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高坂正堯が鬼籍に入ったのは1996年。
この年の私の読書録を読み返すと、「高坂正堯」以外にも「司馬遼太郎」「遠藤周作」の名があり、この3人が亡くなって、「これらの人の小説、評論がもう世に出てこないと思うと寂しい限り」との記載があった。本当にこの時は直接会ったこともない人の死が何故こんなに悲しいのかと思った記憶がある。
更にこの年には、渥美清、丸山眞男、星野道夫,岡本太郎が亡くなっている。
特に、丸山眞男の名前があったのは、高坂との因縁めいたものを感じた。
そして没後20余年たった今年(2018年)10月に本書が出版されたので、さっそく手にした。
戦後日本における進歩的知識人と言われた「岩波・朝日文化人」が闊歩していた1960年代に、28歳の若さでその時流に反旗をかざした「現実主義者の平和論」を発表し、衝撃的な論壇デビューを飾り(もっとも高坂はこの論文発表の後に「落下傘で降りたらまわりは敵ばかりだった」と述懐しているのは面白い)、その後豊富な歴史の知識を背景として、安全保障、国際政治経済、文明論など複数の領域を融合できる稀有な存在として、学術論文や多彩なメデア、また時の総理のブレーンとしても活躍した高坂正堯の伝記。
本書は幼年期から亡くなるまでの高坂の考え方の変遷、また高坂の生きていた時代背景や政治・論壇の様子、高坂に影響を与えた人達を、隈なく冷静にかつ平易に纏めており、非常に読みやすいものになっている。
本書を読んで、高坂は当初は保守と言われながらも「護憲派」であり、現行憲法の解釈の仕方で自衛隊を運用すべきと考えていたが、冷戦終了後の湾岸戦争を転機として「一国平和主義」では日本は衰亡しかねないとして、「改憲派」に変わったというのを始めて知った。
著者は、「高坂をよく知る大家や国際政治学史を専門とする研究者が多くいるにもかかわらず、本書を公刊するのは僭越ではないかとの思いが脱稿したいまも頭を離れない。それでも執筆をあきらめ切れなかったのは、高坂を直接知らない世代が学界の中枢を占めるようになった今日ですら、評伝が弟御の高坂節三『昭和の宿命を見つめた眼―父・高坂正顕と兄・高坂正堯』しかなく、このままでは国際政治学者たちの知的潮流や現実政治とのかかわりを把握することが次第に困難になると感じたからである」と述べている。
終章には高坂の若い時期の言葉だが「私は日本が好きだし、日本は悪くない国だと思っている。しかし自分は愛国者であると自認するとことには、なんとなくためらいを感ずる。また、私は自分のしていることが日本のためになって欲しいと思っている。しかし、自分は国家のために働いているのだといいたくはない。しかも、なお自ら愛国者と名乗りたくないが、何十年か後で、人びとが私のことを『彼は愛国者だった』といってくれたらうれしいと思うだろう」という引用がある。
これを読んでいると、高坂の早い死に対して思わず涙が溢れて来る。
名著である。
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一般の研究者は時代と地域を限定することでまずは博士号や学術書につながる論文に専念したがる。しかし高坂はウィーン体制研究gあみ歓声のままに、戦間期や第2次大戦後に対象を広げており、知的好奇心は最初から多角的dあった。
高坂が冷戦の厳しさを指摘しつつも、多極化を察知しているのは先見の明。安全保障は国際政治学の中心となる領域
現実の国際政治をフォローしながら、その合間に歴史のやや本格的な研究をする方法をとってきた。
学際的な研究としたのは、泉温の異なるもの同士が話し合うということはそのギャップを埋め、異なった領域の間の連関をつけ、全体像への接近を可能にするから。
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現実主義者・高坂正堯の若き頃からの秀才ぶり、父・正顕からの伝統をひく京都学派としての顔。そして東大のこれまた若き秀才・坂本義和との対話が面白い。理想主義者・坂本の高坂評は「空襲を経験していないため、戦争の苦労を知らない高坂」とのこと。高坂の坂本や丸山眞男への丁寧な態度は頭が下がるところ。そして晩年62歳で癌のため死去した際の弟・節三や母との別れのシーンが感動的だった。そして多くの弟子たちに愛された様子も。私には若き日の佐藤栄作首相のブレーンとしての活躍が御用学者に見えたものの、この人は主張すべきことをしっかり主張していた信念の人だった。文明史家としてのこの人の情熱を感じ、伝説的な巨人であった素顔を知ることができたように思う。高坂が森本哲郎「ある通商国家の興亡」の解説に書いたという言葉が印象的とのことであり、最後に引用したい。「解釈にはセンスと勇気とを必要とする。その勇気がないのか、それとも事実の発掘が研究者を疲れさせるのか、あるいは専門化が進行したことがセンスを失わせるのか、面白くもなく教訓を汲み出すこともできない歴史書が多すぎる」高坂自らの著書に対する自信の言葉だ!
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著者同様ゼミ生ではなかったが、高坂先生の講義には1988、1989年度の2年間出席した。本書にもあるとおり、講義は毎回配布されるB4数枚のレジュメに沿って行われる。1989年度は主に近世以降のヨーロッパ外交、国際関係について論じ、終盤は『現代の国際政治』(講談社学術文庫)に相当する戦後冷戦体制に当てられた。折しも劇的な東欧革命が進行中であったが、講義で詳しく言及されることはなかったと記憶している。例の関西弁の語り口は柔らかくいつもユーモアに満ちており、毎年紹介される『三酔人経綸問答』の南海先生さながらにバランス感覚に富んでいた。本書でご最期の毅然たる様子も知り、改めて惜しい方を亡くしたと嘆くこと頻り。国際関係多端な今日、先生ならどのようなコメントをされるだろうか。なお、先生が学生運動の矢面に立たされた時、過激派から「体を張って」先生を守ったのが行政学の村松岐夫先生だったというのはちょっと意外。
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橋本 五郎(読売特別編集委員)の2018年の3冊。
学者としての公的な側面と私的な高坂さんが過不足なく描かれている。
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服部さんの評伝はさすがに読みやすくすらすらと読めた。高坂正堯しの『国際政治』は読後感がとても大きかった印象がある名著であるが、彼が32歳くらいで書いたと知りびびりました。またかれは、高坂昌信の子孫なことも知らなかったのでびびりました。彼のような冷静な知識人にとっても、湾岸戦争は衝撃的だったのだなあ。吉田茂とのやりとりや、その評価の基礎を作ったことも勉強になった。吉田と佐藤の対比などもおもしろい。
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高坂正堯さんの生涯やその間の作品,活動内容などを興味深く読みました。これまで高坂さんの作品は個別に読んでおり,いろいろと共感するところがありましたが,ご本人の生涯や背景などを知ることで,より理解を深めることができたと思っています。
湾岸戦争の頃の活動に関する記載やそのときの高坂さんのご主張は,いろいろと考えることできる材料になると思って読み進めていました。早い逝去がとても残念です。もし生きていらっしゃったら,現在の国際情勢や国内情勢にどのような意見をされるのでしょうか。
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亡くなった96年には色々な追悼企画が組まれたそうだが全く記憶に無い。
生きてはいないだろうなとは思っていたが、そんなに前とは思わなかった。
著作は「世界地図の中で考える」と「文明が衰亡するとき」で、読んだのは1982年頃、その頃はネットなんぞ無かったから、どんなキャラかもわからず。
もしかするとTVで見たかもしれない。
その頃世に出たのかと思っていたが、佐藤栄作の頃から政権ブレーンを務めていたとは今回初めて知った。
この本でも触れられている1988年の大みそかの朝生「僕らは関西だから、天皇さんになるんだね」は、今でもはっきり覚えている。
京都弁のゆったりした話し方で好きだった(その頃は西部ファンだったが)
「朝まで生テレビ」は西部邁、野坂昭如、黒川紀章、大島渚とか出ていたが、生きているのは田原だけか。
ソ連崩壊、東西ドイツ統合、湾岸戦争、中国の台頭をことごとく外したらしいが、それを潔く認めていたという。
まあそんなもん当たるわけ無いし、外れたことを恥じる必要もない。
そうか62歳で亡くなったのか。
20年以上経っても、かつての教え子(そんなに深い縁でもない)がこうした作品を作るのは、やっぱ人柄なんだろうな。
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彼のことは全く知らずに手にしたが、戦後〜現代日本に骨を持ち且つしなやかに対応していたのは非常に興味深い。
内容は半分理解するのもやっとではあったが(二三割かも)、何故か途中で諦めることなく、読了。
確固たる高坂氏の執念を著者が真摯に取り組まれた想いが、いざなってくれたのだろう。
またいつか、歳を重ねたら読んでみたい。
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過日読了した若泉敬の評伝につられて落手。戦中から戦後を原体験として持つ人が透徹した論理を獲得すると、それは強力なペンの力を得ることを改めて認識。
特に沁みたのは、現在の日本国憲法を制定した時には想定していなかったような環境に日本は置かれてしまったなか、高坂先生は「中立論が日本の外交論議にもっとも寄与しうる点は外交における理念の重要性を強調し、それによって価値の問題を国際政治に導入したことにある(p.62)」として、中立論の意義は大いに認めておられたことだ。
しかし、冷戦構造の崩壊後に起こった軍事的な国際協調への要請と、憲法との整合性との議論が露呈したときには「不法行為が行われてすぐに腕力を使わないほうがいいかも知れない。でも幾ら説得しても応じないときにどうするのか。ほっとくのか。ほっとくのは嫌だから口だけしゃべっている。これは偽善であり無力感に基づく無責任であります。しかも平和憲法、平和憲法と言いますけども、少なくともそれを言うなら条文を読んでほしいし、それが不戦条約依頼の伝統にのっとっているということは考えてほしいし、あれが日本国憲法になったときの非常に苦しい過程を知って欲しいのであります。それなのに一切先人の努力を無視して勝手なときだけこれを持ち出すというのは言語道断と言わなければならない。その意味で私は日本には精神的にかなり腐敗が存在するのではないかと思うのであります。(p.306/1991年6月号「正論」)と政府や知識人を論難するのである。
そして「日本では理想家風の偽善者が力を持ちすぎて、その結果少しでも責任ある行動をしようとしている人を苦しめている(p.352)」と慨嘆される。
今もそんな状況は変わらないように思う。
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日本における国際政治学の泰斗・高坂正堯の本格的評伝。高坂の主要著作、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにしている。
高坂の主要著作を体系的に総覧しており、高坂の思想・学問の全体像や変遷を理解するのに適している。『国際政治』で説かれる「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」との指摘をはじめ、高坂の考えは、現代においても古びておらず、示唆に富んでいると感じた。
高坂は、理想主義やマルクス主義の全盛期に「現実主義」の立場から論壇に参画し、その後冷戦終結を契機として論壇の主流となる「現実主義」の先駆者となった。その一方、常に立場の異なる理想主義者等との対話を重視していたということを知り、現在の論壇には欠けている姿勢であると感銘を受けた。
また、高坂が、佐藤栄作政権のブレーンをがっつり務めていたというのは、本書を読んで初めて知り、興味深かった。
一方、高坂の国際情勢予測は外れることも多かったというのは、意外であった。高坂ほどの見識を有していても、いろいろな要素が複雑に絡み合う国際情勢を予測するというのは、なかなか難しいということなのだろう。
随所に、著者が京都大学法学部において実際に高坂と接したエピソードや、著者の近すぎず離れすぎずの距離感からの高坂への批評が盛り込まれているのも、面白かった。
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高坂の伝記。それ以上でもそれ以下でもない。高坂が好きな人にはこれで良いのかもしれないが、高坂が社会で果たした役割について少し詳しく知りたいと思って読んだ自分には物足りなかった。高坂の発言についても、またその発言の時代背景についても、記述は十分でない。彼がほぼ一貫して「現実主義」の立場であったこと、あるいは、国際政治を力だけでなく経済や価値の観点も含めて考えなければならないと考えていたことはわかる。ただ本書では、それを繰り返し述べるだけで、その時代時代の具体的な議論にはほぼ踏み込まない。それならば400頁近い紙幅は不要だったのではないか。高坂の人物評もほとんどが内輪のもので物足りない。
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経済中心主義としての吉田を高く評価する一方、後年の田中には批判的で「吉田体制」にまで高めることはあってはならないとしていたことは興味深い。また、湾岸戦争を受けて日本外交の主体性の欠如に対する危機感を高めており憲法9条は思考停止の悪弊があり集団的自衛権を容認すべきとの立場であったこともその後の展開に示唆的だろう。