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加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか 『羊の歌』を読みなおす みんなのレビュー

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みんなのレビュー2件

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紙の本

「精読とは何か」を指し示す

2018/11/30 12:34

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:John Doe - この投稿者のレビュー一覧を見る

現在まで教養書の一つとして読まれてきた『羊の歌』と『続羊の歌』の精読、そして一次史料の検証を通して、「加藤周一」という一思想家の形成過程を明らかにしようという一冊。
 この本でも指摘されていたことだが、『羊の歌』と『続羊の歌』は今の我々にとっては読みづらい本になっている。これは、加藤周一と今の我々とが持つ背景知識が全く違う、加藤周一がわざと曖昧に書いていることに起因している。それにも関わらず、我々は『羊の歌』を通して加藤周一を分かった気でいたのかもしれないことに気付かされた。
 また、この本では一文字もおろそかにしない著者の読むことに対する姿勢がよく現れている。具体的な動向から家族関係まで、一次史料の調査、綿密な聴き取り、そして著者の幅広い教養をもとに浮かび上がらせている。現在、『~を精読する』という本が多く出ているが、ここまで「精読」したものは珍しい部類に入るだろう。
 読後、「本を精読するときには、ここまでしなければならないのか」と感嘆したが、おそらく、ある本を精読しようとするならばここまでしなければならないだろう。そこまでしなければ、「あえて」書かれなかったことにも気付くことは難しくなり、本を通じて著者の「本質」を見抜くことが難しくなる。
 この本は、加藤周一という一思想家に対する新たな視点を明らかにする研究に留まらず、本の精読の仕方を指し示すものとしても読める良書と言えるだろう。

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紙の本

「加藤周一」という複雑で多様な精神の在り方

2020/04/14 10:44

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る

加藤周一の『羊の歌』『続 羊の歌』を、都合3回読んでいる。初読は彼此30年前の大学時に必読書の一冊として、二読は20年前に社会人として人生に思い悩んでいる時に、そして、直近は約2ヵ月前に古本屋で購入した岩波の『自選集』揃いを読み進めるとともに。思い返すと、人生の節目節目で読んで来たことになる。今回は、「続々」とも言うべき、『羊の歌 余聞』と『高原好日』も併せて読んだ。
 これまで、副題に「わが回想」と付されていることもあり、書かれていることを自伝=事実と受け取って来た。もちろん、多くの場合、自伝が全て事実であることはあり得ない。往々にして、自己弁護のための脚色もあるだろう。しかし、他ならぬ加藤周一である。その明晰で合理的な文章、国際的に広い視野に魅せられ、彼の知的営為に絶対の信頼を置き、加藤を「知の巨人」として仰ぎ見て来た。
 本書のまえがきを一読して驚いた。実は、自伝的「小説」だとある。連載されていた『朝日ジャーナル』には「連載小説」とされていたという。それでは、何が「小説化」され、何が意識的に書かれなかったのか?
 たとえば、「意識的に書かれなかったこと」としては、旧制一高時代に、親との葛藤で文学部への進学希望から医学部への受験に方向転換し、尚且つ医学部に受からず1年間の浪人生活をしたこと、最初の結婚相手との破綻について。あるいは、「小説化されたこと」として、太平洋戦争開戦の日(1941年12月8日)、加藤が騒然とした時世に超然として文楽を観劇したという「伝説的な」エピソード。著者は、実妹の証言や残された日記から、実際には8日以降のことであったとしている。また、「京都の女」は現実的に存在はせず、「日本文化の象徴としての存在。あるいは、別れた最初の妻の隠喩」とされている。
 改めて、そういった目で見直すと、確かに、明晰で簡潔に綴られた『羊の歌』のところどころに、曖昧で、詩的な表現がちりばめられていることに気付く。加藤周一という偉大な知識人の、実は複雑で多様な精神の在り方が、この小さな書物に込められているとも言えるのではないかと思う。
 加藤周一は、生涯を通じて、集団の中では疎外感を覚えるほど孤独な存在だった。それは、彼の合理的精神が、ある特定のイデオロギーに偏るようなファナティシズムはもちろん、集団特有の論理の受け入れを到底許さなかったからだ。しかし、決して、孤高の存在ではなく、社会へのコミットメント保ち続けた。そして、彼の世界に対する基本姿勢は「断片だけを見るのではなく、たえず『全体の内容』をつかもうとする」ことだった。

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