紙の本
見えない美しさこそが真実
2023/04/01 18:09
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔も今も地味なシバと、年々綺麗になっていくニシダとの再会がドラマチックです。見た目のコンプレックスから解放されたふたりの、その後の運命にも思いを巡らせてしまいました。
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週末,近所の図書館の新刊コーナーをいつものようにチェックして,ジャケットとタイトルと薄くてすぐ読めそうなので借りて帰って通勤の途中で読みおわってしまった.
読みおわってなんの話だったか聞かれても答えにくい.イヤな感じのしない,読んでてちょっといいリーディングタイムでした.ファイヤーキングのマグとフレーミング・リップスが出てくるあたりから,同世代かちょい上の世代のサブカルテイストを感じたのであとでwikipediaをみたらやはり自分の3つ歳上でした.
ひさびさにフレーミング・リップスを聞こ.オープ二ングが Yeah yeah yeah yeah ya ya ya ya 的コーラスではじまる例の名曲.
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『うどん、キツネつきの』が良かったので、このところ芥川賞候補になっていて、やっぱりただのSF作家ではないよなあと思っていたのだが、候補作は読んでいなかった。で、読んでみる。
老眼で細かいものが見えないおばあちゃんとお母さんのバトルや、「しょうゆで煮しめたような」顔のおばあちゃんの背中が白くてきれいだったとか、小学校のとき変質者(と昔は言われていたが、今考えると小児性愛者)と出会った(と言えば聞こえがいいが、被害にあったと言うのが正しい)とか、通勤電車が人身事故で止まったとか、自然災害でいつもと違う駅を使ったとか、あるあるみたいな話が淡々と続き、それはそれで面白いのだが、一体どうなるんだろうと思っていたら、ちゃんと最後に繋がったので驚いた。
それから、これ、性犯罪被害の話だってことにも驚いた。
すごい。
命に関わりない犯罪、特に「いたずら」と言われるような軽微な(と男社会は思っている)犯罪がどれだけ普通に転がっているか。
もちろん、この作品が伝えたいことはこれだけじゃないけど、私にはこの点が一番心に響いた。
高山羽根子、他も読まなきゃ。
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嫌なものを嫌とはっきり言えないけどその時に感じたなんでもないようなことをめちゃくちゃ覚えているみたいなのはあるよね
読み終えたあとなんとも言えない気持ちになりました
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淡々と大人になるまでの出来事が綴られているのだけど、何とも言えない気持ちとして残り続ける。そしてそんな気持ちはまたあね出来事と結びつく。
謝ってスッキリされるために追いかけられるこっちの身にもなってみろ。
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読みづらかった。人物もストーリーもぼんやりしていたような。雪虫、ヘルメット、ディランといったアイテムも効果がうすいような。私に感性のかけらがないのかも。
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ある女性の四半世紀程の人生。
人の記憶って、何でもないことが忘れ難かったり、逆に忘れているふりをしていたり、そんなことがあるよなぁ。この小説を読みながら、自分の記憶の都合の良さや曖昧さのことを思いましたね。
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ヘルメット、おばあちゃんの背中、雪虫、ダウンジャケットの羽毛、ハクチョウ、チャイカ、工事現場、学生寮と、一見、何の脈絡もない数々のキーワードが、最後に綺麗にまとまる様には、美しさと悲しさが同居しており、何とも言えない切なさを感じたのだが、どこかユーモアめいて見えるところと、まんまと作者の術中にはまってしまったという爽やかさもあって、しんみりとならない感じは、高山さんの作品の好きなところかもしれない。
私の中で、オチの衝撃度、整合性が凄かった感覚が未だに忘れられず、これだから小説を読むのは止められないですね。
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『ほとんどのばあい音楽ではなくて、ただの音だった。でも、日によってほんの一部分が音楽に聞こえることもあって、その部分が日を追うごとにほんのちょっとずつではあったけれども増えていた。だから、いちおうそれはギターの練習といって良いもので、音は音楽を目指していて、それに近づきつつあったんだろう』
『やっぱり。「『時代は変る』」私が言うと、男のギターの手が止まった』
ボブ・ディランを聴く世代よりも後に生まれた自分にとって「The Time They Are a-Changin'」はサイモンとガーファンクルのデビューアルバムの一曲。それも、ギターを弾くくらいの歳になった頃、アルバム発売の10年近く後から追いかけて聞いたもの。もちろん、子供ながらに社会に対するメッセージがあるとは感じたし、呼応する60年代後半の学生運動の喧噪は白黒の記憶として持っていたけれど、70年代は安保よりも万博でありオリンピックであって、この歌が生まれた時の米国で燻っていた公民権運動の胎動との繋がりに気付くには幼過ぎた。
ディランがこの曲を書いた当時は、公民権運動の広がりを受け学生運動の先駆けとなる事件が起き始めていた頃。だからといって彼に学生運動を鼓舞する意図があった訳ではないと思う(と言うのは、当然のことながら、後知恵だ)が、時代が大きく変わりつつある実感はあった筈で、本人も「大きな曲を書きたかった」とインタビューに答えているように公民権運動とフォークソングの距離の近さがあった時代だからこその曲。だから数多くの歌手によってカバーされもしたのだろうし、その中にはピーター・ポール・アンド・マリーのような学生運動、というより時代の象徴的グループも居た訳だ。ただ、日本におけるそのようなウネリは、安田講堂(1968年)や、あさま山荘(1972年)によって鎮静化されたもので、「70年代われらの世界」なんて番組で全ての問題が高尚なテーマに変わってしまったのを観た後、80年代前半の大学のキャンパスには、その熾火のような燻りはあったものの本格的な運動の再燃とはならなかった、と自分の中では整理されている。それに日本では、公民権よりもベトナム戦争、日米安保条約などが争点で、そのような反対運動の矛先がどう自分たちと関わってくるのかが実感し難いと感じるものであったことも彼我の差であったかも知れない。もちろん日本のフォークソングも米国の動きに呼応して、たとえば南こうせつとかぐや姫だって「あの人の手紙」を歌ったりもしていたけど、その流れは何故か四畳半フォーク、ニューミージックというような内省する方向へ流れていった。その後20年以上経ってから、米国で再び「Change」が叫ばれ、日本でも民主党政権が生まれたりとの「変化」は起きたが、それが何か新しいものを本当に生み出したのかは、個人的に疑問ではあるけれど。
という色付き眼鏡を否応なく掛けた身として読んでいると、ここに描き出されているのは、そういう運動によってより鮮明になった閉塞感だな、と思うことになる。
それでも、高山羽根子の筆致は軽快で、抑圧感の漂う重い空気のトンネルの中を駆け抜けてゆくような速さが爽快ですらある。母親と祖母を通して時代の中で変化する人々の在り���や社会通念のようなものの変化を巧みに印象付け、「お腹なめおやじ」の話に高度経済成長期の社会の歪に晒された人々を映し出す。ああ、確かにそういう時代や、時代の空気があったなと思う間もなく、筆は進む。そうして、いきなり主人公の過去が追いかけっこの鬼となって迫ってくる。
物語はどれも詳細は語られないままだが、そこに気を取られ過ぎてはならない。目を凝らしていると見えてくること、一つの時代の一つの希望が必ずしも完全なる善によってもたらされる訳ではないこと、そして文脈から切り離された完全な悪も存在しないこと、あるいは理不尽な幸福と不条理な不幸が結局は同じものだということに気付く瞬間。それは誰にでも起きるけれど直ぐに忘れてしまいがちなこと。それはこんな風にして起こるのだということを、巧みに描いている作品だと思う。そのあやふやなものの正体の象徴としての雪虫が、美しく、かつ、厄介なものとして主人公の周りを、つまりは自分たちの周りを、本当は飛び回っているのだということを思い出させてくれるのだ。
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文章が素晴らしい。
透き通っていてとても瑞々しい。ずっとこの文体に溺れていられる。凄く好き。
POPなだけじゃ終わらせない。
おばあちゃんの背中 一番きれいで、しかもエロかったんだよ。
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なんの先入観もない文体。純粋というのか空虚というのか。終盤に行くにつれ、白いふわふわのキーワードが集約されていくさまに、なんとなく西加奈子「ふる」を思い出した。
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読んでいる時よりも読み終わってからじわじわとくる。
同じ物を見ていても、人によって見えているものたと見えていないものがある。おばあちゃんが見えていないものはなかったことにしているお母さんの優しさとか、カメラを回すと映画のような映像がとれるイズミの視点とか。主人公が冷静に受け止めている様子がよかった。
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めちゃくちゃおもしろかった。
主人公の小さい頃、学生の頃、今、ついさっき、場所もバラバラのいくつもの小さな記憶やストーリーが、最後にジュルジュルっと繋がっていくスピードが、読むのが気持ち良すぎた。
高山さん、初めて読んだ。全部読みたい。
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起こったこと・存在することを、宙にただよう小さな虫のように気にせずに生きる主人公。存在するものが視力の問題で見えなくなった祖母。でも祖母は、祖母にしか感じ得ないものを感じていたのではないか。飛び込み自殺した人・高校時代の友人・たまたま入ったバーの店員。デモにつどう人々。他人同士は簡単にはつながれない。つながる必要もない。成長するとは例えば、その人が自分では気づけていないものを見出し、いつくしむことができるようになること。怒りの表明ではなく、世の隅にただようかすかなものを見出すために、手を握りしめよう。