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新聞記者の長男、次男として生まれた「僕」と「ぼく」。妹のさっちゃんが加わった家族は、ありふれた幸せに包まれていた。母の病と「あの日」が来るまでは……。2004年6月1日、長崎県佐世保市で発生した「小6同級生殺害事件」。被害者の兄二人が新たな希望を見つけるまでの感動ノンフィクション。
ネバダで有名な「佐世保小6同級生殺害事件」の遺族で、被害者の二人の兄の記録。表題の「僕」が長兄、「ぼく」が次男。事件当日どう思ったのか、その後の生活の手記のようなもの。当事者の気持ちや感情の記録なので、事件詳細・経緯について知りたい人には全く向きません。
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未成年の犯罪被害者遺族にスポットを当てた作品。
犯罪被害者の弟さんはYahooニュースを印刷したプリントで姉の死を知らされたことを知った。
衝撃だった。
その対応に悪気はなかったと思うが、何気ない行為で人の心を深く傷つけてしまうということがわかった。
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独白ふうに書かれてある点が今ひとつ。ルポを読み慣れている人には読みづらさがある。
長兄の「僕」は軽い感じになってしまっている感があり、被害者家族の苦しみという部分とはズレた、ただの「僕」の話。次兄の「ぼく」の苦しさはより伝わって、適切な支援のあり方など、考えさせられるものがあった。
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続編はあんまりいらんかったかなぁ。読むのを途中でやめてしまった。必要なものは、『謝るならいつでもおいで』で読んだ。
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佐世保小6同級生殺人事件の被害者の家族の話。
第三者からすると数ある事件のひとつでなんとなく記憶の片隅に…だけれど当事者からすると違う。事件後にだって生活は続くし、心が完全に癒えることなんてきっとない。
そんな当たり前のことを私は今まであまり考えてこなかった。
最近ノンフィクションにもひかれるようになってきた。
事実が教えてくれることの重み。
世の中にはまだまだ知らないことがあって、知りたいことや知るべきこともたくさん。
ひとつずつ自分の中に落としこんで、人の気持ちを推し量ることができるようになりたい。
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二児の母です。
病気にしろ、事件事故にしろ、ニュースを見ると、たまに思うことがある。
もし、我が家のどちらかの子供が亡くなった時、私は自分の感情よりも、残った方の子供に不自由させず、きちんと育てることを優先できるだろうか。
残った方の子供は、友達や世間と同じようなペースで、進学や就職など、自分の人生を歩めるのだろうか。
ここのご家族も、お父様の職場の方々が炊事、洗濯などの世話をしてくれ、酒の力も貸してくれたから、なんとか事件直後をやり過ごすことができたそう。
進学や就職の選択も、お母様の病死と妹さんの事件がベースになっている。
やっぱりそうだよな…
親も子もただの人間だし、家族を失う前の頃に戻れるわけはない。
我が家の上の子は今年受験生。
志望校はまだ決まらないが、やりたいことや偏差値など、自分のことだけを考えて進路に向き合える状況は、当たり前のようで、当たり前ではないのだと、つくづく思う。