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2020/01/31:読了
読みやすいけど、「岡田英弘」さんの本を始めて読んだときの印象が強すぎて、それと比べてしまう。
世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)
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世界史の本に引き続き中国史の入門書を
読んでみました。
『一つの中国』『中華思想』というイメージが
今の中国からは強く感じられますが
この本を読んで、多様性国家・多民族国家・官民離反
政治・経済・軍事・文化がそれぞれ統一されていない
バックボーンを知り。
なんとなく、中国の人の行動や政府の行動が
ほんの少しわかったような気がしました。
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世界史を学ばないと!という意識はあっても、お隣の中国史を学ぶ機会はあまりなかった。
中国がこんなにも、有機的に流動的に結びついたり別れたり、変化し、その構成も複数の民族が文化が融合したり争ったり、複雑な変遷を得てきた国なのだなあということに驚いた。現在、中国では少数民族の弾圧も起きているが、歴史の中で相争ってきた、ある意味別の国同士がすぐそばにいるわけで、もめるのも理解はできた。もちろん、それで弾圧して良い、文化を消して良いということには全くなりませんが。
複雑な変遷やその背景を図示で示しているところは非常にわかりやすかった。なぜ歴史がこうなったかという理由、背景には地誌も大きく関わっていたことが興味深かった。
読みやすくはあったが、客観的に語っている部分は、わかりやすいと思いつつ、先日読んだ十字軍物語のように、もう少し歴史をドラマチックに彩る人物が描かれていた方が、私には読みやすいようにも思った。
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人より環境的要因に焦点を当て中国史を説明した本。
中国というと「常にアジアの強国だった」というイメージだったが、国家としては非常に脆い共同体だったのだと認識を改められた。
これを見ると、中華人民共和国が如何に歴史の浅い国かわかる。
今の監視や、弾圧、洗脳による支配は、ここ数十年の出来事であり、決して過去の歴史に裏付けられた方法ではない。
安定的な国家を歴史上なし得なかったからこそ、テクノロジーを使い、柔軟に新時代の国家のあり方を模索できているのかもしれない。
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・「明朝で官民乖離」(つまり行政の目が民間まで行き届いていない。権力が下まで浸透していない。)
→以後の中国社会はずっとそう。(清朝で乖離拡大、日中戦争期の共産党で初めて権力が基層社会にまで浸透)
・「〜だと思う」等の言い方が多く、「それはあなたの意見??出典はあるの???」と思うことが多かったが本の主旨上仕方ないか。
持ってる知識を少しは整理するのに役立てたかなと思う。
中国を全然知らない人に中国批判をされた時に、自分の認識を秩序立てて話せるようになるためには有用かと思う。
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ユーラシアでは、農耕をしながら定住する湿潤地域の人々と、草原を移動しつつ牧畜をする乾燥地域の人々で二分された。
→この人々が混じり合う場所で、文明が発達した。
また、文明が発達し、人々が交流すると契約が生じる→文字の出現
中華とは、中心地、センターの意味。その外には朝貢国がいて、外側に行くにつれて程度の低い野蛮人、「外夷」がいる。
秦の始皇帝の後に成立した漢では、西の匈奴により絶えず圧力をかけられていたが、武帝の時代に匈奴に勝利。その後、平和の時代が訪れる。シルクロードの最東端である漢(和帝)と、最西端であるローマ(トラヤヌス帝)は同時期に平和を享受した。
寒冷化が進み、北の遊牧地では草が取れなくなる→民族が南へ大移動をする。
中国での都市形態はもともと内城外郭であったが、寒冷化により城が狙われるようになると、白の外に村を作って暮らしだす。
→政治(城)と経済(村)が分地、小さな地域に分裂することになる。これが五胡十六国時代の礎。
中国は戦争と統一を繰り返していると思われがちだが、もともと地域ブロックが明確であり、利害調整が難しく、各地で戦争が起きていた。→複合的、多元的な社会を実現した。また、軍隊が政治的な力を持ち、貴族に支えられ、下の者を強制的に働かせるという政治・社会制度は共通していた。
隋の時代になり、中原を統一。首都を長安と洛陽に置く。南方の経済力、北方の軍事力。
唐の時代、李世民という名君が統治。仏教という価値観の共有も相まって遊牧民と農耕民と融合するレベルで南北の統合を図った。思想界、宗教界でもとても多元的だった。
8~9世紀にかけ、唐は解体に向かうが、その理由は、中央アジアがイスラーム化し始め、小国が分立し始めた。また、温暖化し、ウイグル人が東から西に移動し始めた結果、モンゴル系・ツングース系の狩猟民族が力を持つようになった。
唐宋変革:唐と宋の時代の間で起きた大きな社会変動
①エネルギーが木材から石炭になり、金属生産が増える。
②土木、農業技術の進歩により、低湿地の水田化と人口増大
③貨幣経済の開始
④貨幣の発達による商業発展。(税システム)
⑤都市化の発展。城郭の無いところにマーケットができ、それが商業都市化する。
このときには各地が各名産品をその気候風土の中で作っていたため、多元化・多様性があった。それがバラバラにならないよう、君主独裁という中央集権制を取った。
→隣接する契丹、西夏にも、対等の交際をし、攻め込まれないように上手く政治を行っていた。
→社会が圧倒的に豊かになった。今の中国文化のベースになったのもこの時代。
モンゴルが異様に発達した理由…騎馬の強さもあるが、支配した地域をそれまでの生活を続けさせたこともある。また、ウイグル人という商人集団が、モンゴルの軍隊とともに商業経営を拡大する。水先案内人のように征服する地を導いていた。
モンゴルでは銀との兌換紙幣の流通、塩の専売化による税収の確保など、かなり発展した商業金融が行われていた。
元寇も、征服ではなく商業圏の拡大を意図して日本にやってきた説がある。
しかし、世界全体の寒冷化によって、農作物が不作になり経済が崩壊、モンゴル帝国は滅亡していく。
明の出発は、まだ域内に残っていたモンゴル帝国の影響を払拭し、多元的な社会を中華と外夷に分離、漢民族だけの王朝を目指した。
そのため、貿易は鎖国、取引したい国は朝貢だけ認めた。朝貢の結果明国内での売買取引が認められる、という制度。
また、江南デルタ周辺で農業、綿、生糸栽培が発達。明朝は現物主義のため、貨幣が存在しなかったので、大量の銀が中国に流れ込み、中国の木綿や絹が世界に輸出された。しかし、当面鎖国体制を敷いていたため、密貿易が横行。政府と民間の行いが乖離し始める。
清朝では、明朝の官民乖離がそのまま量的拡大した。
清朝の前身は、リャオトン地域で満州人が建国したアイシン国。モンゴルと似ていた。
清朝は、今までの「華夷思想」を、「華夷一家」にあらため、満州人、漢人、モンゴル人、チベット、ムスリム一体の政権を作ろうとした。
貿易を容認する。中国は、大々的に小さい政府であり、人口が爆発的に増加しても、政府は何も対応を取ろうとしなかった。
→各地で特産品を海外に輸出したり、地域に応じた背策を個別に打ち出した。しかし、欧米列強の台頭により、国が一丸とならなければ駄目になり、「中国」と名乗り、国民国家化を目指す。
日清、日露戦争後、海岸地域を日本帝国に奪われる。→毛沢東が共産主義を掲げ、農村から革命を起こす。
→日中戦争で日本が敗北すると、中央政府に蒋介石が戻ってくるが、農村の労働者の支持を得た毛沢東に敗北、台湾に逃げる。
その後鄧小平が改革開放政策を打ち出すも、富裕層と農村の「上下の格差」は、今日に至るまで解消されてない。
中国の歴史は、バラバラな民族と社会が存在する中、いかに秩序を保って共存を図るか?という腐心の歴史であった。近代の時の「国民国家」を見習ったが、単一構造的な社会ではない中国には難しい。宗教でまとまるか、共産主義でまとまるか、社会も信仰も違う国々が、一つになろうとする歴史は今日でも繰り返されている。
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これからの国際関係を考えるにあたって、最重要の国ともいえる中国について、ひとまず歴史をざっくり俯瞰しとこうと思って読んだが、これはこれまでにない視点な感じがして面白かった。
どこが新しいかというと、
・世界史全体のなかでの中国
・気候変動とそれにともなう放牧や農業地域の変化
という大きなフレームのなかでみているところで、そういう視点でみると、
・中国何千年の歴史みたいな一貫したものがあるわけでなく
東アジアの地域における多様な民族のせめぎ合いの歴史であること
・オリエントとの交流は歴史の早い段階から存在していたこと(むしろ途中から断絶される)
・近代において多様な民族を国民国家体制への移行に遅れたのが本質的な問題で、それは現在も同じ
みたいなこと。
いろいろな民族による王朝の興亡を繰り返しつつ、ときどき偉大な支配者がでてきたりするが、基本的には、世界システム、気候システムのなかで、この地域の地理的、経済的、民族的なパワー関係から生まれてくる歴史なんですね。
なんだろう、システム論的な歴史といえるかな?
今、ちくま新書で、「世界哲学史」という西洋、イスラム、インド、中国、日本などなどを同時代的に哲学として、よみとこうという壮大なプロジェクトが進んでいるが、そことも共鳴しつつ、ある意味、より積極的にオリエントと中国との関係を同時代的に視野に収めている感じもする。
通常のいわゆる歴史とはかなり違う語り口だな〜。
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長い中国の歴史を、一気呵成に語り、
現代中国を理解する視座も与えてくれる好著。
朝貢外交が、明限定だったことなど
これまでの思い込みを是正してくれた。
国民国家体制でまとめるには
多様すぎる国がどうなっていくのか。
歴史を踏まえて今後の中国の動向を見てみたい。
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引用元に不確かなものがあったり、解釈が作者の主観によるものが多い点が気になるが、中国史を西洋からみた視点ではなく、中国人が考える歴史として読み解ける良書。
以下メモ。
特に気候と、経済の視点から人口の増減、時の王朝の興亡に紐付けていく考え方は非常に面白い。
気候変動により、漢の滅亡。遊牧民の南下。以降の多元化の歴史。
また領土という考え方は20世紀に日本の満州統治から学んだという考え方。清朝の他民族に統治方法を任せて、全体の統括をするやり方が、人口増加と、国民国家である西洋国家の侵略により、完全崩壊。皇帝の権力が及ぶところを正確に主張しなくてはいけなくなった。
明朝の時代から人口が増え始め、王朝の管理が末端まで行き届かなくなった。各地で勝手に貿易を行い始め、各地の独立志向が強まった。つまり、皇帝の権力が及ぶ範囲は”圏”のようなものだった?
領土という考え方はなかった。
これは現代中国の領土問題にも通じている?
中国の国力が上がれば侵略は正当化される?
どちらにせよ、14世紀以降は、人口は増えるものの、王朝の権力が及ぶ人口は変わらなかった。つまり、明朝以降は統一ではなく、緩やかな統治で多様な人種の上に立っていたというイメージか?
多元化した中国は、同じ漢民族とは言え、東西の経済格差や台湾、香港問題などを抱えており、国民国家とは呼べない。
宗教やイデオロギーのような普遍的なもので人はまとまるが、毛沢東の共産化は失敗。鄧小平以降の市場経済化で一旦はまとまるも、経済成長が鈍化した場合どうなるのか?
習近平は、中華民族の復興としている。
中華民族は何を指すのか。
次の疑問はここになる。
習近平の思考回路について本を読んでみよう。
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気候の変化や、経済の裏付けと絡めた説明が分かりやすい。
中国史の流れがよく理解出来た。平易かつコンパクトで読みやすい。
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アメリカ大陸の歴史を扱った1491や1493が面白かったので、その中国版を読もうと思い本書を読みました。地理と歴史、周辺国との関係、貿易、土木、気候変化、経済、思想などについて簡潔に書かれていてとても勉強になりました。この著者の別の本も読んでみたいと思います。グラフや図が多いのも良かった点です。
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岡本先生の本は2冊目であるが、非常に読みやすい。
平易な文章、展開、図説などを、利用して頭に残るように記述されているのではないかと感じる。
中国史を理解する事で、日本史や西洋史観に対する認識を再確認した。
何回も読む本になりそうである。
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一気通貫に古代中国から現代中国までの流れを学ぶことができた。
個人的には、戦国〜三国までの流れと、清末期〜中華民国・中華人民共和国までの流れは掴めていたが、その他古代〜春秋 三国〜清といったようにの抜け落ちている部分が多くあったが、ざっくりと全体像を把握することができた。
一冊で全時代を網羅しているからと言って、各時代の詳細を簡単に済ましているかというとそうではなく、しっかり内容が詰まっていた。
従って、もともと予備知識があった時代に関しては、さらに理解を深めることに役立ち、予備知識のなかった時代に関しては、細かいことまでは詰め込み過ぎず、大枠を掴むことに徹した。
ただ、全体としては面白さに欠け、文体に遊びはほとんど感じられない。
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黄河文明は、農耕民族学と遊牧民族の境界線で生まれた。お互い持っていないものを交換するマーケットとして発展。ただそこには軋轢トラブルが生まれるので「言葉」や「文字」が生まれた(トラブル証拠のためのドライブレコーダーのようなもの)23
14~16世紀の明朝は貨幣経済を否定した。物々交換社会で、海外取引に必要な貴金属も規制して半ば鎖国の農本主義160
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気候変動が中国はもちろん世界の動向に大きく影響していたとか、中国は実は異民族系が支配していた時代の方が民族間の関係も良好で、版図が拡がり経済的にも活況であったとか、色々興味深い内容が分かりやすくまとめられている。良書。