電子書籍
森瑤子の時代
2020/08/08 14:03
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投稿者:うみしま - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの頃生意気な女学生だった私たちは、挙って森瑤子を読んで、早く30歳になって、真っ赤な口紅を塗って、森瑤子の描く世界に飛び込みたいと話していた。結婚につながる恋愛ではなく、純粋な恋愛「サルトルとヴォーボワールのように」を謳歌したいと願っていた。しかし、いつしか、森瑤子の著作を読まなくなり、忘れかけたころ、森瑤子は突然去っていった。51歳あまりに早い逝去に驚いたが、そのころはすでに、目の前の生活に追われていて、森瑤子に熱中していたことさえ忘れていた。本作を読み、森瑤子は作家本人にとっても、我々読者にとっても、一つの時代だったのだと思った。作家本人の切実な現実を知り、それでも書かずにはいられなかったその人を想うと切ない。文学も消費されるのだと実感した。しかし、我々世代は今でも、どこかで森瑤子の世界へのあこがれをいだいているのかもしれない。
紙の本
虚像と実像
2020/03/22 20:34
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投稿者:ピーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
森瑶子を著者が、多方面からの取材と彼女の作品の言葉の数々から彼女の本質を掘り下げる本。
森瑶子の本は昔沢山読んだ。
フィクションのはずが、勝手にノンフィクションではと思わされる作品だったように思う。
そこで勝手にイケイケな感じの作家を想像していた。
が、今回の本を読んだら、彼女に惹かれる女友達も沢山居ることを知り、人間的に魅力的な方だったのだと私の勝手に懐いていたイメージと実像の差を感じた。
それにしても本当に早くに亡くなられたものだ。 残念だ。
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亡くなって20年というのは、忘却される前の資料としては貴重だが、まだまだ血が流れる期間なので難しい。死に向かって準備する森瑤子の姿は素晴らしかった。
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森瑤子ファンなら必読の書。
夫、アイヴァン・ブラッキンをはじめ、元婚約者の亀海昌次、娘たちのヘザー、マリア、ナオミ、森瑤子になる前の
伊藤雅代だった頃の学生時代の仲間たち、小説家を目指した父、森瑤子と確執があったとされる母、最も信頼していた秘書のドーリー(本田緑)多角的な視点で捉えた”森瑤子”が実像として迫ってくる。
言えることは夫、アイヴァン・ブラッキンなくして作家森瑤子は誕生しえなかった。ということ。
書き続ける為に、真っ赤なルージュを塗り、つばの広い帽子を被つことで鎧をまとい夜毎パーティーに繰り出し、夫といがみあいながら夫の仕事の資金を出し、ヨットも買い、カナダの島を買い、そうすることによってしか書き続けられなかったんだろう。
なんだか痛々しく、最期のホスピスではほんとにかげがえのない時間を親しい人たちと過ごさたことが救い。
作中に出てくる”佐野洋子”ふたりが一時期懇意にしていたことも初めて知った。ほんとに真逆なふたりのヨウコだ。
近藤正臣と浮名を流したこともあったんだ~。
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30〜40代前半でかなり読みふけった森瑤子作品。華やか強烈な印象の著者が抱えていた、深い悩みと人間性を浮き彫りにする評伝。
時系列で構成するのではなく、青春時代の友、3人の娘それぞれ、男たち、仕事仲間といった各者の視点の章立てで作家を語ることで、若い頃から早すぎる死までが、いろんな角度で何度もリプレイされる。見事な作りだなあ。そのたびに理解と共感が増すじゃないか。
とても好きな女性に関するものしか評伝って読まないけど、あふれる才能を持ちながら、まだ足りないと自分の内側を喰らい尽くしていく様は、ちょっとだけビビアン・リーを思わせる。
素顔は朴訥で「シベリアの農婦」みたいな骨太で内気だった雅代が、森瑤子として花開く様を読むと、人はなりたい私になれるんだと感動する一方、本来の自分からかけ離れた像を追い続けることの不幸も思う。
作家の享年に追いつこうとしてる今、読めてよかったです。
筆者・島崎今日子さんの綿密な取材と、抑えた調子ながら表現力に富んだ正確な文章にも心身を委ねられる。ホント一気読みしました。
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ある女流作家の生き様、を複数の関係者の視点から語った。
表現のために、生活の全てを題材にし、また、全てを題材にするために、輝いて生きた。
全力で生きることの美しさ、文章で表現するのに必要な、途轍もないエネルギーの強さを感じる本。
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女性達の欲望は森瑤子から始まり
可視化された……!
1978年、38歳でデビュー。以来、夫との確執、
主婦の自立を示した先駆的女性作家の人生とは!?
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森瑤子さんは、人気のある作家だった。当時若かった私も貪るように読んだ。人と人とのふれあうヒリヒリするような痛みに共感し、登場する場所やモノに憧れた。
最近、ふと懐かしくなって「情事」を読んでみた。あまり楽しめなかった。なぜこの主人公はこんなにイライラしているんだろう。もっと伝える努力をしないと人間関係なんて改善しないだろう! と、本読みとしては面白くない感想を抱いてしまった。昔あんなに好きだったのにどうしてだろう。屈託のない人生を送って自分が変わり、世の中も変わった結果なのだろう。
で「森瑤子の帽子」だけど、いろいろな人のインタビューから多面的に人を浮かび上がらせるこの手法は、やはり面白い。ご主人と3人の娘さん、全員のインタビューは貴重だ。前作の安井かずみさんは時代によって変わっていく様子が浮き上がっていつたが森瑤子さんは、主婦時代も作家時代もあまり変わらない。常にどこか燻ったものを抱えているのが痛々しかった。
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昔読んだ森瑤子作品。改めて読み直したいと思った。
緻密な取材による、あらゆる角度からの島崎今日子さんの綴り方が見事だと思った。
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森瑤子のファンではないが、時代のシンボルの一人であり稀有な存在だとは思っていたので、その人の背景にあったものが親族、編集者、同業者等、多面的に解き明かされた興味深い本であった。
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一人の人間に関わった多くの人を取材して、多面的にその人の実像を浮かび上がらせる。前著『安井かずみがいた時代』と同じ手法で書かれている。ただし実像は浮かび上がるとは言えない。それも前著と同じだ。
人はすべての人に対して同じような振る舞いをするわけではない。どの時代に、どんな立場で森瑤子に、あるいは、伊藤雅代に、マサヨ・ブラッキンに関わったかによって見え方も変わってくるだろう。
どの見え方も虚像のようにも思えるし、実像のようにも思えてくる。きっと誰もがそうなんだろ思う。まして、作家として自己プロデュースをしていたのなら、余計に「虚実」の境は見えなくなってくると思うのだ。
島崎今日子さんが書くものは、どれも実像に迫るように見せかけて、「本当の自分」など誰にもわからない、関わった人の心の中に残っているものが実像だといあぶり出していると思える。
そしてあらためて、島崎さんの硬質な文体には憧れる。取材力、構成力も素晴らしい。こんなスタイルの文章を書きたいと本当に思っている。
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「安井かずみがいた時代」は傑作だった。その思いが強すぎたのか、最後までどこか入り込めずに読み終えてしまった。「安井かずみ~」は、語り手が替わるにつれて、どんどん人物像が陰翳を増し、複雑になっていく描き方が素晴らしかった。本書は、そこがややもの足りないような気がしてしまった。
しかし、いつもながら島崎さんの人物への迫り方は見事だ。「この人は実際にはこういう人だ」というような決めつけ方を絶対にしない。どれが「実像」でどれが「虚像」かなんて、誰にもわからない。ものを書いて(表現して)生きていくことを選んだ人の孤独が、切々と伝わってきた。
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バブルの時代、一主婦が作家デビューし、センセーショナルな作品を大量に産み落とし、そして去っていった。彼女は伊藤雅代から森瑤子になり、生き方そのものが女性たちの憧れとなった。そんな彼女の素顔を彼女と関わりの深かった人たちのインタビュー中心につづっていく。私は森さんが実際に活躍していた頃を知らないけれど、彼女の鮮烈な生き方を感じてみたいと思いました。
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私がうんと若い頃、かっこいい大人のオンナとはこのような人なんだなあと思って見ていた。
少し前に読んだ安井かずみ同様、遠くから見ているだけでは絶対にわからない、彼女なりの苦しみが見えてきて、読んでいてつらい。
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青春時代に森先生の作品を読んだ私には
煌びやかな側面と
その陰にあった 森先生の
素直で寂しがりやな一面
旦那様や家族への愛の一面
虚像 森瑤子を演じた一面
それらすべてが
懐かしく感じます