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内容(「BOOK」データベースより)
浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描いた比類なき名作。虚実の渦を作り出したもう一人の近松がいた。
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道頓堀近くの国立劇場に文楽を観に行った時のことを思い出した。作品の中にも出てくるけれど、現代には太夫による浄瑠璃語りの文言をほぼ理解できない(日本語なのに)人がほとんどだと思う(私もだ)。今は伝統芸能・古典として固定してしまっているイメージの文楽だけれど、往時には時代の先端をいく芸能だったわけで、人形浄瑠璃に魅せられて関わっていった人たちの熱量の高さに圧倒された。
私も劇場が(宝塚、ミュージカル、歌舞伎など)本当に好きなので、ワクワクしながら読めた。
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語りの文芸作品。
とんとんと、さらさらと、難波ならではの軽快リズム感、話し言葉と書き言葉とが、区切れなく交互に繰り返される独特の語りが、とても心地よい作品でした。
読んでる最中、そのリズムを声にしてみましたが、自然と間ができるというか、言葉と言葉の間の呼吸が整うというか、そう言った読みのリズムが出来上がっています。
人物の掛け合いを中心に進む展開ですが、一つ一つの言葉遣いに魅力があるため、ストーリー運びよりも、文体の力で読者を引きつける作品だと感じました。
ほんと、まるで作品から声が聞こえてきそうな、呼吸まで感じ取れるような。
そして作中の人々の素朴な、飾らない人柄がいい。
浄瑠璃世界に魅せられた近松半二が、作品を作り出すことの、ある意味狂気じみたところを自問自答し始める後半までの流れは、渦そのもの。
自分ではままならない、傑作を作るっていうことの、喜び、熱、もどかしさが率直に伝わり、胸を打ちます。
そして個人的には、物語づくりを一人の功績とせず、渦としたところに、この作品の凄みを感じました。
一人の才覚ではなく、人と人との繋がりや、日常のひびき合いが、作品を作り出す。
文体と、溶け合っていく人と人の心の描写で目が離せず一気に読み終えました。
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第161回直木賞受賞作。
大島真寿美さんの作品を読むのはこれが最初。
江戸時代が舞台の歴史小説だけに、宮部みゆきに似ている印象もあるけれど、場所が八丁堀じゃなくて道頓堀だし、殺しも出てこないので、やっぱり違う。
もとは月刊誌に掲載されていた話だけに、適度な長さで章立てされているので、読みやすい。
最後の方、お三輪が現代で呼びかける場面はちょっと興ざめ。そのまま300年前で終わればよかったのに。
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今年の五月,国立劇場で妹背山婦女庭訓をみたとき,プログラムに大島真寿美さんが一文を寄せていて,この小説を知った.直木賞受賞後に読む機会が巡ってきた.
妹背山婦女庭訓の作者近松半二の一代記.芝居狂いだった少年時代から,浄瑠璃作者になって,代表作,妹背山婦女庭訓を書き上げる.三輪の酒屋に嫁いだお末が第4段のお三輪になって蘇るエピソードは秀逸.そういう意味では妹背山を見たことのある人の方が楽しめるだろう.
同じ著者の「ピエタ」を読んだ時も思ったが,小説になりそうもない人物を主人公にして,ちゃんと小説にしてしまうのがおもしろい.
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'19年上期の直木賞受賞作。実在の浄瑠璃作者、近松半二の生涯。
江戸・宝暦~天明期(1750-1780年代)の大阪・道頓堀の芝居小屋の賑わい、当時かけられた作品、歌舞伎の隆盛の一方で浄瑠璃の凋落の流れの中で、浄瑠璃や歌舞伎の作品、登場人物や筋などが渦のように渾然とし、拵える者、演じる者、観る者も混じり合った三千世界のどこかでの作品世界の存在を感じさせられる。
大阪弁(?)の語りや台詞が流れるように身にしみてきて、(実際には知らないが)浄瑠璃の詞章をイメージさせてくれた。
19-85
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3.8
幼い頃から、道頓堀の操浄瑠璃小屋を遊び場にして育った男・近松半二の、そして浄瑠璃(芸能)に取り憑かれた人々の人生。
◯近松半二・・父・以貫から近松門左衛門の硯を譲り受け浄瑠璃の世界に。やがて竹本座の立作者となり、妹背山婦女庭訓を生み出す。
◯穂積以貫・・半二の父。
幼い半二を浄瑠璃に連れ回し、どっぷりと嵌まらせてしまう。
◯並木正三・・半二の幼馴染で歌舞伎作者。常に半二の先を行く。歌舞伎芝居の人気を圧倒的なものにするが、「虚」に食われ若くしてこの世を去る。
◯吉田文三郎・・当代一の人形遣いの名人。半二の師匠。独立を画策するも、竹本座の火事がキッカケで座主に発覚、計画は潰され業界から干され失意の内に死亡。
◯お佐久・・半二の妻。
煮売りをして半二を支える。
◯松田才二(漠)・・半二が可愛がってる作家仲間。婦女庭訓の創作に助力。
◯栄善平・・正三の弟子。歌舞伎の立作者。婦女庭訓の創作に助力。
◯お末・・半二の幼馴染。半二の兄の許婚だったが、母親の横槍で反故にされるが嫁いだ先で可愛がられ幸せに。婦女庭訓が生まれるキーパーソン。
◯三好松洛・・妹背山婦女庭訓の後ろ盾になってくれた超ベテランの浄瑠璃作家。
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江戸、浄瑠璃の話とあって、読む前は小難しい印象がありましたが、そんなこともなく。全体的にいきいきしていて、読んでいて爽快感があります。同時に、世界全体が渦のように一体となっているという感覚は、現代の自分の中にも持っておきたい感覚だなと思いました。
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近松門左衛門や曽根崎心中は有名だが、近松半二や妹背山婦女庭訓なるものは、フィクションだと思い込んで読み進めていたが、やけにリアルだなと思い、調べてみたら実在の人物であることにビックリ。
歌舞伎は表現する演者とストーリーで評価が決まるのに対して浄瑠璃はほぼストーリーが重要だと思う。
だから同じ古典であっても歌舞伎は今なお進歩しているが、浄瑠璃は無形文化財として生き残っているに留まる、ように思う。
でも現代の映画と同じような位置付けだから、新作を生み続ける作家は大変だったろうな。
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文楽は語りの美しさがある、私ももっとやりたい、直木賞の会見で大島さんが仰ってたように全編まさに語りの文体で、迫力もあったし、妹背山婦女庭訓の作中の場面は臨場感もあって夢中で読みました。機会があれば、妹背山婦女庭訓、文楽で是非観てみたいです。ラスト、現代の文楽の様子も語られ、半二の生きた時代から300年経って今尚同じ名前で続いている歴史に改めて感動です。
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操浄瑠璃の世界に魅入られた 人間たちの物語と思いながら上方のことばも楽しく読み進めると、芝居の世界も道頓堀よりまだ広く深い人間世界の有象無象の中かから生まれて、読んでいる自分もまた取り込まれていくようだった。
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第161回 直木賞受賞作品
操浄瑠璃に魅せられた 主人公 近松半二が大坂 道頓堀 竹本座の立作者になり
傑作「妹背山婦女庭訓」を書き上げるまでの 一代記。
実在の人物がそこかしこに出てくるが、
浄瑠璃や歌舞伎に疎いためなんの先入観もなく読んだ。
面白い!!
登場人物たちが関西人のノリの良いテンポで会話し、
紆余曲折、浄瑠璃と歌舞伎との栄枯盛衰
人気商売の波乱万丈、
魂を削りながら作品を生み出す 半二や並木正三、吉田文三郎の鬼気迫る様子。
登場人物たちがそれぞれ 一癖も二癖もあって魅力的で
生き生きと話の世界を飛び回っている。
「 妹背山婦女庭訓」浄瑠璃で観てみたいと思った。
余談だが・・・
わたしの頭の中では 小さい頃に観た
連続人形劇「新八犬伝」の人形たちが 舞台狭しと動いていた。
アニメもいいけど 人形劇好きだなぁ。
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第161回直木賞に大島真寿美さんが選ばれました!
『渦 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 魂結(たまむす)び』が受賞。おめでとうございます!
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これは物凄い物語と出会ってしまった。読後暫く呆然と夢と現の狭間を漂った感じ。
浄瑠璃の書き手と太夫、人形遣い、観客、そして作者や物語を読む私が渾然一体、渦となっていく。正三の言葉。「せやけど半二、そないいうたら、治蔵にかぎらず、この道頓堀全体が、渾然一体となって息しておるような気ぃせえへんか」
誰が物語を創ってて誰がそれを見てるのかわからなくなる。ミヒャエルエンデの鏡の中の鏡、果てしない物語を読んだ時に近い感覚。
近松門左衛門、父の穂積以貫、母の絹、有隣軒、吉田文三郎、三好松洛、幼馴染の並木正三、吉田治蔵、妻のお佐久、娘のおきね、兄の元許嫁のお末、そしてお三輪、、まだまだ挙げたりないけど、誰が欠けても近松半二にはならなかった、まさに渦のように渾然一体となって半二や作品を生み出していったのではないかと思う。そして勿論近松門左衛門の硯も。
虚に実が喰われてしまう、というくだりは
物書きが背負う凄まじさを感じる。もう一人の自分、高砂平左衛門の後ろ姿を見てしまった正三。半二が渦の闇に吸い込まれなかったのはこの硯のおかげかもしれない。
春日大社の神鹿、道頓堀での赤気(オーロラ)の場面も印象的。まるで映画の一場面。
雪月花の趣向もいいし、その章の最後でお佐久かみごもったのを、雪月花が実を結んだな、という松洛のセリフも粋だ。
半二や正三たちの落語のような掛け合いも軽妙で楽しいし、時代を越えたお三輪もいい。
改めて虚実混濁中、人が生きることの意味を考えさせられた一冊。何事も性根を捕らえる、大切。そして、生を終えるときは、あー、あれもしたかった、あそこに行きたかった、あれも食べたかった、もう少し生きたかったなぁー、とちょっとだけ惜しむ位が良い加減だな。ちょうど半二や正三のように。
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近松門左衛門は知っていても「近松半二」や「妹背山婦女庭訓」なんて聞いたこともないのが現実。実在の人物であり演目であることを読後にwikiで確認して自らの無知を再認識しました。娯楽の少ない時代だった頃の人形浄瑠璃や歌舞伎ってどんなに奥深いものだったんだろうとも。江戸時代の道頓堀の華やかな様子を想像させるとてもよい作品でした。