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それぞれの命にはそれぞれの生涯があり、それぞれの時間を懸命に生き抜いている。どれだけ懸命に生き抜いても、手抜きをしてもやがて消えゆく。消えゆくために生きているようなもの。
人間だけは懸命に生きる意味を見つけようとしているように見える。何でこの世界に存在しているのか? その答えを見つけるには余りに時間が足りなすぎる。
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今はウイルスが大流行して、世界が自粛制限になっているから、生きることって何だろうと思い、手に取ってみた。
いろんな生物がいろんな方法で生を受け継ぎ、今も存在続けている。
親子とのバトンタッチの仕方も様々で、生きる大切さ、死ぬ大切さを感じることができる。
今は世界人類が振るいにかけられているようで、とても恐ろしくもあるが、
こうやって、生き物は入れ替わっていくのかということを、今もって勉強できる。
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【生き物たちは、死っているー】
本屋でふらりと買ったが、なんと良かった。
これだから本屋はやめられない。
動物、昆虫、魚類、プランクトン……
世の中は生き物であふれていて、死にあふれていることに気づくことは少ない。
命を賭した活動を、生存戦略を、コントロールされた生と死を、我々は感じることが少ない。
エッセイでもあり、まるで図鑑のような本書。
そう、生と死の図鑑の本書、薦めたいです。
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タイトル通り、さまざまな生き物の死にざまをエッセイ風に紹介した本。“死”という重いテーマを取り上げながら、さらっと読めてしまう。本書を読むかぎり、男として生まれてきたことがつくづく残念でならない。「生物学的には、すべてのオスはメスに精子を与えるためだけの存在なのだ。」人間も生物・動物である以上、この呪縛から逃れることはできない。
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1番衝撃的な内容は、ハサミムシの子どもたちは自分の母親の体を食べて生きるということです。読んで思うことは生き物は種の保存の法則で進化するということです。人間もその法則から逃れられない。
この本は「なぜ生きるのか」を考えることの参考になる。
印象に残った文章
⒈ アンテキヌスは「次の世代のために生きる」という生きることのシンプルな意味を教えてくれている。
⒉ 生命は尊く、かくのごとく残酷なのである。
⒊ 「老いて死ぬ」ことは、生物が望んでいることなのだ。
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人間を除く、いろんな生物の生と死に着いてのエッセイ。
遺伝子を次世代に残す。
なぜそれがそんなに大切なことなんだろう。
逆に言えばそれ以外のことにいろんな価値を見出してしまった存在が人間か。
凄まじい故に逆に虚しくなる気も。
なんつっても、究極のヒモ、チョウチンアンコウの雄が男の中の男だからな。
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「メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス ー チョウチンアンコウ」
「生きていることが 生きがい ー クラゲ」
「冬を前に現れ、冬と共に 死す“雪虫” ー ワタアブラムシ」
「簑を出ることなく生涯を閉じるメス ー ミノムシ(
オオミノガ)
などなど・・・。
「人間の生」をも、ついつい客観視してしまうとても優れた本。
自分のこれからも客観的に見つめられたかな。だから、読んで良かったということにしたい。(それはこれからの生き方で決まるんだよね 笑)
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子孫を残す為、命を懸けてとんでもない距離を泳ぎ故郷の川へ戻るサケ。
普段は花の蜜や草の汁で生きている蚊。一度身籠ると命を懸けて吸血大作戦に挑む母蚊。
三年も幼虫として過ごし、子孫を残すためだけにたった一日成虫として生きる、はかない命の代名詞カゲロウ。
子孫を残すためにメスに補食されながらも交尾を続ける雄カマキリ。ジョロウグモの雄も然り。
生涯でたった一度繁殖をし、献身的な子育てをする母タコ。
老化しない奇妙な哺乳類、ハダカデバネズミはアリや蜂と同じように繁殖行為をする個体としない個体が役割分担する真社会性という性質を持つ。
働き蜂はたった一月という短いその一生を懸けてスプーン一杯の蜜を集める。。
それぞれの尊い命と種を繋ぐための残酷な現実が虫や動物目線で描かれた面白いエッセイ。
それら様々な生き物の決死の一生に、我々人間も多大な影響を与えている。生きるため、食べるために。しかし死を前に無力なのは命あるもの全てに等しく同じなんだなー。
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プログラムという言葉で片付けられるのはとても哀しいので本能であっても生き物達にも感情や意思があると思いたい。
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稲垣栄洋(1968年~)は、雑草生態学を専門とする植物学者、静岡大学教授。これまでにも多数の一般向け書籍を執筆している。
本書は、題名の通り、セミからゾウまで29種類の生き物の死にざまに焦点を当てて書かれたもので、一部を引用すると以下の通りである。
カマキリ・・・「カマキリは、動いているものであれば、何でも獲物にしてしまう。・・・オスを食べたメスは、通常の二倍以上もの卵を産むという。・・・子孫を多く残すことがカマキリにとって成功であるならば、メスに食われて死ぬことも、けっして無駄なことではないのだ」
チョウチンアンコウ・・・「チョウチンアンコウのオスは、メスの体に噛みついてくっつき、吸血鬼のようにメスの体から血液を吸収して、栄養分をもらって暮らすのである。・・・そして、メスの体と同化しながら、子孫を残すための精巣だけを異様に発達させていく。・・・まさに、精子を作るためだけの道具と成り果ててしまうのである」
クラゲ・・・「死ぬことのないクラゲが存在するという。・・・死んだと思われたベニクラゲは、あろうことか、小さく丸まって新たなポリプとなる。そして、再びポリプから生活史をスタートさせるのである。・・・一説では、五億年間ずっと生き続けているベニクラゲがいるのではないかとも言われているほどだ。・・・ウミガメはクラゲを好物にしている。・・・寿命がないベニクラゲにとっても、死はすぐ隣にあるのだ」
シロアリ・・・「女王にとって働きアリが働くマシンであるならば、働きアリたちにとって女王アリは、いわば卵を産むマシンでしかない。・・・歳をとり、卵を産む能力の低くなった女王アリは、働きアリたちに見向きもされず、容赦なく捨てられていく。・・・彼女は歩くことはできない。誰かが運んでくれなければ移動できないのだ。・・・たくさんの子どもたちを産んだ思い出の詰まった古い部屋に、彼女だけが置き去りにされていく。それが女王である彼女の最期なのである」
兵隊アブラムシ・・・「アブラムシのメスは、自らと同じ遺伝子を持ったクローンの子どもを産むことができる。こうして生まれた幼虫のうち、あるものは普通のアブラムシとして生まれて、成虫へと成長を遂げる。そしてあるものは戦闘用の兵士として産み落とされるのである。・・・集団を守るためだけに生まれてきたと言えば、何と残酷な感じがするかもしれない。しかし、私たちの体の中でも同じようなことは起こっている。・・・血液中の白血球は、体内に侵入した細菌やウイルスを自らの体の中に取り込んで殺してしまう。そして自らもやがて死んでいくのである。・・・白血球は、そういう役割のものだと思うかもしれないが、白血球はものではない。他の細胞と同じように、生きている一つの細胞である。そして、私たちのはじまりが受精卵という一個の細胞だったとすれば、戦い死んでいく白血球もまた、私たちの分身であるとも言えるのだ」
シマウマ・・・「シマウマの世界に「老衰」という言葉はない。・・・幸運にもライオンに襲われなかったとしても、病気やケガで弱ったシマウマのまわりには、ハゲタカたちが集まってくることだろう。・・・どう転んでも、最後は食われて死ぬ。それがシマウマの生き方である。・・・「天寿を全うする」そんな幸せな死は、シマウマの世界にはないのだ」 等々
こうして見ると、述べられているのは、それぞれの生き物の、「死にざま」に留まらず、「種」としてどのように「生」を繋いでいるのか、更には、「生」とは何なのか、である。
そして、翻って、最も高度な進化を遂げたとはいえ、あくまでも生き物である人間にとって「死」、「生」とは何なのかを、否応なく考えさせられるのである。
「死」、「生」について、原点に戻って考えるきっかけを与えてくれる一冊と思う。
(2019年11月了)
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めっちゃおもしろかった!
身近にいる、生き物の生態について知った!
この本を読まなきゃ、調べようとも思わなかっただろうし。
嫌な害虫も、ちょっとやっつける前に考える。笑
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ブクログでの前評判、内表紙の「限られた命を懸命に生きる姿が胸を打つエッセイ」という一文、草思社という初めて聞く社名。全てがときめきを加速させる。名作の予感を持ちながら、ページをめくり始めた。
文章が無駄なく、それでいてみずみずしさを感じる。まさしく自然や動物のような文章。
その中に、筆者の愛と好奇心を感じる。それは決して大いなる流れに逆らうこと無く、佇むような印象を与える。
知識としては知っている生き物の死に様。セミの死体を何度見たか分からない。けれど、そこに心を向けたのは初めてだ。
本を通じて世界認識を再構築できた時、読書家でよかったと思う。それは紛れもなく読書の醍醐味の1つ。それをさらりとやってのける作者の力量に感服。
生き物の死にざまという切り口はとても変化球なのだけど、読書家をあっさりと満足させてしまう完成度だった。自信を持って人のオススメできる一冊。
(各章の詳しいメモや感想などは、長くなってしまうので省略。続きは書評ブログでどうぞ)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E3%81%A1%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B_%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%81%96%E3%81%BE_%E7%A8%B2
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生き物の死に関して叙情的に書かれたエッセイ。生物学の知識を得られると同時に、深く感情を揺さぶられる表現で生き物の死を語る。私のような文系の人にも読みやすくておすすめの本である。
多くの生き物は子孫繁栄のためのプログラミングをされておりそれに従って生きて死んでいく。死すらもプログラミングである。そこに、感傷を載せるからこの本は興味深いのであろう。
最後に筆者は問いかける。人間も死を理解しているだろうか?
できることは、大切なものの死を悼むこと悲しむこと。抗えないプログラミングに対して感情でしか対抗できないのである。
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自然界において生物は死と隣り合わせ。
人は人の死を一大事としてとらえる。まして自分や肉親の死しかり。
が、死の側面は素朴で偶然的で日常である。
農学を学んだ著者の死生観に触れられる本。
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生き物は自分の子孫を残すために、懸命に生きている。筆者の感情がかかれているが、彼らが生き残るためにそうしているのだ。
危険とわかっているのかどうかわからにが、サケは生まれた川に、ミツバチの働きバチは働き盛りを過ぎた頃から、蜜を集めに飛んでいき、一生でスプーン1杯の蜜を集める。年をとらないハダカデバネズミ。でも死んじゃうのだ。