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東京のメディアが誇張し、大阪側が話を盛ってつくられた大阪的イメージを多面的な視点から、紋切型の大阪像をくつがえす。
2018/12/05 12:44
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
大阪と聞いて何を思いうかべるだろうか?ドケチでがめつい、熱狂的阪神ファン、芸人顔負けのおばはん……は本当に「大阪的」なのか? ベストセラー『京都ぎらい』の井上センセイが、今度は、紋切り型の大阪像を楽しく鮮やかにくつがえします。
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ステレオタイプの大阪論にメス
2019/09/01 17:55
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:donden - この投稿者のレビュー一覧を見る
従来の猥雑とした大阪へのイメージを歴史的背景と著者独自の解釈により覆していく挑戦作です。
是非東京のテレビ局のプロデューサー辺りに読んでもらいたいですね(笑)
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なるほど
2019/02/26 07:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドングリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仕事柄大阪には頻繁に行くがやはり関東とは違う県民性がある。本書はそれを入念に解き明かしている。面白かった。
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大阪は道頓堀と通天閣の映像から始まるステレオタイプ。大阪市出身のひとりとして常々違和感を覚えているこの現状について、本書は初めてそのあたりに切り込んでみたものだろう。
大阪は狭い。大阪府も大阪市もきわめて狭い。しかし、そんな土地にあって、また様々な風景に富む場所である。道頓堀も通天閣ももちろんそのひとつであることに間違いはない。
実のところ大阪はここ数年、またこの先数年、大きな変化の途上にある。ただ、そのことが正しく伝わっていない。そのことだけが問題で、受け手に伝わるように伝えていくことをどうしていくのか、それだけだろう。
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タイトルの「大阪的」とは何だろうか?笑い,ボケとツッコミ,夫婦善哉,通天閣,阪神タイガース,ナニワ金融道etc.――そうした我々の「常識」を覆し,戦後復興期あたりまで存在していた本来の「大阪的」なものを探求する図書。それは,大阪自体が持っていたポテンシャルの過小評価に対する再検討でもあり,大阪にあった「山の手」文化に対する再評価でもある。
しばしば東京人は東京の対極的位置づけとして「大阪」を例示する。しかし,本当に「大阪的」なものは,実のところ,「東京っぽさ」の裏返しである面を持つ。第4章「美しい人は阪急神戸線の沿線に」を読めば,いわゆる「神戸的」なものこそが,本来の「大阪的」なものであり,第5章「音楽の都」からは大阪のクラシカルな芸術性が読み解ける。現在の大阪府は旧国名でいう摂河泉3か国から成り立っているが,「河内的」,「和泉的」なものではなく,「摂津的」なものを見つめ直そうというのが,著者の隠れたメッセージなのかもしれない。
ただし,第8章「歴史のなかの大阪」は,全体的に実証不足。やや大阪の「都市伝説」に引っ張られた印象を否めなかった。
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<目次>
第1章 大阪人はおもしろい?
第2章 阪神ファンがふえた訳
第3章 エロい街だとはやされて
第4章 美しい人は阪急神戸線の沿線に
第5章 音楽の都
第6章 「食いだおれ」と言われても
第7章 アメリカの影
第8章 歴史のなかの大阪像
第9章 大阪と大阪弁の物語
<内容>
産経新聞大阪版夕刊の連載を加筆してまとめたもの。第1~3章は、若干大阪人のひがみかな、とも読める。第5~8章は知らない話が多かった。まあ、8章の「弥生土器」や「古墳時代」の名称の是非はあまり気にならないが、「大阪」大坂」の違いについては、最近知ったことだがあまり区別する必要はなさそうだ。第9章の大阪弁については、現在の大阪弁は厳密に言えば「河内弁」(特に今東光の仕業らしい)に近いという話は面白かった。
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題名よりも真面目な内容。安土「桃山」時代ではなく安土「大阪」時代、古墳時代ではなく川内時代、の方が正しいのに東京もんにやられてるっていうのがよくわかった。でも阪神は巨人の忠実なしもべ、てのはショック。
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今は誰も見向きもしないほど歴史の中でかき消されていったことがたくさんある。読みながら関西の話で言えば和田の港や福原京など平家の姿、そして豊臣秀吉の遺したものがあることを思い起こさせた。確かに織豊時代とはいうものの安土大阪時代とは言わない。大阪のブルジョワ文化、浪速のいとはんへの憧憬がよく伝わる。連載であるため仕方がないのだろうが、展開に繰り返しが多い。
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・大阪弁は大阪に残っている。上海語は北京語に駆逐されている。それは経済力の違い。昔大阪が東京に匹敵する経済力を持っていた時、本社を大阪において東京の人を置いていた。いまや本社もいなくなったので、東京人が来なく(住まなく)なった。以前は阪神間山手では今以上に標準語が幅を利かせていた。
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阪神タイガースがなぜ南海ホークスに代わって巨人のライバルになったのか!関西のテレビがなぜ市井の市民を多く出させ、そこで面白い番組が生まれたのか?なぜ大阪はエロい町となったのか?大阪と京都のライバル意識、なぜ阪急神戸線に美人が多くなったのか?などこの人の主張はいつもながら下世話だが本質を得ている指摘も多い。谷崎潤一郎が「私の見た大阪及び大阪人」の中で大阪の女性について書いた文章「関西の夫人は凡べて言葉少く、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞え、色気がある」が、とのタイトルとあまりにもかけ離れており、それを紹介する著者の真面目な?!態度には拍手である。僻みっぽい表現が些か筆禍るところではあるが…。
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我々が先入観として抱いている大阪的な観念は全て後から恣意的に印象操作により植え付けられており,実際とは齟齬がある,あるいは当てはまらないこと・人だって多くいるのだ,という主張.笑い事程度の内容なら見過ごせるが,その人物の為人を事前に規定してしまっていたとしたら,笑い事では済まされない,ということに気づく.
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大阪をめぐって主に中央のマスコミ主導で植え付けられてきた誇張された偏見を、京都出身で大阪にひとかたならぬ想いを寄せる著者が時に憤慨しときに嘆きながら思いつくまま解きほぐしていく。
著者に正されるまでもなく、少し考えれば大阪人が皆お笑い芸人並みに面白いなどとは思わないし、皆がみなエロいわけでもガメツイわけでもないと普通に考えられる。
歴史的に見て、東京や他の諸都市がそうであるように、大阪にも大阪の重層的な生い立ちとそれゆえの深みがある。改めてそんな大阪の多面性を味わいに訪れたいと思った。
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「京都ぎらい」で話題をさらった著者が「大阪」についてトリビアな話題を著している。
現代日本では「大阪」というと「よしもと」に代表されるお笑いの文化が定着し、一般人でも人を笑わせる、又庶民的な親しみのある人、特におばさんが多いと思われている。
しかしこれは戦後に定着したもので、大阪が経済的に日本を席巻し、著者が言うように「ブルジョワ」の文化が主流であった戦前までは、大阪は全く違うイメージであったと言う。
確かに、谷崎潤一郎をはじめとして、その文学に登場する関西は今とはかなり違う。
再度、特に関西に住む人々は画一化されたイメージの現代の大阪ばかりではなく、歴史から振り返って大阪の多様な特性を見直してほしい。
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●読んで得るもの
大阪の文化、成り立ちなど
東京との比較
●感想
「まえがき」を読むに「関西人を覚醒する」ことが本書のねらいの一つにあることがわかる。残念ながら関西人の自分が読んでてそういった気にはならなかった。
関西の知識を増やすには良い本。
「うんちく」を聞いてくれる人がいるかいないかは別として。
ならば一人で楽しむための読み物か。
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「大阪」のイメ-ジは、喧噪の街々で飛び交う大阪弁・お笑い・食道楽が湧いてきます。関西2府4県の中で独自の文化圏を継承してきた大阪ですが、「おもろいおばはん」を代表とする大阪像は、どの様につくられてきたのか、地元の感情として受け入れがたいと思うところを、『京都ぎらい』の著者【井上章一】はんが、はんなりと解き明かしていきます。「阪神タイガース」の〝ズでないス〟へのこだわり、「安土桃山」の〝桃山〟に疑問を投げかけて「安土大阪」に是正を求めるなど、ユニ-クな評論に好感がもてます。