日本史嫌いの人も楽しく読める
2020/08/07 21:29
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投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「歴史を解釈するということは、さまざまな分野に進出して知識をたくさん蓄えて、その情報を過不足なく用いて頭の中で考え、論理を組み立てることである」という趣旨のことを著者は述べている。本書は日本史について30年以上考え続けてきた著者の蓄積を「信」・「血」・「法」・「戦」などの十のお題別に取りまとめられたものである。その蓄積の一端は次のとおりである。◆日本史における「信用」を考えるとき、貨幣をひとつの指標とすると、銭が普及したのは13世紀前半。この時期になって銭の信用を保証するほどの政権が成立するようになった。◆喧嘩両成敗法とは、いずれに非があるか本質を審理するだけの能力がなかった公権力の未熟さの結果である。
当然ながら他の識者とは、見解の異なる内容もある。例えば、本書では「元禄時代に勘定奉行荻原重秀が金の含有量を下げて小判の流通量を増やした結果、経済が混乱した。」
とある。一方で堺屋太一著『峠から日本が見える』では、荻原の経済政策には「貨幣改鋳によって余裕財源を創出して、財政に柔軟性をもたせるとともに、貨幣供給量の増減によって景気と物価を左右する、という管理通貨の思想が含まれていた。」と「天才荻原の経済政策」として高く評価している。
本書は、著者の長年の研究の成果に基づく日本史について考察であり、教科書や通史のような退屈さがなく、日本史嫌いの読者も抵抗なく読破できるだろう。
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新書を乱発している本郷先生の最新作。10のテーマに基づき日本史が語られます。それぞれ興味深いのですが、他と重なる話が多いのが気になるところ。そろそろ一休みのタイミングでは?
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<目次>
はじめに
第1章 信
第2章 血
第3章 恨
第4章 法
第5章 貧
第6章 戦
第7章 拠
第8章 三
第9章 知
第10章 異
おわりに
<内容>
タイトル通り、ただただ新しい知識を並べた本ではなく、今まである知識に対し、疑問を投げかけ、自らの意見を述べる本。これからの「教育」の「探求」なる授業にもつながる内容。「おわりに」に書いているが、世の人には、「このように考えるのは著者だけで通説と違うから」とか、「この本に書かれたことは既知の事ばかりで、役に立たなかった」とかいう人がいるが、それではない!と書いてある通り、既知の知識を組み合わせているか?がポイントだと思う。この本にもそうした、「目を瞠らされた」内容が多かった。そうした視点をこれから誰かが証明していけばいいのだと思う。
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日本史学の入門書的なものはいろいろ最近出ていますが
ちょっと今までのものとは毛色に違ったもので、面白く思いました。
日本の国というものがいつぐらいに固まったのか?
権力の形がみえてきたのがいつごろか?
平安時代や戦国時代の地方政権については幼稚で
発展性のない政権であるとの認識も、なんとなくわかる
感じもします。
総体的には面白く読めました
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漢字一言をテーマに日本史を語る本
知識ではなく、考え方を学べる。
歴史をきちんと科学する姿勢、
わからないことはわからないというところが良い。
とくに戦の章が面白かった。
戦の目的を明らかにすることで、それを達成したら勝ち、そうでなければ負け、ときまる。
戦いにおいては、
個々の力×数
で考えるべきで、安全に勝つにはやはり、数が重要とする。
日本は、大抵生ぬるい、要は外圧がなかったことにより、安定志向となりがちで、世襲になりがち、というあたりも面白かった。
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本書は、河出書房新社の藤崎氏から一字の題を出してもらって、著者がほぼ即興で話を展開するやりかた。いわば落語の三題噺のように客席から『お題』を出してもらい、それを取り込んで即席で話を展開するのと同じ手法で、本の編集をしたそうである。
著者曰く、「一つのことをひたすら追い求める、という緊迫感には欠けるが、多方面に茫洋と広がる心地よさは演出できたのではないかと自賛している」
<目次>というか、取り上げたテーマは、
「信」「血」「恨」「法」「貧」「戦」「拠」「三」「知」「異」
上記の言葉をテーマに話が多岐に渡り展開していくのが、これまでにない歴史の切口として面白い。
特に「異」に関しては、著者の主張が熱く繰り広げられる。
異とは外国のことであり、古代~中世においては唐・宋等の中国であり、中世戦国においてはキリスト教の欧州の国々であり、幕末においては黒船、戦後においては米国を中心とする連合国である。
異と接触した時にのみ緊張し改革や革命が起こるが、異との接触をしない合間は、平和な世襲制がはびこった「ナアナア的」な中だるみ状態が続く。
また著者は、異との接触の一例として、中国から科挙を取り入れなかったためエリート官僚が育たないで貴族が官僚を兼ね、それが世襲制に繋がり、現代まで影響していると糾弾する。
面白い話として、哲学者のコジューヴが、パリの高等研究実習院で、「人間の歴史は日本の歴史を見ればわかる」と講義している。
どういう意味かと言うと、日本の歴史を見れば人類の歩みがわかる。なぜかというと、日本は異との戦争がない。つまり侵略されたことがほとんどない。だから「人間が侵略されずに、自然状態のまま進化していくとどうなるか」ということを知るためには、日本の歴史が貴重な例になる。「世界が学ぶべき日本史の価値はそこにある」
ただ、著者は言う。「しかしその反面、激烈な歴史はない。日本では虐殺のようなことは起きず、むしろ貴族社会のように非常にぬるい歴史がある。これは私が繰り返し言ってきたことですが、そのために日本社会では、才能の抜擢があまり見られないで、世襲制が幅を利かせている」と、世襲制には手厳しい。
以前に読んだ丸谷才一と山崎正和との対話した「日本史を読む」では、「日本と中国との関係、というより関係の不在の歴史であった。関係より関係の不在が、より多く日本を作ってきた」とその不在が日本文化の形成に非情に良かったと評価している。
皆さんはどちらの考え方に共鳴しますか?
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最近になって日本史を面白く解説してくれている素晴らしい本に出合いました。最近老眼が進んでしまい、近くの文字を見るのが辛くなってきましたので、読書をするにも本を選ぶようになりました。
そんな私が、この本の著者である本郷氏の本は幅広く読んでみたいと思っています。これで彼の著者のレビューは6冊目となりますが、まだ読み放しの本も数冊ありますので、近日中に書き上げたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・同盟とは破られるために結ぶようなものであった、そうしたなかなので、信長と家康の同盟が破られることなく続いたことは非常に稀といえる(p26)
・藤原氏は、娘を天皇の家に送り込み、天皇の母方の祖父・叔父として、摂政・関白となる。院政は、天皇の父方の祖父・父親が上皇となって権力を掌握しようとする(p38)
・日本は地位に権限もともなわなければ、責任もとのなわれない国と言える。これが日本が戦後に軍事裁判で天皇の退位・財産没収がなかったことにつながる(p40)
・一般の庶民が抵抗する事態としては、一向宗による宗教戦争の形を借りて現れた、武士たちの支配を受け付けず庶民たちは自立を目指した。一向宗は現在でいうところの「平等」に一番近い概念を持っていた(p50)
・応仁の乱が行われていた1479年(室町・文明11年)、密懐法(びっかいほう)によれば、間男は殺しても罪にならない、という画期的は法律が下っている。前提は、自分の妻をてにかけた上というもの。間男を殺しても妻の敵討ちにあたり、慣習法的に正当理由が認められるというもの(p80)
・敵討ち(江戸時代には、届けを出して、公的な手順を踏めば公認された)は赤穂浪士の場合はそれに当てはまらまい。家来が主人の敵を討つケースは含まれないから。敵討ちとは、自分の父・兄など、あくまでも自分の尊属の敵を討つもの(p83)
・中央政府の中に「令外官」が多い、摂政・関白が律令の規定にない、内大臣・中納言・参議(中納言の下)、あるのは、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言(p91)
・承久の乱までの朝廷であれば皆が税金を払っていたが、幕府に負けたので税金が集まらなくなった、そして後鳥羽上皇の名前で、自前の軍事力をもたない、と宣言した(p96,101)
・官人(中位貴族より下)には、4つの学問分野があった、明経道(みょうぎょうどう・儒学)、文章道(もんじょうどう・文学歴史学)、算道(さんどう・勘定)、明法道(みょうほうどう・法)である(p99)
・養和の大飢饉(1181)は、西日本(普段は気候が温暖で先進地域)を襲い、東日本はそれほどでもなかった、東国に基盤を置く源氏は遠征軍を編成できたが、京都の平家軍は難しかった(p113)
・戦国時代、1万人規模の兵隊を1か月動かすとなると、現在価値で1億円以上かかる、戦争とはまさに経済行為である(p137)
・ジャックウェルチは言っている、能力もなく目的も共有していない社員をリストラするのは当然として、能力はあるけどビジョンは共有していない社員と��能力に欠けてもビジョンを共有している社員、選ぶのは後者である(p139)
・南北朝あたりから集団戦が始まっているので武器の変化もある、この時期に薙刀(なぎなた)が使われなくなり、槍が登場してくる。集団戦において薙刀は味方を切ってしまうので(p145)
・東国国家論では、源頼朝が鎌倉につくった鎌倉政権は、天皇が治めている西国と並ぶもうひとつの国家と考える。将軍はあい並ぶ存在で二つの国家があったとする(p184)これをさらに演繹させると、北には平泉の藤原政権があったとも考えられる、馬と純度の高い金が採れた(p185)
・室町幕府は、反幕府勢力である山名一族の力を大きく削いで、商業都市京都の課税権を本格的に手に入れた、自分たちの出身である関東・東北地方を切り離して、鎌倉公方(関東管領の補佐)が面倒を見ることになる。南朝が消滅した1393年に室町幕府が誕生したと言ってもよい(p238)
2019年8月11日作成
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歴史を学ぶとは、考え続けること。
歴史は繰り返すということで学ぶのではなく、歴史を学ぶことで選択肢を増やすことができる、とハラーリも書いてたと思います。
いい本でした。
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歴史とはもちろん、過去を知る学問ではあるだろう。でも来し方を知り、考えることが行く末を思うことにつながるということを深く考えさせてくれた一冊だと思う。面白かったねぇ。歴史って、知識とか教養という面で意味があると、漠然とながらどこかで思っていた気がする。本書を読むと、それをいかに生かすか、日常の仕事への姿勢を考えるか、大きく助けになる存在であるように感じた。
日本では、知の巨人が生まれなかった、とか、世襲の生ぬるさがあってはいるだろうけれど・・・なんてあたり、いろいろ考えさせられたね。今ある身の回りから、ここまでやったら、もういいだろう、なんてことは通用しないんじゃないか、と思えたね。俺自身、世襲で今の仕事やってるけどさ(苦笑)。ここから先、自分がどこに、どこまで進めるか。考えさせられるだけ、強い刺激になったと思う。
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斜め読みするかぎり”歴史に面白い視点を持ち込んだ新書”という感じなのだが、強烈な違和感を感じる箇所があり、そこからはもうまともに読めなくなってしまった。
できれば減点法ではなく加点法で、と思うのだが、あまりにもがっかりして本書全体が信頼できなくなってしまった。
それは、以下のような織田信長についての解説。
(便宜上、各文の先頭に数字を入れています。)
P.149-150
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織田信長の天下統一戦略
(1)また、兵站面でこの戦いを考えると、信長は、どのようにして鉄砲という装備を多数、用意することができたのか。
(2)現代の経営学には「垂直統合」という考え方があります。(3)たとえば車の製造の場合、自社の工場ですべてをつくるのではなく、たとえばこの会社ではライト、この会社ではタイヤ、この会社ではエンジンを、というように分業を行い、本社はこの全ての工程をマネージすることで安心安全な車作りを押し進め、完成品を出荷する。
(4)信長の場合も、安定した鉄砲の供給を考えたときに、すべてをひとつの製造所で賄うのではなく、分業を考えていた。(5)鉄砲鍛冶を雇い、火薬を作るために商人とコンタクトをとる。(6)木炭と硫黄を仕入れ、硝石は海外から買い付ける。(7)だからこそ堺を必要としたわけですが、そのあたりの彼の構想をきちんと明らかにすることが、ひとつの科学的な分析になり得ます。
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問題点①
まず、最初にして最大の問題点。
現代の経営学でいう「垂直統合」は、本書で解説されているようなものではありません。
「垂直統合」とは「水平統合」や「水平分業」と対比して使われる概念で、企画や仕入れ、製造、加工、販売などサプライチェーンの上流から下流まで全てを【分業せず】自社で行う戦略のことです。分業する場合には、分業先の会社を自社グループや系列に取り込むことで分業のデメリットを消そうとします。
水平統合というのは、同じ業種や同じ製品を作っている他社を買収して自社ないし自社グループに統合してしまうこと。水平分業というのは、企画や仕入れ、製造、加工、販売などをそれぞれの分野でもっとも適した会社に【分業すること】です。
従って、「垂直統合」というキーワードを使って著者が何を言いたかったのかが全然理解できません。
冒頭の文(1)に着目すれば「大量に調達する」ことが目的になりますが、大量に供給するため=生産量を増やすための分業は「垂直統合」とは言いません。
(4)(5)(6)の文からは、調達先を複数に分散することで、どこか一箇所が滞っても全体が滞らない戦略のことを指していると思われますが、そういうリスク分散のための分業もまた「垂直統合」とは関係ありません。
信長が垂直統合戦略をとったというのであれば、そうでなかった場合(の仮定やその戦略を取らなかった他の戦国武将)と比較してどう良かったのかを説明してほしい。
現代の経営学を持ち出すのであれば、その経営学が垂直統合戦略を取ることが強みになるような前提条件について豊富な説明をしているのだから、信長という企業家や鉄砲という製品がどう適合していた���か説明してほしい。
一般的に、水平分業が向いているのは「最終製品を構成するパーツが疎結合かつ規格化されており入れ替えが容易」な製品です。パソコンなど。垂直統合が向いているのはその逆で、パーツ同士が密結合ですり合わせが必要な製品です。信長の鉄砲はどっちだったのでしょうか。
大量に鉄砲を製造(販売)できる堺商人をおさえたことがポイントだったのであれば、現代の経営学を持ち出すなら垂直統合ではなく水平分業です。
そして経営学は企業の経営についての学問です。鉄砲の垂直統合というならそれは鉄砲職人や鉄砲商人の視点で最適な戦略は何かを語ります。信長ではありません。
逆に、もし信長を企業の経営者とみなすなら垂直統合とは鉄砲の話ではありません。
そのあたりの熟考の形跡がまったく感じられないから「素人の思いつき」にしか見えないのです。
問題点②
文章の構造や係り受けが成り立っておらず、読者はそのせいで途中で放り投げられたり透かし技をくらって転んだりします。
まず最初の例は(3)に出てくる「安心安全な」。ここで必要な修飾語でしょうか。私は、著者が”垂直統合しない場合に比べて車が安心安全になるのだ、つまり品質が高くなるのだ”と主張しているように受け取りました。従って、その後に「信長は鉄砲の製造を垂直統合することにって、ライバルと比較して品質の高い鉄砲を保持できたのだ」という論が続くと思って読み進め、肩すかしを食らいました。「安心安全な」は明らかに不必要な言葉です。
次に、(4)の文は「(鉄砲を)すべてをひとつの製造所で賄うのではなく」と否定しているので、肯定文は「(鉄砲を)複数の製造所で賄う」になります。「AはBではなく、」ときたら「(Aは)Cである」が続くと想定します。ところが、続く(5)(6)に出てくるのは鉄砲ではなく火薬の話です。そうなら(4)の文章は「安定した鉄砲『と火薬』の供給を考えた時に」であるべきです。「AはBではなく、」ときて「(Dは)Cである」になったらAの話はどこへいってしまったのか。もともとDの話だったのに読み飛ばしたのか、と混乱します。鉄砲と火薬のどちらを言いたかったのでしょうか。非常に混乱しました。
さらに、(5)と(6)の文章は(4)の文章を受けて「信長の考えていた分業の内容」になるはずなのですが、実際には分業の内容ではなく仕事の流れを順番に説明した文になっています。やはり何か重要な段落や文を読み落としたのかと混乱しました。その後も分業の内容が何だったのかについては触れられずじまいです。
さらにさらに、句読点で対置された二つの文がまったく対置構成になっていない問題があります。(6)は「木炭と硫黄を仕入れ、硝石は海外から買い付ける。」という文ですが、後半が「硝石は海外から買い付ける」なので前半は「木炭と硫黄は国内で買い付ける」なのでしょうか。そうとはどこにも書いてないので、後半の文を読んでからもう一度前半の文に戻って脳内で「こちらは国内で買い付けたのだな」と変換が必要になります。同じことが(5)にも言えます。後半が「火薬を作るために商人とコンタクトを取る」なので、前半の文に戻るのですが、こちらははっきり読み取れません。「鉄砲鍛冶を雇うために商人にコンタクトを取った」ので���ょうか。それとも「鉄砲鍛冶は直接雇用したので商人とコンタクトを取ることはなかった」でしょうか。どちらなかのかは書いてある範囲からは読み取れません。
著者はまえがきで「知っていることより考えることの方がずっと価値がある、知らないことは聞けばいいのだから」という趣旨の発言をしているのですが、上で批判したとおり、「知っている人が知っている人に違う考え方を提示した」書籍です。知っている人は文章が複雑骨折した状態であっても自分の知識か再構成して読めてしまうから。
という感じで、これだけ短い文章からこれだけ長い批評文を書いてしまえるような本でした。
本書は著者も残念だし企画も残念だし編集も残念です。
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売れっ子の中世史研究者による歴史エッセイ的な本。学術的な検証は置いておき、「考えたこと」をつらつらと記している。あえて批判する気は無いし、こういう本もあっていいかなと思う。
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まもなく刊行!新生河出新書第一弾
新たな教養新書レーベルとして、河出新書再始動!第一弾は
『アメリカ』及び『考える日本史』!
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いやー,わたしは面白かった。こういう切り口の本は,とても読みやすくて,ニホンの歴史を縦に眺めることが出来る。
ます,印象的だったのが,「それが史実かどうかばかり突き止めようとしての仕方がない」というような著者の姿勢である。
青砥藤綱が本当に引付衆のひとりだったのかわからないし,そもそも彼が実在したのかどうかもわからないのですが,しかしこうした逸話が伝わったということは,当時の幕府に「銭の信用を維持することが大事」という意識があったことを示しています。(本文,p19)
もしも鎖国がなかったと考えるなら,ペリーがやってきたときに,あれだけ日本人が驚いたり,世界情勢にいかに対応するかという問題意識を持つことはなかったでしょう。(本文,p247)
まさに,歴史の見方考え方を教えてくれる本である。
あと,つけ加えておきたいのが,ヘーゲルの「自由の相互承認」についてもふれられていたことだ。それは,自分の師匠・石井進氏の歴史の見方考え方を紹介する場面でのこと。
そうした自由の相互承認を通じて,つまりお互いの権利を認め合うことによって,人が暮らす自由な空間が広がっていく。その概念と,石井先生の言う中世の拠点理論は,重なっているように感じます。(本文,p178)
細菌,苫野一徳先生の本を読んで,ちょうどこの考え方に触れていたところなので,同じ言葉が出てきてビックリした。つながっているなあ。
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教科書の欄外にあるような豆知識ではなく、太字になっているようなメジャーな人物、事件の見方を変えてくれる。歴史を学ぶとはどういうことか、考えさせてくれる良書。
冷静に、分析的に、特に戦争関連について考える
「乾いた目」という表現が何回か出てくるのが印象に残った。
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実証的な歴史の専門家が、たまには自分の思ったことを好きなように喋りたい、ということでできた本なのだろう。様々な角度から歴史を見直してみることの面白さが味わえる。ただこうした本の性質上、ずいぶん脇の甘い発言も多い印象。