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オープンに語られてこなかった家庭内での性暴力がメインの話題。女親→息子の事例も。人間についての理解を深められる。
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「被害にあったには私だ」
「相手に責任を取ってもらいたい」
「ダメな私から」
「被害にもかかわらずそれに圧倒されることもなく逞しく生きようとする私」へと「再定義」
被害者に対しては「被害者に責任はない」ことを徹底して伝え続けねばならない!
家族間について書かれていますが家族間だけでなく、性虐待・性犯罪にあわれたかたも読んでみると良いかも。。
情報も新しいものが載っているので 最近のニュースで許せなかったこととか書かれています。誰もが生きやすい世の中になりますように☆彡
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家庭内で起こる性被害は確かに隠されていて、DV以上に難しい。でも、少しずつ女性の声も届き始めていて、前進しているようだが、実際はまだまだというところのようだ。
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おそらくタブーとして、あまり正面から取り上げられることのなかった、家庭内の性被害についてのレポート。
昨今、親による子への虐待などのニュースが、マスコミで取り上げられない日はないと感じるほど、頻発しているような気がする。
これだけ多くの虐待が起きる日本社会で、家族な 内の性的虐待が起きていないことは、おそらく無いだろうな?という個人的な疑問に、一つの回答の方向性を、示してくれていると思う。
多分、それは起きている。
そして、それが意図されたかどうかはわからないが、おそらく多くの件が隠蔽されているか、明らかになってはいない。
そうなんだろうなと、思った。
読んで重いレポートです。
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ううう‥怖い怖い怖い‥と思いながら読んだ。
性虐待に向き合うことは、なんて怖いのだろう。
どうしてこんなに怖いのだろう。
でも向き合う必要があるのは確か。可能な限り向き合いたい。無理はしない。
覚えておきたいこと(沢山あるけど)
・親からの性虐待を受けた被害者は、ある日突然「被害を受けた」ことに気付く。そこからの混乱や無力感は凄まじい。PTSDは長く長く続く。
・「被害を受けた」と認識することが救いにもなる。「あなたは悪くなかった」「加害者に責任がある」と言い続けることが大事。
・父→娘だけではなく(多いとは思うけど)父→息子、母→娘、母→息子への性虐待もある。
・男性はマジョリティであるがゆえに、突然「加害責任」を問われることでしか当事者にならない。その恐怖から、「痴漢は変態」「娘に手を出すなんて鬼畜」(境界線を引く)、「被害者にも責任がある」(加害を無効化)などの言動を取る。
・家族と国家は密接に関わっている。国家(司法)が犯罪だと定義することが抑止力になる。
著者の講演にも行ったのでした。
そこで覚えておきたいこと
・所管官庁によって家族間の暴力に関する言葉が違う。また、支援が分断される。
・少子化、結婚しない男女の増加、「ざまあみろ!」が印象的でした。
少し前から考えていたんだけど、結婚の挨拶で父親に「お嬢さんをください」って恐ろしい言葉じゃない?
娘は父の所有物なのか?なんだろうなあ‥。
子どもは親の所有物ではない、という考え方は広まりつつあるだろうに、娘だけは未だに父のもの。
まあ、結婚制度自体が家父長制を内包しているのだから当然とも言えるけれど。
こうした文化・社会的風潮が娘への性虐待(かわいがり)に繋がるのだなあ、と改めて感じた。
家族の中で一番弱い立場は女児、という著者の言葉に納得。
この世界に信田さよ子がいてくれて良かった!
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本書によって、闇の中のセクシャルな問題にさらに一石投じられた気がした。
誰もが思慮して身を引き締める、指標になる可能性を含有した書。
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〈性〉なる家族
著者:信田さよ子
発行:2019年5月30日
春秋社
戦争によるPTSDを認めたアメリカと、それをなきものにした日本、この違いには大いに驚いた。
昨日、この本を読んだが、たまたま今日から朝日新聞で「子どもへの性暴力」という連載が始まった。本にしろ新聞記事にしろ、なかなかこの類いの文章は読むのが苦痛だ。
著者は今年から国家資格となった公認心理師。1988年に設立された日本臨床心理士資格認定協会認定の臨床心理士でもある。おそらくこの人はフェミニストなんだろう。
いうまでもなく、少女に対する父親(祖父、叔父、兄もあり)による性虐待は大変なこと。PTSDとなって一生、被害者を苦しめる。それを分かれ、軽く考えるな、みたいなことを延々と書かれても、そんなの当たり前すぎて印象には残らない。
あるいは、「近親相姦」という言葉はおかしい、多くは性虐待、すなわち、一方的な「近親姦」だから、「相」が入るのはおかしい、と長々と書いている。これまた本全体の印象を貶める。
もっとも勉強になった点、それは戦争とDVの関係だった。
70年代末、アメリカやDVや虐待が激増。ベトナム帰還兵が家族のもとに戻り、そこで妻子に暴力をふるった。それを受け、80年代からPTSDの存在を認め、各州で家庭内暴力の加害者処罰を可能にする厳しい法律が制定された。
それに対して日本では、多くの兵士が満州の戦地で精神を病み、帰国して陸軍病院に入院した。原因は戦闘よりも軍内部の私的暴力。衝撃だったのは、敗戦と同時にカルテを破棄するように国から命じられたこと。ある院長は、50年は口を閉じていた方がいいとも言われたという。入院した兵士は躁鬱病という新たな病名をつけられ、帝国陸軍兵士にあるまじき精神の脆弱さを呈した存在とされ、彼等は自らを恥じ、国家も彼等の存在をなかったことにした。そして、家族のもとに帰還したわずかな人たちが妻子に苛烈な暴力をふるい、悪夢に苦しんだ。
*********(メモ)**********
かつて日本の男性は女性の乳房に発情しなかった。江戸時代は乳房を隠さず、夏などは上半身裸で町を歩いていた。隠すようになったのは、1931年、帝国劇場で松井須磨子が「サロメ」を演じた時から。
エマニエル:トッドによると・・
女性の識字率が50%を超えると出生率の低下が起きる。成人男性の識字率が50%を超えると革命や暴動が起きる。アフリカは成人女性の識字率が50%をきっているので出生率が高いまま。
子供の頃に父親から性虐待を受けた女性は、さまざまなPTSDなどの症状を乗り越えて親を告訴できるまでに20年を経過していることがほとんど。
近親相姦という言葉には、母が息子を誘うなどの男性がつくるファンタジーが貼り付いている。著者のカウンセリングセンターに「母から性行為を迫られた」とかかってくる電話のほとんどがいたずら。
母から娘への性的弄びはしばしば起きている。
最近では、水に流すのではなく、「過去は変えられないのだから前を向いて進め」「過去は変えられない。受け入れて許せ」などとい���人がいるし、最後は「ありのままの自分を受け入れる」という結論に落とし込むのが定石で、これほど鼻持ちならない物言いはない。そのような語りを伴うものを被害者支援とは呼ばない。
山極寿一によると、「インセスト(近親姦)を禁止することで人間の社会が自然の要請にもとづかない新たな枠組みを創造できる」。つまり、家族は反自然であり、インセストは人間の家族を根底から崩壊させるものと言える。
ビクトリア朝時代、女性の裸体を描いた作品が多かったが、陰毛を描かないという規範に従うことでポルノグラフィと区別されていた。成熟していない「児童」の体であり、性的成熟を迎えていない無邪気なものだから猥雑ではない、という考え。これは、AKB48,欅坂48、乃木坂48、さらには幼い顔をした女の子が多い地方自治体の町おこしキャラと、よく似た構造。
性犯罪は騒動から起こる者ではなく、成功体験の積み重ねにより強化される。さらなる快体験を得たいという欲望、それに向けて緻密に努力する。
DV被害にあいつつも当面同居するしかない苦渋の選択をした女性へのアドバイス。「最大の武器は軽蔑」「嘲笑せよ、DV夫は妻を侮辱できない」。
多くの性虐待は刑罰が科されないのが現実。心理臨床の世界に新しく参入しつつあるのが、加害者臨床。①謝罪と賠償 ②アカウンタビリティ ③再発防止 この3つを柱としたプログラムを集団で実施し、教育や更正を図る。
精神医学の診断基準は、1980年のDSMⅢ(アメリカ精神医学会による「精神障害の診断と統計マニュアル」の第3版)以来、症状を輪切りにし、現在表出されている症状をとらえて診断するという、いわゆる操作的診断が前景化した。症状の背景や生育歴を探るといういわゆる洞察的・内省的な姿勢に決別し、因果論を遠ざけ、明確な診断基準を設けて医学的信頼性を高めようとした。
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カウンセリングの事例とともに家庭内での性犯罪が分析されており、どうしてらこのような意識の差による犯罪が生まれるのかを検討されている。学術的な書ではないので読みやすい。グレーゾーンだと相手が思っている範囲の広さ、そして自覚するまでにタイムラグがある幼年者への加害の残酷さを考えさせられる。
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セクハラをやる側は「男性優位=自分優位」が当たり前になってしまっているから、その対象となった相手が「被害」を訴えるということが想像出来ない。……この文章で常識のズレが何故生じるのかわかった様な気がする。たまに「どれもこれもセクハラだと言うならもう何も言えない」という人が居る。男性優位性の社会にどっぷり浸かってしまっている証拠だと思う。
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2022/07/27
冒頭のエピソードだけでキツすぎる、、
セクハラやDVや性的虐待を行う人の特徴として、自分の行為の加虐性に自覚的でないこと、無意識であること、、というのはなるほどなぁと思った。
その他気になったことメモ
・痴漢、盗撮、露出などの性犯罪加害者は、傍目には暴力的な人には見えない穏やかな男性がほとんどである。
・性別役割分業や、父親中心のいわゆる「ふつう」の家族は近親姦を生み出す危険性があり、父から母へのDVが起きる家族では、しばしば子どもたちの関係性が暴力的で支配的になりがちである。
→それを防ぐには、ワンオペ育児を避け、家族全員の情緒的親しさ(親密さ)を形成するように努めることである
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読了。図書館で借りた。読むのしんどかった。でも娘のいる父親ならよんでおくべき本と思う。P154からP160ページに、著者と父親の話があった。感動した。ここを読みたくてこの本を借りたかもしれない。1700円+消費税である。買うことにする。
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そのことについて書かれているわけではないけれど、読み進めていると旧ジャニーズ事務所のことが想起される。
圧倒的な支配と権力のもとで、全てのタレントたちが何かをもできなかったことは、ひとつも非難されることではない。
マスコミが何かをできなかったか…、かといって直接的な責任がないから逃れられてしまう。でも、そういうことを世に問うことがマスコミの意義ではないか。
会社の人が何かできなかったか…という問いは、福祉施設の虐待の構図と似てるんだろうと思う。
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作者の主観的な部分があって、首をかしげる部分もあったけど、作者のカウンセラーとしての体験や事例を交えて、女性の性被害や家庭内性虐待などが見えてくる。
こういうことも起こりうるのだという新たな視点を持つことができたし、様々な気付きや発見がありました。