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当時、語りたくても語れなかった事実。 現在になって、はじめて語ることの出来る真実。 熱く語り継がれることで、あの日の熱が永遠になっていく。
2021/11/29 11:08
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
プロレスファンは、語り出すと止まらない。
そのテーマの一つはUWF。
プロレスから総合格闘技が生み出されていく中、数多くの猛者たちがその青春の全てをリングに捧げた。
ファンは熱く見届け、突然の解散に喪失感を抱えた。
平成が終わり、年号が令和となった今でも、たくさんの書籍が発行され続ける。
当時、語りたくても語れなかった事実。
現在になって、はじめて語ることの出来る真実。
熱く語り継がれることで、あの日の熱が永遠になっていく。
「まぁ嫌なこともたくさんあったんだけど、決して悪い時間ではなかったことは確かです。何度も言うけど、後悔とか否定はしない。あの『割り箸』で新日本からユニバーサルに移籍してから、ずっとその時その時を必死で走ってきた結果だからね。それはみんな同じで、ユニバーサル、新生UWF、Uインターのメンバーで、10年先こうしようとか、15年先にああしようなんて考えられた人間は一人もいないと思うよ」(高田延彦)
(本文より)
シュートではないのに、シュートとして闘う。シュートではないはずの闘いの結果が、シュートで決められていく。プロレスファンだった坂田がリングスにみたあの『いびつ』さは、シュートとワークを超えた闘いだからだった。
「自分もリングスでそういう試合をするようになってわかったんだけど、だから『いびつ』に見えて面白かったんじゃないかな。それがたぶん前田さんの狙いだったんだと思うよ。すごく難解だったよね、リングスは」(坂田亘)
「桜庭がある時期、『僕、いちばん調子がいい時は指揮者になった気持ちになる』って言ってたんですよ。自分が指揮者で、対戦相手が演奏者。指揮棒ひとつで操って、『ここで沸かせるぞ』と思ったタイミングで、お客さんをドーンと盛り上げることができるって。それを聞いて、すごく共感したんですよ。僕もパンクラスでそういう試合をやってましたから。『ここでこれ決めたらお客さんは喜ぶだろうな』ってタイミングでノックアウトして、お客さんがドーンとなる。そういう21世紀のプロレスが、僕も(鈴木)みのるも船木もできてたと思うんですよね」(高橋義生)
(本文より)
(1994年12月パンクラス初代無差別級王者決定の)トーナメントの数日後、第一次UWFの社長であり、修斗協会会長だった浦田昇氏(故人)に「いまはいろんなところが総合格闘技をやってるけど、最初にやり始めたのは佐山聡なんだ。その最初の選手として総合格闘技を世の中に広めたのは、君なんだよ」と健闘を讃えられたという。山田は改めて『生きている』実感を手にしたのだった。(山田学)
「UWFとの出会いは、俺を一瞬、卑屈にさせました。あの3文字を、憎みもしましたよ。だけど、それが、俺を発奮させた。あの神社長とのやりとり(「大仁田さん、チケット持ってますか?」1988年12月22日。大阪府立体育会館玄関口にて)がなければ、FMWを思いつかなかったし、いまの俺もいない。UWFに感謝してます。この一言は本当に、ぜひ書いてほしい」(大仁田厚)
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高田のインタビューが印象的だった。
大仁田選手へ話を聞きに行ったのも面白かったように思う。
UWFファンとして楽しめました。
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宝島の「証言UWF」シリーズ最新作。
前作のサブタイトルが「最終章」だったにも関わらず、続
編が出ちゃうというのがちょっとアレだが、まぁそこらへ
んは良いとして・・・。
今回の目玉は間違い無く高田延彦。
旧UWF・新生UWF・UWFインターナショナルの「UWF」
を名乗る団体に全て参加(他に山崎・中野・安生・宮戸)
した、絶対的な主役の一人。晩年のヒクソン戦2連敗でA級
戦犯の扱いを受け、その後にPRIDEの運営に首脳陣の一人
として携わった所為か、「U」について語ることはこれま
でほぼ無かったが、やっぱりUWFを考察する為には高田の
言葉が絶対に必要。高田は、冒頭から50ページ以上にわた
ってインタビューに答えている。
しかし、解らなかった部分が明確になったのか?と問われ
ると、そこまでの内容で無いのも事実。現役時代の高田の
心情については、問題となった「泣き虫」でほぼほぼが明
らかになっており、その部分についてはあまり興味が無い。
知りたいのはPRIDE運営時代のRINGSとの確執とか、ハッス
ル時代の話とかが出てくれば、意表を突かれたのだが・・・。
そういうワケで、高田の部分はそれ程でも無かったのだが、
第四章である「UWFムーブメントに翻弄された男たち」で
証言したエンセン井上・塩崎啓二・大仁田厚の3氏のイン
タビューはやたら面白かった。特に対極の立場から冷静に
UWFを分析してみせた大仁田、やはり只者では無い。まぁ、
今さら好きになることも無いとは思うけど(^^;)。
このシリーズ、おそらく今後も年に1冊くらいのペースで
出るんだろうなぁ、と思う。一作目程のインパクトこそ無
いが、プロレス関係の読み物として秀逸であるのは認める。
次回の目玉として、J社長が出てくると最高。
あり得るのかなぁ・・・。
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プロレスファンは、語り出すと止まらない。
そのテーマの一つはUWF。
プロレスから総合格闘技が生み出されていく中、数多くの猛者たちがその青春の全てをリングに捧げた。
ファンは熱く見届け、突然の解散に喪失感を抱えた。
平成が終わろうとする今でも、たくさんの書籍が発行され続ける。
当時、語りたくても語れなかった事実。
現在になって、はじめて語ることの出来る真実。
熱く語り継がれることで、あの日の熱が永遠になっていく。
「まぁ嫌なこともたくさんあったんだけど、決して悪い時間ではなかったことは確かです。何度も言うけど、後悔とか否定はしない。あの〝割り箸〟で新日本からユニバーサルに移籍してから、ずっとその時その時を必死で走ってきた結果だからね。それはみんな同じで、ユニバーサル、新生UWF、Uインターのメンバーで、10年先こうしようとか、15年先にああしようなんて考えられた人間は一人もいないと思うよ」(髙田延彦)
(本文より)
シュートではないのに、シュートとして闘う。シュートではないはずの闘いの結果が、シュートで決められていく。プロレスファンだった坂田がリングスにみたあの〝いびつ〟さは、シュートとワークを超えた闘いだからだった。
「自分もリングスでそういう試合をするようになってわかったんだけど、だから〝いびつ〟に見えて面白かったんじゃないかな。それがたぶん前田さんの狙いだったんだと思うよ。すごく難解だったよね、リングスは」(坂田亘)
「桜庭がある時期、『僕、いちばん調子がいい時は指揮者になった気持ちになる』って言ってたんですよ。自分が指揮者で、対戦相手が演奏者。指揮棒ひとつで操って、『ここで沸かせるぞ』と思ったタイミングで、お客さんをドーンと盛り上げることができるって。それを聞いて、すごく共感したんですよ。僕もパンクラスでそういう試合をやってましたから。『ここでこれ決めたらお客さんは喜ぶだろうな』ってタイミングでノックアウトして、お客さんがドーンとなる。そういう21世紀のプロレスが、僕も(鈴木)みのるも船木もできてたと思うんですよね」(高橋義生)
(本文より)
(1994年12月パンクラス初代無差別級王者決定の)トーナメントの数日後、第一次UWFの社長であり、修斗協会会長だった浦田昇氏(故人)に「いまはいろんなところが総合格闘技をやってるけど、最初にやり始めたのは佐山聡なんだ。その最初の選手として総合格闘技を世の中に広めたのは、君なんだよ」と健闘を讃えられたという。山田は改めて〝生きている〟実感を手にしたのだった。(山田学)
「UWFとの出会いは、俺を一瞬、卑屈にさせました。あの3文字を、憎みもしましたよ。だけど、それが、俺を発奮させた。あの神社長とのやりとり(「大仁田さん、チケット持ってますか?」1988年12月22日。大阪府立体育会館玄関口にて)がなければ、FMWを思いつかなかったし、いまの俺もいない。UWFに感謝してます。この一言は本当に、ぜひ書いてほしい」(大仁田厚)
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UWFの歴史を彩る高田、船木、そしてU系の選手の坂田、ミノワマンあと大仁田などのインタビュー集。
UWFの歴史というようよりも3派分裂後の話がメインだったが、それぞれ面白かった。
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高田→北尾戦、親日マット、田村との因縁
金原→リングス休止後の前田の対応
山健→ヒクソン戦前の高田、前田道場、田村戦
坂田→田村VS山本戦、前田襲撃後の安生
北沢→U分裂直後に前高山と両国で会食
エンセン→アウトサイダーと強者トラブルの話
特に興味深かったのが塩崎レフェリーの話。
KOK決勝の曖昧判定、PRIDEの疑惑の試合、桜庭VSホイラー戦、
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最高に面白かった
当時の事はよくわかった
自分も大人になりいろいろなしがらみがあることも理解できるようになった
すべての音面に見えている事は強さを求める
そのために道場で一生懸命練習する
その表現の仕方がそれぞれのリング上で違うだけ