし、温さんは三才まで聞いた母の台湾語、父の(戦後無理矢理習わされた)中国語も耳にどこか残っていて、母親と話すときはこの三つが入り乱れる。彼女は、自分にとってアイデンティティとなる言語はなにかで悩む。そんないらいらが前半を支配し、読んでいてこちらもちょっといらいらすることがある。しかし、彼女はかつて戦前に日本語でしか表現できなかった台湾人の文学に目覚め、かれかのじょたちも自分と同じような悩みをもっていたことに共感する。さらには、台湾を何度も訪れる中で、自分にとっての母語とは日本語、台湾語、中国語の混交体であることを自覚し、かくして彼女は安住の言語を手にいれるのである。その彼女が本書の中国語版につけた名前(これは仲間の協力もあったが)が「我住在日語」である。なにやら、わたしの「中国語を歩く」に似て思わずにやっとしてしまった。
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台湾人の両親のもと台湾に生まれながら小学生の頃に日本に来て以来、ずっと日本で暮らし日本語や日本の生活になじんでいる著者のエッセイ。書題のとおり「日本語育ち」で日本語を自らのアイデンティティだという著者に、柔らかなたくましさを備えた正直さが感じられる一方で、台湾と日本の間ではあり得るだろうけど、韓国と日本の間ならどうだろうと思いながら読んでいた。
著者自身も李良枝を卒論のテーマに選んでいたようだから自分の立場を自覚し、また朝鮮半島の人たちの場合との違いを考えているだろうけど、著者がすんなりと日本語へのなじみ感を綴れるのに対し、(自分が寡聞なせいかもしれないけど)たとえば在日韓国・朝鮮人のこういうスタンスってなかなか見聞きできない。もちろん、この本の著者と同じスタンスで生きている人は多くいるだろうけど、それを表立って言わない・言えない雰囲気があるという意味で。
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私は同じ植民地でも朝鮮が専門で、台湾のことは不勉強なことも多く、温さんの祖父母の「ことば」にまつわる話に考えさせられ、もっと勉強しよう…と思いました。
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タイトル通り、台湾に生まれたが日本に移って日本語に囲まれて育ったことや、ずっと日本で日本人と同様に暮らしてきたにも関わらず、紙面の上では外国人として扱われることへの違和感、政策によって〝国語〟を文字通り叩き込まれた両親・祖父母世代のことなど、母語や母国というものへの疑問や、これからもそれらへ向かい合っていくことへの決意を感じる内容だった。
最近、中国や韓国の歴史、日本語学の講義を受けたばかりだったのだが、それらについて更に深く考えるきっかけになりそうだと感じた。
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烏兎の庭 第六部 10/24.21
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/on.html
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言語とアイデンティティについて、その結びつきを考えたこともなかった。楽であることは単なる幸運でしかない。だから楽であることは、考えなければならないことでもあるなあ。私とは違う形で日本語を思考の杖とする温又柔さんが編む物語を読むのが楽しみだ。
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当たり前に使っている日本語。
若い時は結構適当な感じでその世代特有の言葉ばかり使っていたけど、正しい日本語や美しい日本語を使ってコミニュケーションを取りたいと思う。
日本語って本来はきっと美しい。
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3歳の時に東京に移住した台湾人の温さん。台湾語・中国語・日本語の3つの母語の狭間で揺れ惑いながら、日本や台湾の歴史、家族の歴史を知ることで自らのルーツを探っていく。
自分はどこのだれなのか。言葉とアイデンティティ。日本で日本にルーツを持つ親から生まれ日本で育った私は外も中も知らず知らずのうちに守られているんだね。外に出ないと気づかないことがあるな。文化、世代、歴史…。積み重ねた上に今がある。から難しいし新しくもなれる。のかな。
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難しい漢字や読めない漢字があって読みにくいですが、学びにはなりました。台湾の事、日本の事歴史を色々と知ることのできる内容でした。海外の方々の言葉の問題など気持ちを知る事ができる内容でした。色んな葛藤があるんだなと。新しい言葉を流暢に喋る事がどれほど大変か。
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ご両親は台湾人で4歳からずっと日本で、台湾語や中国語ではなく日本語で生活する温又柔さん。
日本で生まれ日本で育った日本人の私には全然気づくことができない温さんの想い。
「国」って何?
「国語」って何?
ということ。
台湾においては日本語を強制された時代もあって、台湾語もあって、また中国語もあって。
でも台湾人なのにそのどちらでもなく、日本語が一番話せるということへの葛藤。
日本語しかできない私からしたら、日本語ができて、中国語や台湾語も身近である程度理解できる環境は羨ましいなと思ってしまうのだけれど、きっとそんなものではないのだろうな。
温さんの想いを知ることができて、とても考えさせられ、良かったです。
国とか国語(母語)で線引きしないで多様なものを当たり前に受け入れる世界になっていくことを願います。
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台湾で生まれ3歳で日本に移住、中国語・台湾語を混ざった言葉から日本語へと言語の主軸を移していく中で、後天的に日本の中国大陸式中国語を学び出したりしつつ、色々と悩んでいる様子が描かれている。台湾式中国語を学び、”I have Taiwanese accent and I am damn proud of it"を連呼してきた身には発音やら表現についての著者の葛藤(自分は葛藤しなかったけど)がわかる。チーファンがツゥーファンとなるし、シーがスーになり、確かに音は違うが、慣れるとわかるようになるのが不思議。多分、表面的な音そのまま以外の部分で意味を把握するなにかがあるんだろうな。
自分自身は、ここの登場する母親や妹のようにあんまり気にしないたちなので、最後の章の葛藤は少々読んでいてしんどい。日本語の母語が確立してからいったから同じではないかもしれないが、幼い頃海外で育ってもアイデンティティに悩んだことはなかったな。
Pl121(李良枝:イ・ヤンジについて)
彼女たちの言葉群は、複雑の言語を行き来し、決して唯一絶対の「国語」に縛られない。
彼女たちの放つ言葉に共通しているのは、生きているほんものの言葉とは、たった一つの国家に収束されるような言葉などではなく、あくまで個人に属するものなのだという事実を、すがすがしく焚き付けてくることだ。
とりわけ、日本語で、そのように書いた(生きた)李良枝の著作に、わたしは没頭した。
その美しい作品群にこもる熱量は、当然、わたしを掻き立てた。自分も、このような小説を書いてみたいと激しく渇望した。
小説に先立って修士論文を書いた。テーマは「日本人として生まれなかった日本語作家・李良枝の主題と作品」。評価はB -。口頭試験では「あなたは李良枝を通して自分自身を語ろうとしているに過ぎない」との指摘をうける。「これは論文などではない。作家への恋文だ」。
教授人からの叱咤を激励として都合よく受けとめると、わたしは修士論文から溢れ出したものを掻き集めて、自分の小説を書くことにした。
P.130
自分は台湾人である、と自覚したときの、その過程を改めて改装しようとすると、それらにまつわる私の記憶の数々は、整然とした、「はじめ」と「おわり」に綴じられた、ひと繋がりの、わたしだけの物語として束ねられることを激しく拒み、身をくねらす。まるで、わたしの回想の仕方次第で、それは異なる物語になり得ることを示すかのように。そこでわたしは、わたしではないだれかを想定して、わたしの経験を生きてもらうという方法をとる。わたしの記憶を生きるのは、わたしでなkれば、だれでもよかった。この方法で、自分にとって決してささやかではない経験の記憶と向きあうとき、わたしは、永遠の遊び場が、自分の中にできていく感じがする。(中略)その経験の過程を、わたしは、わたしだけのこととして、日記の中に閉じ込めておきたくなかった。
それを描き終えた瞬間、読まれないという欲望が、書きたいという衝動を、はっきり上回ったことを鮮明に覚えている。
P.158
馬祖はやはり、媽祖にあやかった地名だった。(中略)「媽」ではなく「馬」となっている理由には、二つの説がある。一つは、神様��同じ地名は畏れ多いので、わざとずらした。もう一つは、対岸に「匪區」を控える「最前線」の島として「媽祖」という名は女々しくてけしからん。もっと戦地らしい勇ましさを出すために、女偏を外して「馬」にしろ、と軍が命令をくだした。
P.203
教師や学校という「上」からの圧力に留まらず、「横」、すなわち同級生である日本人生徒との間に生じる感情的なもつれも深刻だった。日本人の生徒の内には、非支配者の台湾人を、自分たちよりも一段低く扱い、差別する者も少なくなかったのだ。もちろん日本人と台湾人の間に育まれた友情や師弟愛もあった。しかし、それはあくまでも個人の問題である。あの頃の台湾を生きた日本人と台湾人の背後には、支配・被支配の宗主国・植民地体制が動かしがたい現実として聳えていた。要するに、同年代の少年同士が、片方は「帝国」の一員として誇り(威張り)、そのことによってもう一方が「植民地人」として屈辱をおぼえる(憤る)、という状況を容易に促す構造があった。
P.207
歴史の可能性の一つとして、征服者の言語であった日本語は、朝鮮、台湾、旧満州地域等における「国際共通語」となる可能性を孕んでいた。大定帝国の植民地だった地域で紡がれる英語、あるいは、マルティニック島およびグアダループ島で育まれたフランス語といったような、複数のニホンゴが、アジア各地で芽生えつつある・・・日本語には、そのような禍々しい希望を放っていた過去がある。
P.218
日本語で執筆した台湾人作家とその作品は、台湾と日本のどちらの文学史からも黙殺され、忘却の彼方に追いやられていた。
国民党一党独裁下の台湾では、「中華民国」こそが「正統」かつ「唯一」の「中国」というイデオロギーに基づき、自国の文学史が編まれた。そこで中国文学が主流の地位を占め、戦前に活躍した作家たちの日本語作品は、「皇民化教育」による負の遺産として不当に貶められた。一方、日本では、たとえそれが日本語で書かれた作品だとしても、その作者が「日本人」でなければ、日本人による日本人のための「正統」な日本文学史からは除外された。