紙の本
「千年後の百人一首」に込められたこと
2019/03/25 00:07
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投稿者:ゆぅ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「百人一首」を現代詩としてつくりあげた書籍「千年後の百人一首」。
それを執筆するにあたり、筆者が考えたり歴史から読み取ったことをまとめた一冊。
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『千年後の百人一首』と共に読むと味わいが増します。
百人一首が自分の知っている感覚に近づいて、詠み手に親しみが湧くような文章たち。
そうやってこの訳が生まれたのですね、という、裏話を聞いている感もまたよい。
たしかに、詩で訳すというのは現代語訳として一番和歌に近い形なのかもと思った。
それなー!と清少納言の同級生感、変わらなければいいのにという切なさが印象に残っている。
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詩人の最果タヒさんが、百人一首の一首ごとに向かい合うエッセイ。
わからなければ、という気持ちで百人一首に向き合ってきたからか、わかりあえない、という気持ちがこれまであった。
最果タヒさんは、わからない、という立場で紐解いてくれるから、読んでいる自分も冷静に歌と向き合えた。
事前に百人一首を最果タヒさんが現代語訳した「千年後の百人一首」を読んでいたけれど、もう一度読み返したい。
12月に購入してお正月に読もうと取っていた作品。そもそもなんでお正月に百人一首なんだろか。
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詩人・最果タヒによる百人一首読み解き本。
タヒさんらしいというのか、一首について1ページで終わってしまうものあり、2ページ以上にわたって解説するものあり、そんな違いが面白い。
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いただきものの本です。
平成⇒令和のこの時に。
高校の授業で日本の古典文学、和歌や百人一首を習いますが、当時の私にはそれが苦手でした。
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ /天智天皇」
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ /孝光天皇」
御所にお住いの天皇御自らが苫穂の庵に住んだり、新春の明け方に野っぱらで若菜摘みするわけないじゃないか、やってないことをかっこつけて、身分の高い人のお気楽な遊びじゃないか!
そんな私に対して、古典文学好きのクラスメートは言ったのです。「実際にはお付きの者が若菜摘みしたかもしれないけれど、それにこの歌を添えて相手に届けるのが雅なんじゃない。相手も分かっていて受け取るんだよ」
しかし当時の私は叫んだ。「欺瞞だ!!!」
(女子高には、古典や歴史が先生より詳しいくらいの一種のオタクの生徒たちもいる。先生もなかなか面白いけど)
何しろ私は源氏物語や枕草子や百人一首などの貴族文学・和歌などより、太平記や里見八犬伝や平家物語や義経記のような軍事物が好きでしたからね(笑)(※すべて現代語訳された簡易版です)
授業だって「木曽の最期」などは非常に興味深く受けていましたが、朝廷文化系はイマイチ食指が動かず(-.-)
しかし年齢が上がるにつれて分かってきた。
実際には明け方の野原に若菜摘みには行っていないかもしれない、しかし歌を詠んだ天皇も届けられた相手も、若菜を見て薄く雪の降る朝の野の情景とそこにいる天皇の姿を思い描く、そこで心が通じたり同じ想いを共有することができる。
それこそが和歌を通して同じ感性を共感するという楽しみでもあるんだなと。
さて。
こちらの本は、「千年後の百人一首」ということで、百人一首を現代詩人が現代の感性で訳するというか読み解く本。そこから浮かび上がる詠み手たちの性格や時代背景など。
現代でも分かる感情もあれば、詠み手の状況のや、当時の風習から読み解くと同じ行為でも意味が違っていたんだなと感じることなど。
改めて百首すべて読むと「この人はこんな歌を!」と今更ながらの感想を持ちました。
それにしても千年前の和歌が「分かる」というのは、日本の文化、日本人の感性は変わっていないのですね。「満開の桜」と聞けば「綺麗だな、でもあとは散るだけだな」という、美しさと寂しさを想う。これを千年経っても共有できるのです。このような共有認識の下に成り立つのが同じ文化を有するということでしょう。
…さて、このレビュー冒頭に書いた「君がため」ですが、
私は後朝の文かと思い込んでいて、だからなおさら「夜を共に過ごした恋人に他人が摘んだ草を自分が摘んだとか言って贈るの?!」とか思っちゃっていたのですが、
「御所内の畑で体に良い七草を摘むのは天皇の仕事」「すると贈った相手は爺やや乳母さんかも?」とか、
「孝光天皇は苦労した時代があるから実際に若菜を摘んで煮炊きしたかもしれない」などという説もあると聞いて、
結局後朝なんだか老人愛護なんだか苦労人なんだかわからないけれど、そ���な情景を色々思い浮かべるのは確かに面白い(笑)
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大好きな最果タヒさんによる百人一首についてのエッセイ。好きな歌から順番ばらばらに読んでしまったから、読了にずいぶん時間がかかったし、きっと同じ歌を繰り返し読んでいるに違いない。しかし、何回読んでも飽きないからいい。最果さんの歌に対する想いや解釈、100%合ってるわけではないが(むしろ歌の解釈に正解などないが)、「わかるわ~」と勝手に共感してしまい、それがなんとなく気持ちいい。
このエッセイの中で、「千年前に共感する」というフレーズが出てくる。ただでさえ現代に生きている人に共感することも難しいのに、千年前に共感することができることは、単純にすごいことだと思う。しかし筆者もあとがきに書いているが、これは単なる「共感」ではなく、言葉の共振なのだ。千年前の彼ら彼女らが遺した言葉は、決して隔絶された場所に存在するのではなく、私たちと同じ世界軸に生きているのだ。だから千年経っても彼ら彼女らの歌はこうして語り継がれていて、同じ感情を抱くことができるのだろうな。
古典が苦手でも、百人一首が気になる人にとっては手軽に(高校古典の文法抜きで)知ることができるので、おすすめ。
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百人一首の解説本としてはとてもわかりやすく、面白いと思う。
中学時代、意味もわからず百人一首を丸暗記した自分に読ませてあげたい。
恋のうたの意味は、大人になったらわかるだろうと子供の頃は思っていたが、
大人になってからも、ちっとも理解・共感できなかった。
そして、恋愛至上主義な文化芸術への興味も薄れていった。
好きな百人一首は、中学時代も今も結局変わらず。
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれ出づる月の 影のさやけさ
500年前も今も変わらないものは、
季節の美しさだ。
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最果タヒ初見、たしか中学の時に「死んでしまう系のぼくらに」読んだのが最初
そのときは何回読み返したかわからない
高校卒業してふわっと読書ニートをやっている今、はじめて最果タヒが書く詩以外の文章読み、なんか文体合わねえな〜〜思い、好きな歌からパラパラ読んでった
文屋康秀のとこでまず音がサイコー論に首もげそうなくらい同意し、清少納言のところでわかるbotと化した
清少納言と行成のやり取りからみえる清少納言のするどさ、二人の仲の良さなどがサイコーなんだよなつって再確認したけど在原業平のとこでやっぱ他者の出来事を安易に消費するのは危険っぽいんだよなの気づき 分かっていたことだけれど特に関係性は邪推したり消費しやすいけどそのぶん浅くなりやすいので注意がいるし見方が固定されてしまうので最悪の場合もある
たぶんつーかぜったい千年後の百人一首と合わせて読むべきなんだろうねってかんじ よみます
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中学生の頃にこういった本があると百人一首の理解が深まったであろう。恋の感情に関しては今も昔も変わらない。
ただ、立場が違うと結ばれないことの方が多かった。
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文喫さんが、以前、おススメとしてホームページで紹介をしていたのが、この本。
百人一首。
その言葉を聞くと、小中学校で必死に覚えたことを思い出す。
暗記が得意だった自分は、小中合わせて4回、百人一首大会で校内1位をとった。
が、しかし。。
時を経て、自分はほとんどを忘れている。
読み始めて、「あ、そうそう、こんなのだった」と思う程度にしか記憶していない。
一首一首の意味など、もってのほか。。
そのような状況だったので、読み進めて、「こんなに、恋愛ものが多かったのか!」と、驚いた。
考えてみれば、あの当時は、文でしか、愛を語る手段はなかったもんな。。。
そして、あの当時の人々の感情が、今とさして変わらないものだということにも思い至る。
ただ、今の考える「夜」「闇」「朝」「海」「音」など、あの当時とは意味が違っているものが沢山あり、「言葉」もまた、変化を遂げている。
だから、本当に彼らの感情を分かるわけもなく。
理解したふりをしているだけ。
作者も最後に書いていたが、1000年前の彼らのことをわかったように思うけれど、本当はわかるわけがなく、それと同じで、1000年後の自分たちのことも、その時の人々には、わかるようで分からないのだろう。
それは、寂しくもあり、わかろうと想像をしてもらえるキッカケになれる喜びでもあるのかも。。
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「君の言い訳は最高の芸術」と並んでタヒさんの詩や小説以外に触れられる貴重な作品です。
先に出版されている「千年後の百人一首」と併せて読まれると良いと思います。歌によって人間関係や社会が成り立っていた側面のある悠久の時代に思いを馳せつつ色々なことを考えました。
古典が好きな人にも、悩みを抱えている人にもすべての人におすすめしたい本です。
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さみしさって本当はそういうものだと思うのです。世界が私を無視するのではなくて、私が世界を無視することで、そっと湧き出る感情なのだと。
全体的に文章が綺麗であっという間に読んでしまったけど、なんも残ってない。そのくらい最果さんの書くものって、わたしにとって読み心地というか手触りが綺麗すぎる、良くも悪くも。
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久しぶりに百人一首に触れてみました。
昔の人たちの感性は普遍的でもあり、むしろ新鮮な印象を受けた句もいくつかありました。
解説にあるエピソードを、シンプルに面白おかしく家族で解釈しながら楽しませてもらいました。
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中学生のときに大好きだった百人一首
当時好きだったのは「久方の 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」。意味もわからないまま、音や字面のならびで好きだった。
大人になって百首の背景を最果タヒさんの視点とともに読むと、当時の彼らの生活を理解しきることはできなくても、なんでだか、その情景に思いを馳せてしまう。
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ここまで解釈を広げられる想像力にまず感動する
試しに百人一首を目で読むんじゃなくて口で詠んでみた
朗読舐めてました