日本人として知っておくべき事を教えてくれる労作です。
2023/03/12 13:28
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:クッキーパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
書評をみて『旅ごころはリュートに乗って』を読もうかと思ったのですが、先ずはこちらと本書を買ってはみたものの、暫しツン読になっていました。早速読むべきでした。これまで自分は注目したこともないリュートという楽器を著者は自らレッスンを受けたり、自分は見向きもしなかった日本のキリシタンの歴史を、そのために著者は運転免許まで取得して足でかせぎ、そしてスペインの地方まで訪れ、五感をフル回転して描いたそのエネルギーに圧倒されました。そして歴史は今に繋がっている、それが4世紀前の地方のことであれ、日本で起こったことを日本人として知っておくことが大切だと痛感します。「殉教」とは何か、「信じる」とはどういうことかなど様々なことを考えるきっかけを与えてくれる労作です。また著者は分からんことは分からんと言える実直な、素直なお人柄と感じます。欲を言えば、もう少し関連の地図とか図柄などを掲載してくれれば嬉しいですが、自分で調べるべきですね。機会があれば長崎にも行ってみたいものです。
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【殉教をめぐり、四〇〇年の時を駆ける旅へ】海を渡ってきた宣教師と、信仰に命を賭した数多の信徒たち。世界遺産の陰にある真実をたどる、異文化漂流ノンフィクションの傑作。
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約400年前の日本で起きたキリスト教への弾圧と殉教者をテーマとした作品。殉教者とはすなわち信仰を守るために命を落とした人々の事である。
日本へ最初にキリスト教が伝わったのは1549年、その中心的人物といえばあの有名なフランシスコ・ザビエルだ。ザビエルが所属するイエズス会の戦略もあり、大名などの上流階級を取り込みながらキリスト教は急速に信者を増やしていった。
当初は時の為政者も、キリスト教と一緒に伝わる西洋の文化や情報を重宝していたのだが、死をも恐れぬキリスト教徒たちの強い信仰心に危機感を抱きはじめ、やがては禁教令や残忍な宗教弾圧に発展。当時国内にいた約30万~40万人といわれる信者は、無情にも棄教か処刑という究極の二者択一を迫られ、1割にあたる約4万人が外国人宣教師と一緒に殉教者となった。
作品終盤で著者の星野氏が、日本で処刑されたスペイン人神父オルファーネスの故郷であるバスク地方を訪ねた際、400年ぶりに地元の人々の誤解を解くシーンは非常に印象的で感動的だった。今度、教会遺構が世界遺産となった長崎へぜひ訪れてみたいものだ、訪れる前にこの作品に出会えてよかったと思う。
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1600年代前半のキリシタン弾圧についてのノンフィクション。対象へのアプローチの仕方が、なんというかファンっぽくてよい。例えば、天正遣欧使節団がリュートを引いたので自分もリュートを習うとか。ドニー・イェンにはまったぼくの友だちが、詠春拳を習おうとしているんだが、それに近いぞ。対象を自分にひきつけて、身体や感情ごと捉えているんだよね。
著者が調査を進めていく中で、調査対象の人物や土地の歴史と感情が同調するさまがとても魅力的だ。解説ではこの本について「キリシタンを巡る感情の歴史を書いた本」というような記述があった。これは、見事な指摘だ。ファン的なアプローチだからこそ、できたのだと思う。最近、専門家以外が「歴史」を語りにくくなっている。「最新の研究を参照しろ」「専門の教育を受けていない人間が口を出すな」「エビデンスを出せ」というような圧がある。いままでそれらが軽んじられてきたことへの反動や歴史修正主義への対抗で仕方がない部分はあるが、窮屈であることは否めない。著者は文学的想像力によるジャンプで、このような窮屈さを軽々と飛び越えて、当時の「感情」を描き出してくれる。
それにしても、自分は九州に住んでいながら、あまりに長崎のキリシタンのことを知らないことに恥じた。カトリックの歴史を残すことへの情熱と比べて、ぼくも含めた日本人の歴史へのまなざしはあまりにも冷淡で、それは慰霊への無関心にもつながっているのだろう。
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天上遣欧使節の少年たちについての本かと思ったらもっと広い視野の本だった。家康のキリスト教への態度の変遷がとても腑に落ちた。
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とても読み応えのある本だった。こういう体験ができるから、本を読むのはやめられない。
参照された膨大な資料と著者の並々ならぬ行動力もさることながら、そこから導き出される考察が深く、読みながら何度も胸を打たれた。名もなき人々の声に耳を傾けることは、本人たちが亡くなった後からでも十分可能だし、また長く語り継がれていくべきことなのだ。
大切なのは、忘れないこと。後ろめたい過去を「きれいな思い出」に書き換えないこと。「負の遺産」を美化せず受け止める心を多くの人が持つようになれば、過ちは繰り返されなくなると思う。