紙の本
日本社会をより豊かにしてくれる
2023/01/28 11:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
温又柔のような存在は日本語を、日本文学を、日本社会をより豊かにしてくれる。もちろんこれはナショナリズムに取り込むようなものではなく、むしろその逆である。
紙の本
母国語って、何なんだろう
2020/05/07 22:10
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者は表題の通り台湾出身で小さいころ日本に移住し日本語を覚えた。ほぼ日本語で生活していた彼女は日本語が母国語のようである。でも、彼女はこう言う「自分には母語が三つ(日本語、中国語、台湾語)あると気づきました。もっといえば、わたしの母語は三つのことばでできている」。台湾で生まれて育った作者の母親が中国語と台湾語、そして日本語をちゃんぽんにして作者に語りかけている場面は、その光景が目の前に映し出されてくるように微笑ましい。。しかし、作者の母にとっての中国語は蒋介石の国民党が無理やりと覚えさせた言葉だった、そしてその父母、つまり作者の祖父母にとって日本語は大日本帝国の皇民化政策によって無理やりと覚えさせられた言葉だった。そう聞かされると言葉って何なんだろうと考えさせられてしまう
投稿元:
レビューを見る
面白く読んだ。
そういえば小説の方を買おう買おうと思っていてそのまんまだったな……ということを思い出した。
投稿元:
レビューを見る
台湾人の両親を持ち、幼少時に日本に移住して日本で育った著者が、自分の生い立ちや経験から、日本ー台湾ー中国をめぐって国や言語(母国 or 国語とは?母語とは?)について考えたことをつづったエッセイ。
台湾が著者のアイデンティティの1つの核としてあるのが面白かったです。
というのは、台湾では、日本が支配していた時代は「国語」は日本語、そして今の「国語」は中国語、それとは別に日常生活では(著者の周辺では)台湾語が使われているということ。そのことにより、親族の中でも、何を「国語」として育ったかも違うし、そのあとどのような言葉を合わせて使用しているかも世代によって、また、置かれた環境によっても違う。(私自身はあまり意識してこなかったけれど)そういう複雑な環境が台湾にはある。
物心ついてからそういうさまざまな言語が混ざった「日本語」(著者の言うところの「ママ語」)を嫌だなぁと思っていた著者が、最終的に「ママ語」で育ってよかった!と今では思っている、というのはとても素敵なことだなぁと思いました。そういう否定的では無い意味での”混ぜこぜ”を愛していける世の中になっていけるといいんじゃないかなぁと改めて感じました。
また幼少時からずっと日本で育っているにもかかわらず、国籍は中華民国で、日本では選挙権はなく、台湾では選挙権がある。そういったアイデンティティと権利のねじれのようなものをひしひしと感じました。国籍とは、母国とは、についていろいろと考えさせられ、自分の意識で柔軟にそういうものを選べる制度が、世界でできていくといいんだろうなぁと感じました。
ことばやアイデンティティについて考えるときに、また立ち戻りたくなるであろう、素敵なエッセイでした。
投稿元:
レビューを見る
台湾生まれ日本育ちの著者の半生を振り返る内容。同じような悩みがハーフや小さいころに海外に住んでいた人達にもあるのかもしれませんが、そこに台湾という少し複雑な国が混ざり合うことで、著者の母語やアイデンティティとは何なのかを掴みにくくさせている感じがしました。日本や中国に翻弄されてきたツケが、より台湾への愛国心を高める結果になっているのかもしれません。日本でずっと暮らしているとあまり意識しないですが、世界では歴史的に周辺国に翻弄されて同じような悩みを持っている人たちが多いのかもしれません。
ここまで書くとネガティブなイメージですが、ありのままの自分を受け止める著者の姿勢は、同じ境遇の読者だけでなく、両親をも安堵させることになった思います。
投稿元:
レビューを見る
名前は前から聞いていたが、どうしてか手が出なかった。今回、ひょんなことで温さんのことを紹介され読んでみようということになった。温さんは台湾で三才まで育つが、その後はお父さんの仕事で日本へやってくる。だから、現在の温さんが一番自由に使えることばは日本語である。日本語が母語であるといっていい。しかし、温さんは三才まで聞いた母の台湾語、父の(戦後無理矢理習わされた)中国語も耳にどこか残っていて、母親と話すときはこの三つが入り乱れる。彼女は、自分にとってアイデンティティとなる言語はなにかで悩む。そんないらいらが前半を支配し、読んでいてこちらもちょっといらいらすることがある。しかし、彼女はかつて戦前に日本語でしか表現できなかった台湾人の文学に目覚め、かれかのじょたちも自分と同じような悩みをもっていたことに共感する。さらには、台湾を何度も訪れる中で、自分にとっての母語とは日本語、台湾語、中国語の混交体であることを自覚し、かくして彼女は安住の言語を手にいれるのである。その彼女が本書の中国語版につけた名前(これは仲間の協力もあったが)が「我住在日語」である。なにやら、わたしの「中国語を歩く」に似て思わずにやっとしてしまった。
投稿元:
レビューを見る
台湾人の両親のもと台湾に生まれながら小学生の頃に日本に来て以来、ずっと日本で暮らし日本語や日本の生活になじんでいる著者のエッセイ。書題のとおり「日本語育ち」で日本語を自らのアイデンティティだという著者に、柔らかなたくましさを備えた正直さが感じられる一方で、台湾と日本の間ではあり得るだろうけど、韓国と日本の間ならどうだろうと思いながら読んでいた。
著者自身も李良枝を卒論のテーマに選んでいたようだから自分の立場を自覚し、また朝鮮半島の人たちの場合との違いを考えているだろうけど、著者がすんなりと日本語へのなじみ感を綴れるのに対し、(自分が寡聞なせいかもしれないけど)たとえば在日韓国・朝鮮人のこういうスタンスってなかなか見聞きできない。もちろん、この本の著者と同じスタンスで生きている人は多くいるだろうけど、それを表立って言わない・言えない雰囲気があるという意味で。
投稿元:
レビューを見る
私は同じ植民地でも朝鮮が専門で、台湾のことは不勉強なことも多く、温さんの祖父母の「ことば」にまつわる話に考えさせられ、もっと勉強しよう…と思いました。
投稿元:
レビューを見る
タイトル通り、台湾に生まれたが日本に移って日本語に囲まれて育ったことや、ずっと日本で日本人と同様に暮らしてきたにも関わらず、紙面の上では外国人として扱われることへの違和感、政策によって〝国語〟を文字通り叩き込まれた両親・祖父母世代のことなど、母語や母国というものへの疑問や、これからもそれらへ向かい合っていくことへの決意を感じる内容だった。
最近、中国や韓国の歴史、日本語学の講義を受けたばかりだったのだが、それらについて更に深く考えるきっかけになりそうだと感じた。
投稿元:
レビューを見る
烏兎の庭 第六部 10/24.21
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/on.html
投稿元:
レビューを見る
言語とアイデンティティについて、その結びつきを考えたこともなかった。楽であることは単なる幸運でしかない。だから楽であることは、考えなければならないことでもあるなあ。私とは違う形で日本語を思考の杖とする温又柔さんが編む物語を読むのが楽しみだ。
投稿元:
レビューを見る
当たり前に使っている日本語。
若い時は結構適当な感じでその世代特有の言葉ばかり使っていたけど、正しい日本語や美しい日本語を使ってコミニュケーションを取りたいと思う。
日本語って本来はきっと美しい。
投稿元:
レビューを見る
3歳の時に東京に移住した台湾人の温さん。台湾語・中国語・日本語の3つの母語の狭間で揺れ惑いながら、日本や台湾の歴史、家族の歴史を知ることで自らのルーツを探っていく。
自分はどこのだれなのか。言葉とアイデンティティ。日本で日本にルーツを持つ親から生まれ日本で育った私は外も中も知らず知らずのうちに守られているんだね。外に出ないと気づかないことがあるな。文化、世代、歴史…。積み重ねた上に今がある。から難しいし新しくもなれる。のかな。
投稿元:
レビューを見る
難しい漢字や読めない漢字があって読みにくいですが、学びにはなりました。台湾の事、日本の事歴史を色々と知ることのできる内容でした。海外の方々の言葉の問題など気持ちを知る事ができる内容でした。色んな葛藤があるんだなと。新しい言葉を流暢に喋る事がどれほど大変か。
投稿元:
レビューを見る
ご両親は台湾人で4歳からずっと日本で、台湾語や中国語ではなく日本語で生活する温又柔さん。
日本で生まれ日本で育った日本人の私には全然気づくことができない温さんの想い。
「国」って何?
「国語」って何?
ということ。
台湾においては日本語を強制された時代もあって、台湾語もあって、また中国語もあって。
でも台湾人なのにそのどちらでもなく、日本語が一番話せるということへの葛藤。
日本語しかできない私からしたら、日本語ができて、中国語や台湾語も身近である程度理解できる環境は羨ましいなと思ってしまうのだけれど、きっとそんなものではないのだろうな。
温さんの想いを知ることができて、とても考えさせられ、良かったです。
国とか国語(母語)で線引きしないで多様なものを当たり前に受け入れる世界になっていくことを願います。