紙の本
平成で人生の前半を過ごした人は読んだほうが良い
2019/02/21 08:27
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tomoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
平成という年号の時代は、バブル経済崩壊の対応に追われ、
その間に小泉・竹中改革で新自由主義が跋扈し、
にも拘わらず日本は世界の変化から取り残され、
政治も企業も芸能界もみーんな世襲ばかり、、ではないだろうか。
本当にこの30年、何だったんだろう、と思う人はこういう本で、
自分の人生と時代をふりかえってみるのもよいだろう。
今後10年20年、どうやって生きるべきなのかと考える材料になると思う。
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190210野口悠紀雄 平成はなぜ失敗したのか
「失われた30年」としての「平成敗戦記」
78歳になる野口先生 憂国の書であるが
自身の主張が現実化しないことへの諦めも見える
工業立国からの転換、高度サービス国家への転換を訴える
国内の既得権益体制は現状維持
金融サービス、情報サービス、健康サービスである
ソフトウェア・インターネット・eコマース・金融・ヘルスケア
米国は金融・IT分野について日本の自立を許容するのか
むしろ終わった産業の受け皿 製造業・原子力発電
日本は「人口減少・高齢化」の問題に直面する
国家としての戦略明確化が不可欠と思うが
社会保障・財政・経済政策いずれもが目先の短期処方
日本は追い詰められるとますますその場凌ぎになる
昭和の満洲・中国侵略、アジアへの資源侵略、米国への戦争拡大
日本は「パラダイム転換」ができない 自滅まで
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平成の時代に何が起こったのかというと「新興国の工業化とIT革命」である。平成が停滞した30年になったのはこの変化に日本が対応できなかったこと。野口先生の言葉でいえば「脱工業化を図り、産業構造を大変換」すべきだったのにそれができなかったということ。新興国が工業化するということは、製造業において「垂直統合から水平分業へ」という動きが起きたことに他ならない。具体的には、中国が大量生産分野を担当して生産を行なうことで、工業製品の価格は世界的に下落。 日本の製造業が中国メーカーと製造過程でのコスト競争を行なっても、消耗するだけ。一方英国は、金融業で復活。
日本企業が世界経済の変化に対応できなかったのは「組織に対する無定量の依存心と組織の絶対性への信仰があったから」だと先生は言う。考えないということでしょうか。それと、「金融政策で『引く』ことはできても『押す』ことはできません」というのも印象的。マネタリーベースを増やしても、借り入れ需要がない経済ではマネーストックは増えないということ。余ったお金はバブルを生む。
最後に、日本の財政と労働力の話があった。何の根拠もないけれど、ハイパーインフレだけは勘弁してほしいな。それと「『雇用の確保』よりも『人手の確保』が重要な課題」と述べていますが、求められているのは高度な専門家なのでしょう。大切なのは規制緩和だと述べていましたが、少なくとも読後の完走は「日本のそして自分の今後に不安を感じました」ことでした。
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目新しさはないが、平成という時代に置き去りにされてきた課題、令和を迎えたこれからをどのような方向性が必要かが理解できる。氏の自分史も一部入っているのも面白いです。
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バブル時代から現在までの平成の経済をコンパクトにまとめ、今後の指針も示した。
著者の個人史も面白い。
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明日、新しい時代である「令和」を迎えるにあたり、部屋の片隅に読みかけとして置かれていた本を一斉に整理することにしました。恐らく読み終えたら、面白いポイントが多く見つかると思いますが、現在読んでいる本も多くある中で、このような決断を致しました。
星一つとしているのは、私が読了できなかったという目印であり、内容とは関係ないことをお断りしておきます。令和のどこかで再会できることを祈念しつつ、この本を登録させていただきます。
平成31年4月30日(平成大晦日)作成
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評価3.5くらいですが、「平成は良かった」ではなく、「何でもかんでも悪い」でもなく、自らの世代の失策として失敗を冷静に説く。これは是非我々の世代も見習い、かつそれを成功にするための冷静な議論につなげたく4点。
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産業構造に変化できなかったらから日本は衰退した、という主張は大いに納得できる。
しかしながら、消費税増税と外国人労働者の受け入れに対しては大いに問題があるのではないか。
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昭和46年生まれの私にとっては、過去を振り返るのに最適でした。
ただ、過ぎた過去を分析できたとしても、やって来る未来を予測はできましぇん…。
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平成を50〜70代で過ごした世代として、責任を果たしたか?と問われると失敗したと言わざるを得ない。世界経済の大きな変化に取り残され、国際的地位は低下した。世界的水平分業時代に、優位かつ付加価値の高いサービスに特化し、規制緩和で新事業や新サービスに産業構造を変化させるべきだった。
平成を牛耳っていた昭和おじさんの時代は終わった。がんばれ、平成おじさんたち。
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https://www.gentosha.co.jp/book/b12282.html ,
https://www.noguchi.co.jp/ ,
https://note.com/yukionoguchi
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2020/04/07:読了
日本単独で見ても、答えはでないと思う。
もしもの話だが、日本の半導体を潰し、バブルを発生させつぶし、さらに金融自由化して、それに寄生し、原子力発電所を地震という名目で危機に陥れて、というようなことが出来る人達が、仮にいたとしたら、そりゃあ、誰が日本を運営してたとしても、失敗するでしょ。
仮にの話だけど。
そんなことをされながらの今を、どう考えるのか。それでも、やりようによっては、今より、良い状況になったというのであれば、それを示して欲しい。
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1980年代、世界経済における日本の地位が高まった。日本経済は成長し、80年代後半には地価が高騰した。
これはバブルだが、当時は経済の実体的な変化によるものだと考えられた。
1990年代初め、日本経済は天井に突き当たる。
91年から地価が下がり始め、企業の売上高の増加も止まった。
だが、こうした変化は一時的な現象と考えられ、バブル的な気分は続いた。
1980年代の末、日本がバブルの頃、中国をはじめとする新興国の工業化、情報通信技術の革新などが進んだ。
こうした基礎的経済条件の大転換は、日本経済の基礎を揺るがした。
アベノミクスは、日本経済を持続的な成長経路に乗せることに失敗した。
・「アベノミクスは企業の活動を活発化させた」といわれるが、現在の企業の売上高は、2013年初め頃とほぼ同じ。
・日本経済が持続的な成長を実現するには、実質消費が成長する必要がある。
現在の消費水準は、異次元金融緩和が始まった2013年とほぼ同じで、増加したとはいえない。
日本が抱える問題は、金融緩和や円安ではなく、経済構造を変えることでしか解決できない。
その課題は、次の3つ。
①労働力不足への対処:
高齢者や女性の労働力率を高めるとともに、移民を大幅に増やす。
②世界経済の構造変化への対処:
中国は将来、1人当たりGDPで日本と並び、GDPは日本の10倍になると予想される。特に、この中国の急成長に対処する。
③新しい産業の創出:
企業のビジネスモデルを転換させて、GAFAのような生産性の高い、新しい産業を作り出す。
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日本経済の停滞は、90年代からまことしやかに言われているようなデフレによるものではなく、変化する世界に対応できなかった・しようとしてこなかったツケである、ということを解き明かしてくれている本。
折々で著者の思い出話が挟まってくるのでエッセイのような側面もありつつ…苦笑
既得権益をぶっ壊す規制緩和が政府のなすべきことだ!個別産業に肩入れするのではなく人材育成のような基本的条件を整備しろ!というのは大いに賛成。
ですが女性の労働参加に関して
「子育て期の女性の労働力率を高めるには、子育て支援などの政策が必要です。それは、決して容易な課題ではありません。」で済ませてしまうのはちょっと片手間が過ぎるのではないかと。長時間労働を背景に家庭・子育てを"免除"されてきたのは父親の既得権益ではないですかね。
(もちろん人を長時間労働に至らしめるような低生産性・低賃金が温存されてきた構造があるとは理解しつつ。)
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平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析 (幻冬舎単行本)2019/2/6
中国では出来ない事を日本企業が行う必要がある
2019年8月29日記述
野口悠紀雄氏による著作。
2019年2月5日第1刷発行。
題名にあるように平成を振り返り、
何が日本経済で求められているかを示した本。
著者の戦後経済史という本と一部内容が被る。
被るものの、こちらの方がより現代社会に
直結している。また読者にとっても平成時代を
振り返る良い機会になるだろう。
結論から言えば、中国では出来ない経済活動、
高度サービス産業が日本で発達する必要があるのだ。
GoogleやAmazon、Appleのような企業が出てくるかどうか
また島国から海洋立国になること
⇒外に向かって開かれた国になること
人材面で開かれた国になるとは、外国人を受け入れること、自国民が外国に進出すること、そして戻ってきた人々を社会が受け入れることです。
野口悠紀雄氏の主張していることは他書籍も含め繰り返されているので戦後経済史など読まれた方には被る内容も多く物足りなく感じるかもしれない。
印象に残った部分を少し紹介すると
私たちの世代は、上の世代が築き上げた日本社会を、世界の動きに合わせて変えていく責任を負っていました。
程度の差こそあれ、私たちは、社会の動向に影響を及ぼしうる立場にいたのです。
少なくとも有権者であったわけですから、
政治上の選択に無関係ではありません。
したがって、私たちの世代は「責任を果たしたか?」と自問する必要があります。
われわれは、前の世代が遺した遺産を引き継いで、それを発展させることができただろうか?
残念ながら、それに失敗したと言わざるをえません。
変化が激しい世界では、同じ場所に留まるためにも走り続けなければなりません。
走らなかった日本は、同じ場所に留まれませんでした。
この時代の経済力をもってすれば、日本人はもっと豊かな生活を実現できたはずです。
しかし、バブルによって資源配分が歪んだため、それが実現せずに終わりました。
1980年代後半の日本は、ソドムとゴモラの町より道徳的に退廃したのです。「バブル時代が懐かしい。再来を望む」という人がいます。
なんと愚かな考えでしょう。
私は怒りさえ覚えます。
日本経済は、その後のバブル崩壊によって、大きな損害を被りました。
神の鉄槌が振り下ろされたのは、当然のことです。
1980年代後半にOLの間で流行していた生活スタイルは、「暫く働いてから退職し、退職金と失業手当で海外旅行をする。そして、帰国して新しい仕事に就く」というものでした。
これが1990年代になっても続いていました。
1990年代になってからは、海外旅行から帰ってくると仕事が見つからなくなる人が増え始めました。
しかし、多くの人が「なんで?」と不思議がったのです。
(中略)中国の工業化が進展しつつあり、製造業は根本的に重大な問題に直面しつつありました。
そ���に対応して、日本は企業のビジネスモデルを根本から変えることが急務だったのです。
しかし、会社を改革するのではなく、逆にしゃぶりつくそうとする人々が残っていたのです。
全員ではないにしても、そうした人たちが大勢いたことは間違いありません。
なぜこのようなことが生じたのでしょうか?
人々は、組織は永遠に続くと思っていたからです。
そして、いくらでも依存できると考えていたからです。
百貨店業界の厳しい実態が明らかになり、業界再編がなされたのはバブル崩壊後10年以上も経った2000年代になってからのことです。
私は1990年代は50歳代でした。
一橋大学教授になってからほぼ10年が経ち、ゼミの卒業生もずいぶん増えました。
1980年代には、日本経済のバブルの中で、彼らの多くが海外留学をしました。
その推薦状書きに大忙しだったときもあったのですが、1990年代にはそうしたことがなくなってしまいました。
そして、彼らは、バブル崩壊の中でさまざまな運命に遭遇していきました。
卒業して就職したときと同じ名前の組織に在籍し続けた人はほとんどいません。
転職するか、あるいは組織の合併などで社名が変わったからです。
一橋大学のある卒業生から聞かされたことですが、
1980年代の初め頃に、私が「君たちは組織に裏切られることになる」と話していたということです。
私自身はそう言ったことをまったく忘れていたのですが、彼らの多くは、平成の時代に、実際にそのとおりの運命を経験することになったのです。
私は1996年に一橋大学から東京大学に移り、
先端科学技術研究センター(先端研)に勤務しました。
(中略)予算要求をして「先端経済工学研究センター」という新組織を作りました。定員がわずか3名の小さな組織ですが、これを出発点に、新しいことをしたいと思ったのです。
さらに、ビジネススクールを創設したいと考え、工学部の協力を得て、東大としての予算要求に乗せるところまではいったのですが、学内の抵抗に阻まれ、最終的には実現できませんでした。
ゴルバチョフは、1990年にはノーベル平和賞を受賞しました。
ソ連大統領を辞任してから後も、さまざまな活動を行っています。
来日も頻繁でした。
2007年11月の来日の際、私は、彼が講演したときの公開パネルディスカッションで相手役を務めました。
大手術をしてから日が経っていないということだったので、「お元気ですね」と挨拶したところ「日本のテンプラを食べて100歳まで生きる」という答えが返ってきました。
彼は1931年生まれですが、今も健在です。
是非100歳まで生きてほしいものです。
1995年3月20日に東京で地下鉄サリン事件が起きました。
その日、私は北京にいました。
このときに北京駅で見た光景は、いまでも忘れられません。
薄暗い駅舎のいたるところに、人の塊ができているのです。
なんと彼らは床に布を敷いて寝泊まりし、生活していました。
文字どおり足の踏み場もないほどの膨大な数の人々でした。
近代的な建物が廃墟になってしまって、そこに人が不法占拠して住み着くというのは、終戦直後の東京でも生じたことです。
私は、幼い頃に見たその光景を思い出して、強いショックを受けました。
この人たちは、農村から出てきた「農民工」と呼ばれる一群です。
社会主義時代の痕跡もいくつか見られました。
特に痛感したのはレストランです。
夜の8時頃になると、客が食事をしているのに、勝手に席を整理して掃除を始めたのには驚きました。
旧東ドイツでもそうだったのですが、「客」という感覚はなく、与えられた仕事を片付けているだけなのです。
新興国が工業化し、安価な工業製品が大量に生産されるようになった時代に先進国で生き残る製造業は、2000年代になってからアップルが始めたように「国内で生産しない」「工場を持たない」製造業なのです。日本の製造業もそのような変身を図るべきでした。
第3に必要だったのは、脱工業化を図り、産業構造を全体として大転換させることです。高度成長期から連綿と続いてきた
「モノづくり経済」が、それまでのように機能しなくなったことを認識し、金融業などの高度サービス産業の比重を高めてゆくことが必要でした。
「有力な政治家さえ押さえておけば、政策は実行できる。
その他はどうでもよい」という考えです。
「善人でも悪人でも、強い人を味方につければよい」というマキャベリズムは、昔から大蔵省にあったものです。
しかし、社会全体の暗黙のサポートがあったからこそ、それでよかったのです。
社会的信任が崩壊すれば、いかに強力な政治家がバックアップしてくれたところで、どうにもなりません。
暗黙のサポートを獲得するには、道徳的な潔癖性だけでなく理論的な正しさが不可欠であるにかかわらず、それが不十分だったことです。
伝統的な大蔵省では「そこまでやる必要はないだろう」というほどの厳密な論理的ツメが行われました
(私は、主計局で仕事をしていたとき、法規課の緻密すぎる議論にしばしば辟易させられました)
しかし、不良債権処理時の大蔵省では、それが弱くなりました。
このときからすでに20年以上が経っています。
問題は、それに代わる新しいシステムが構築されていないことです。
日本の統治機構は、明らかに劣化しています。
2018年の3月には、国有地の森友学園への払い下げに関する決裁文書を財務省が改ざんするという事件が発生しました。
「社会的信任こそ財務省の権限の拠り所である」ということを、財務省は結局のところ学習しえなかったのです。
不良債権の無税償却は、もともと認められている措置ではなく、特例です。ですから、銀行に対する補助金が39兆円支出されたとみなすことができます。
公的資金による損失分約10兆円と合わせれば、納税者の負担は約49兆円にのぼったことになります。
国民一人当たりでは約38.5万円、5人家族なら192万円です。
これは平均値ですから、納税額が多い人なら、間違いなく1000万円のオーダーになっています。
これだけの額を、銀行の放漫融資の尻拭いのために納税者が負担させられたのです。
しかも、それが、きわめて分かりにくい形で生じたため、多くの人は、負担を課されたこと自体を認識していません。
そして、他方では得をした人がいま���。
銀行から融資を受けて返済しなかった企業です。
しかし、それが誰なのか、分かりません。
これほど不合理なことがまかり通る国は、世界広しといえでも、日本だけでしょう。
(中略)しかし、われわれは、このことを決して忘れてはならないのです。
なぜなら、われわれは、バブルの教訓を汲み取っておらず、日本の金融機関の基本的な体質は変わっていないからです。
経済条件が整えば、バブルは再発します。
そして、国民は再び同じような負担を押し付けられるでしょう。
求められるのは「世界の分業体制の中で、日本の位置がどこにあるか」についての冷静な判断なのです。
「各国は、与えられた自然条件や生産要素の賦存状況を勘案した比較優位分野に特化するのがよい」とは、
イギリスの経済学者、デイビット・リカード(1772~1823年)
が見出した経済学の最も重要な命題です。
ただし、比較優位は時代とともに変わります。
中国が工業化し、通信技術が飛躍的に進歩した世界で、先進国における比較優位の条件は大きく変化しました。
問題はそれに対応することであって、理由をつけて現状維持を正当化することではありません。
それは、過去への執着と変化への抵抗以外の何物でもないのです。
農業の場合にも、本当に重要なのは、日本の国土条件や需要に見合った生産性の高い高収益の農業を建設することです。
保護と補助に依存して、片手間兼業米作農業になってしまったことが問題なのです。
製造業についても、まったく同じことが言えます。
問題は、日本の製造業に創造的な側面が失せて
「コモディティ」(誰にでも作れるため、価格しか差別化要因がないような製品)しか作れなくなったことです。
リーマン・ショック後に、日本では「アメリカ経済が破綻した」という議論が大流行しました。
「資本主義がもう機能しない」という類の議論も大いに人気を博しました。
しかし、実際はそうではなかったのです。
金融危機は驚くほど速くに収束し、アメリカ経済は急回復しました。
それは、古いタイプの製造業に依存していなかったからです。
深い傷を負ったのは、古い産業構造を温存した日本でした。
これまで述べてきたように、2003年頃からの景気回復は、アメリカの住宅価格バブルに乗ったものに過ぎませんでした。
ですから、親のバブルが崩壊すれば、子のバブルも崩壊するのは当然のことでした。
それは「偽りの回復」と呼ぶべきものだったのです。
「日本の出番だ」などと言うのは世迷いごとです。
日本が「金融危機の処理にはスピードが必要」と言ってもなんの参考にもならず、失笑を買っただけでしょう。
(日本で最初の資本注入が行われたのは、株価バブル崩壊のほぼ8年後です。しかし、アメリカは、リーマン・ブラザーズが破綻してから1ヶ月程度で問題を処理したのです)
組織のリーダーに求められる資質とは何でしょう?
判断が正しいことや、先を見通す力があることは、もちろん必要です。
しかし、スタッフとしての参謀ならそれでよいでしょうが、ラインのトップは、それだけでは不十分です。それに加えて何かが必要です。
それは部下の信頼を獲得することです。
「この人についていけば間違いない」という信頼。
「その人に評価してもらいたい」という願望。
「そのためには何を犠牲にしてもよい」というほどの信頼です。